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日本に長期間滞在したことのあるオーストラリア人が日本について書いた本がいくつも出版されている。ひと頃は新聞にも毎日のように日本関係の記事が出ていた。しばらく続けて読んでいて、「こらいかんなあ」という気になり始めた。実にいい加減なのである。事実関係がいい加減で、判断がいい加減で、日本についての知識がなくてもまともな人間なら、「ちょっとおかしいで、この記事」と思うようなことが書かれている。気になったから、そういうオーストラリア人の書いた「日本観察記」をいくつか読んでみた。どれも、「日本神話」を突き崩すようなふりをしながら、その実「日本神話」をますます強固な信仰にしてしまうような内容だった。まして、オーストラリアでしばしば体験することだが、日本や中国について、日本人や中国人の言葉より、英語国人の「日本解説」や「中国解説」を信じる傾向があるから、非英語圏出身者はしばしば小声で不満を漏らすのである。
もちろん、(ぼくの書いた物も含めて) 日本人海外体験者の「海外体験記」も、これくらいのデタラメさだと予想した方がいいというものだ。
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お笑い日豪メディア・ウォッチ その1

ハルマゲドンまんじゅう

ところはライカート、ノートン・ストリートのバー・イタリア。バーといっても酒類は出ない。ジェラートとイタリア風のクッキーが売物のきわめて甘口のバーである。

国をおん出た寒山がカプチーノの皿を中庭のテーブルに置いたところへ、国を追い出された拾得がカバンを小脇に抱えてやって来た。寒山はカウンターに立つとカプチーノの皿を持って戻り、拾得の向かいに腰をおろした。
寒山「最近何か面白いことはあったかね? 私の方は仕事で使う注文品が届いたのはいいが、中身が注文と違っていたので、苦情の電話をかけたら早速代わりの商品を送ってよこしたことくらいしか話題がない」
拾得「それは珍しくいい話じゃないか」
寒山「ちっとも良くない。代わりに届いた商品も注文とは違っていた」
拾得「ちっとも良くないが、よくある話だ。それはそれとして。昨年の7月のことだ。シドニー・モーニング・ヘラズグチのベン・ヒルズ特派員がアイヌ出身の参議院議員の記事を書いていた。これがまた珍妙な記事だったので、少し興味を持って調べたが、意外なことが分った」
寒山「それなら知っている。萱野茂という人が社会党から立候補して次点になったが、当選議員が死んだので繰り越し当選したという話だ。そんなに珍妙な記事だったのか?」
拾得「ここにコピーがあるからサワリを読んでみようか。『アイヌで、国会や47都道府県議会の議員になった者は他にいない。12人ほどが市町村議会にいるだけで、高級官僚にも専門職にもアイヌはいない。12400万の日本の人口のうち、10分の1%以下の25000人から5万人ほどがアイヌで、ほとんどのアイヌは和人と混血している。この和人というのは現代日本人で、その祖先はアジア北東部から侵略し、アイヌを絶滅した』 まあ、こんな内容だ。萱野茂の発言を引用した部分は大体正しいが、この自分で書いた部分は珍妙としかいいようがない。そこで他の資料をあたってみた」
寒山「マグソコガネのベン・ヒルズなら知っている。見識と品格に欠けた記事を書くことでは前任のピーター・「シモネタ」・ハーチャーに劣らない人物だ。だけどそれは私が本で読んだのとはえらく違っている。また、日本人は事実を教えられていないと言われそうな話だな」
拾得「何だ、そのマグソコガネというのは?
寒山「いるだろう。ファーブル昆虫記に出てくるコガネムシでマグソが大好きというのが。この前も、オウム真理教関係の記事で、『ハルマゲドン』を和製英語で、語源は「Armageddon」だと書いているので笑った。ハルマゲドンの語源はヘブライ語で、hのついた「ハル・メギド、メギドの山」というのが定説だということも、新訳聖書がギリシア語で書かれ、日本語の聖書もギリシア語から訳されたということも知らないらしい。もっとも、このマグソコガネはオーストラリアが世界の中心で他の国は東夷西戎南蛮北狄だと思い込んでいるふしがあるから仕方ないが、オーストラリアの南蛮と言えばペンギンしかいないね。ところでそのベン・ヒルズの言い分だと縄文時代や弥生時代はどういうことになるんだ?
拾得「手近にあった本を調べると、まずSBSの出しているワールド・ガイドという本によればこうなっている。『5世紀頃までには大和朝廷の支配する強力な稲作の王国が本州の中央南部を抑えていた。この王国の住人はミクロネシア人、マレーシア人、蒙古人の混血で、列島の先住民族アイヌを寒い北方に追いやり、ついには北海道島に追詰めた』 まだあるぞ。ロバート・ハーベイの『不敗-日本の興隆と興隆』では、こうなっている。『アジアの沖にある山ばかりの島にはアジア大陸、おそらく朝鮮から渡ってきた植民地主義者が住んでいたが、彼らは先住民族のアイヌを追い払ったのである』とまあ、こんな調子だ。つまり、縄文人はアイヌの直系の祖先であり、遅れて渡って来た、現代日本人の祖先である弥生人が縄文人を根絶やしにしたか、北に追払って、日本列島に住み着いたということになるね」
寒山「もっと聞きたいね。最近は当たり前の話しか聞かないので退屈していたところだ。じゃあ、アイヌはどこから来たんだね。初めから列島に住んでいたわけでもあるまい。それにしても現代日本人の祖先がミクロネシア、マレーシア、蒙古、アジア北東部、朝鮮とは豪勢なものだ。何でも言ってみれば一つは当たるというわけか」
拾得「アイヌがどこから来たかは書いていない。全く疑問にもならなかったようだ。そこで、次に日本で出版されている本で調べてみた。ヨーロッパ人が信じているこの人種交替説の出所は、なんとフィリップ・シーボルトの『日本』らしい」
寒山「長崎出島のシーボルトかい?日本地図を持ち出そうとしてえらい事件になった?
拾得「そのシーボルトだ。彼が、著書の中で、日本列島全体にアイヌが住んでいたが、現代日本人の祖先が大陸から渡ってきて、アイヌを絶滅し、入れ替ったと唱えたらしい。次に現れたのが19世紀後半に大森貝塚を発見したエドワード・モースだ。モースは、アイヌ以前にプリ・アイヌ民族がいたと言い出した。プリ・アイヌがアイヌに絶滅され、アイヌが弥生人に絶滅されたというのだ」
寒山「どうせ、そのプリ・アイヌがコロポックルだというんだろが、彼らがどこから来たのか、もちろん書いていないのだろうな」
拾得「日本の考古学の始まりがシーボルトでもモースでもいいが、それ以後、くぼんだ眼とか毛深い体とか外見が似ているというのでアイヌ・コーカソイド(白人)説やオーストラロイド(アボリジニ)同系説まで現れた。およそ思いつく説は全て出尽くした。火星人説が出なかっただけ救いというものだ」
寒山「つまり、全然分かりません、というわけだ。で、どうなった? 縄文人と弥生人、本土人とアイヌは別人種なのか?」
拾得「戦後の技術革新がここで役に立った。遺跡からの出土品や骨の分析はもちろんのこと、現代人の耳あかや骨相学から始まって、遺伝子、ウィルス抗体まで調べたあげく、今では1万年以上前から何度か様々なグループが渡来して縄文人を形成し、さらには弥生人を形成したと考えられている。基本的には現代の本土の日本人とアイヌ、奄美から沖縄にかけての南島人とは同系統だというのが定説のようだ」
寒山「なんだ。結局本で読んだ妥当な歴史に落ち着くわけか。しかし日本でとっくにすたれてしまった説が未だにオーストラリアで信じられているというのはなぜだろうな。不勉強なだけか、それとも偏見と傲慢か」
拾得「両方だと思うね。縄文時代後期の人口が30万人以下で、弥生人の渡来が1000年間に100万人という説がある。1年に1000人程度だ。それに弥生人の農耕の中心になっている稲作の特徴は労働集中型ということと食料源としては非常に効率が高いということだ。弥生人が縄文人を絶滅しなければならない理由などなかった。ベン・ヒルズの記事にしても、ロバート・ハーベイの書きぶりにしても、こんな悪い連中を祖先に持っているから、現代日本人がろくでもない連中なのも当たり前だ、と匂わせるあたりは手の込んだ人種差別だ。しかもその根拠にしているのがカビの生えたような古い俗説だ。記事にあるような47都道府県議会にアイヌ議員がいないというのはどう考えたって言いかがりでしかない。北海道以外の都府県でアイヌ民族を名乗って議員になる政治的根拠も文化的根拠もないんだから。しかも、そんなことなど誰も知るわけのないオーストラリアで新聞や本に書けばまことしやかに流通するというものだ。ベン・ヒルズがおあつらえ向きにやって見せてくれた、オーストラリア人によくある『ヒューマニズムと差別意識の奇妙な癒着』についてはそのうちにもう少し話してみたいね」

こうして、二人はそろそろイタリア料理店や喫茶店を目指して集まり始めた人混みの中に姿を消した。
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お笑い日豪メディア・ウォッチ その2

他人の失敗に学ばない者は自分も同じドツボにはまる

1995年は第二次世界大戦終戦50周年とあって、8月前後を中心にオーストラリアのメディアは戦争回顧、日本の戦争責任論で持ちきりだった。第二次世界大戦での枢軸国(ドイツ、イタリア、日本)の戦争責任は元枢軸国の国民自身にも反論の余地のないところだが、オーストラリアのメディアに登場した数多の「有識者」は、時流に便乗した「乞食根性」としか思えない無思想ぶりをさらけ出した。今回も本格派乞食の寒山・拾得が「便乗乞食」を親愛の情を込めて批評する。

土曜日の昼下がり、寒山と拾得はキャンプシーの東南アジア系中国料理店でシーフード・ラクサをほおばっていた。
「寒い時には温まる、暑い時には汗が吹き出た後はかえって涼しい。ラクサというのは中毒性があるね。カレーラーメンと言ってしまうのは惜しい」と寒山が言う。
「ココナツ・オイルの代わりに豚骨の脂が浮いていると九州ラーメンのカレー版といったところだよね」と拾得。
「本題に入ろうか。食べ物の話をしているととめどがなくなる」と寒山。
「そうそう、先日、レバノン人の運転するタクシーに乗り合わせたんだが、その運転手が『日本が悪いことをすると45年も批判されるのに、イギリスは700年悪いことをしながら誰も何も言わない』と言うんだ。だから、私は『日本は悪いことをしたんだから、批判されるのは当然だ。ただ、イギリスが700年悪いことをしているのに批判されないのはおかしいというのは賛成だ』と言っておいた」と拾得。
「そうだよね、レバノンに限らず、イスラエル周辺の国にしてみれば、1917年のバルフォア宣言が恨みの種だ。あれはイギリス帝国主義の二枚舌外交の最たるものだった。50年近くもアラブ人とユダヤ人が殺し合ってきたのも発端は1917年だからね。イギリスのアイルランド植民地化も同じことだ。1840年代のジャガイモ飢饉では、23百万人いたアイルランドの人口が半減している。東部のアメリカ・インディアンが自分たちの部族でお金を集めてアイルランドに義援金を送ったという美談まで残っているが、当時、ビクトリア女王が飢えているアイルランド人に5ポンド寄付し、野犬収容所にも5ポンド寄付したというこれもたぐいまれな動物愛護の美談が残っている。ところが当時、病気にやられて不作だったのはジャガイモだけだったんだよ。他の収穫物は不在地主がイギリス本国に輸出してしまった。収穫したばかりの食糧を目の前にしながら農民の家族が餓死していったんだからアイルランド人がイギリスを恨みに思うのは当然だ」と寒山。
「さてと、今年は戦後50周年で大したお祭り騒ぎだったね。いろんな人物がいろんなことを言ってたけれど、大体、誰にも反論しようのないことを絶対安全と分かり切っている場所で居丈高に書きまくることが『有識者』の使命だと思っているのだろうかね」と拾得。
「その書きまくっている時に、ルワンダでは、ヨーロッパ植民地主義の後遺症で二つの民族グループが殺し合いをして50万人が犠牲になっていたし、当の『文明社会ヨーロッパ』の一角ボスニアでも殺し合いと難民移動が4年も続いていたというのは悲劇的な皮肉だよね。ドイツのバイツザッカー大統領の『過去に眼を閉ざす者は現在についても盲目となる』という言葉がもてはやされたけど、あれは自分の過去だけでなく、他人の過去からも学べという風に言われなければならないはずだ。ところで、私たちのように本格派乞食がいい加減なことを言う分には世間も大して本気にしないからいいが、真剣な人が真剣にいい加減なことを言うと危ないよ」と拾得。
「ああ、危ないね。ここにABCラジオの『24アワーズ』という雑誌があるんだが、シドニー大学のリッキ・カーステン女史などもその危ないクチだよ」と、雑誌を引っぱり出しながら寒山が言った。
拾得はそれを取り上げ、ざっと眼を通しながら、「書いていること自体はお説ごもっともという種類のものだが、それにしても修辞が多すぎるね。いかにも外交畑上がりの博士号が書きそうな文章だ」と呆れたように言う。
「率直に言えば、日本は過去の戦争犯罪を状況のせいにしているが、もっとも主体的に責任を引き受けなければならない、ということだね。ここでも引用されている丸山真男がはるか昔に指摘していたが、それ自体は間違ってはいない。ただ、ここに書かれていることよりも、カーステンがここで書かなかったことの方に興味があるね。書かなかった理由に興味があると言い換えてもいい。例えば、丸山真男が全方向から批判されたと書きながら、例に挙げているのは保守側からの批判だけだ。私の理解する限りでは、左からの丸山批判は『丸山は日本文化を侮辱した』というようなものではなかった。『民主主義が人類の普遍的な価値ではあっても、そこに到達する道は個々の国の特殊性によって規定され、西欧民主主義が唯一の民主主義ではない』というようなことだったよ」と寒山。
「それにしても、この論文ではGHQ7年間の占領政策の意味が過小評価されているね。殊に最初の2年ほどの民主化とそれ以後の反民主化の過程でアメリカ政府と旧保守層がどれほど強力な同盟関係を結んでいたかがさっぱり書かれていないし、当時の日本国民の政治民主化運動など全く存在しなかったような調子だ」と拾得。
「そこだよ、カーステンがあえて書かなかったことと言うのは。加藤周一程度を『左翼』と呼んでいるんだから、この人物もとんだ馬脚を現したというところだ」と寒山。
「戦前、自由民権運動が元下級武士の手から庶民大衆の手に移り始めたところで強権によって敗北して以来、敗戦まで国民の意思に関わらないところで国の進路が決められてきた。敗戦後の民主化で国民が主体性を獲得し始めたところでアメリカ政府の意を体したGHQと戦前からの保守権力の連合によって再び敗北させられた。この人には見えないのだろうが、民主主義を推進しようとする日本人にとって、西欧民主主義国政府というのは戦後一貫して『反省しない』日本保守政権の味方だった。カーステンが言及している釈放戦犯岸信介は首相になると日米安保条約を通過させたし、もう一人言及している元海軍将校の首相中曽根康弘は、アメリカ政府に対して日本が常にアメリカの不沈空母になることを約束した。二人とも強固なナショナリストだよ」と拾得。
「丸山真男の左からの批判者には『西欧民主主義も疑え』という考えが基本にあった。カーステンにとってはここが弱点のようだね。修辞をまぶしているけれど妙に居丈高な態度にそれが感じられる。日本政府は戦争犯罪を謝罪し、賠償し、歴史の事実を教えるべきだと思うよ。ただし、その意味がカーステンに分かっているかどうかは知らない。もちろん、明治以後の日本の海外侵略と当時の『西欧民主主義国』の植民地支配の事実を含めて教えた方がいい」と寒山。
「ここにオーストラリアが関わった戦争のリストがある。読み上げてみようか。1860年マオリ戦争、1885年スーダン戦役、1899年ボーア戦争、1900年義和団の乱、1914年第一次世界大戦、1939年第二次世界大戦、1950年朝鮮戦争、マレー動乱、1964年以降マラヤ、ボルネオ、1967年ベトナム戦争、最後がペルシャ湾戦争。このうち自衛のための武力行使は皮肉なことに第二次世界大戦中の対日戦だけで、後は全て植民地主義戦争か、代理戦争だ。カーステンがこれをどのように考えるか、オーストラリアはいつこれらの国の国民に全面的に謝罪し、賠償するのか聞いてみたいね」と拾得。
「他人の失敗に学ばない者は自分も同じドツボにはまるというものだ」

二人は箸を置くと、キャンプシーの人種の雑踏に姿を消した。
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お笑い日豪メディア・ウォッチ その3

天上天下唯我独尊

夏も終わろうとしている日曜日の午後、寒山拾得は珍しくワトソンズ・ベイの浜辺に座って、フィッシュ・ン・チップスをほうばっていた。二人とも半分以上を群がるカモメに投げている。「このフィッシュ・ン・チップスというのは世界で一番愚劣な食べ物だと思うが、つい食べてしまう」と寒山。
「そうだね、まず魚に対する敬意に欠けている。次に客に対する敬意に欠けている。最後にジャガイモに対する敬意に欠けている」と拾得。
「食べ物に向かう時は、魚でも野菜でも、よくぞ私のために死んでくれました。この上はおいしくおいしく料理して、隅から隅まで無駄なく食べ、健康な体になりますから安心してください、と感謝の気持ちを持たなければ駄目だよね」と寒山。
「先々月は正義に対する異常な情熱とか何かつぶやいていたが、どんなことなんだ」と拾得。
「絶対的な正義というものがあると思うか?」と寒山。
「あるかもしれないと思うが、そう聞かれるとないとも思える。例えば人を殺してはいけない、というのは普遍的な道徳律じゃないか」と拾得。
「チャップリンの映画に、なぜ、一人を殺せば殺人者で、百人を殺せば英雄になるのだ、というようなセリフがあったね。その答ははっきりしている。ここでは正義の基準は国家にある。国家の意志に反して人を殺せば犯罪で、国家の意志に添って人を殺せば英雄になる、ということだ。これが元植民地のアジア、アフリカのように反植民地ナショナリズム、民族対立、宗教、政治イデオロギー、経済が複雑にからみあった地域では条件抜きの正義論は、それそのものが不正義になることもある」と寒山。
「例えば?」と拾得。
「オーストラリアに来て間もない頃に出会ったユーゴスラビア人から『オーストラリア人は他国の批判をするのは好きだが、批判されるのは極端に嫌うから気を付けるように』と忠告された。それが本当だと気付くまでにそれほどもかからなかった。最近の例を挙げようか。元連邦総督のビル・ヘイドンが『マレーシアは人種差別を制度化している、中国は人種優越主義者、日本は人種排他主義者』と言ったことが報道された。あたっていなくもないな、と思ったが、それに続けて、『オーストラリアは寛容と非差別の国だ』とあるじゃないか。いい気なものだと思ったね。私は7年近くこの国にいるが、直接間接に差別を目撃したり、受けたりした体験はダースで数えるほどある。一度だが脅迫電話さえ受けた。別にアボリジニの境遇を持ち出さなくても、オーストラリアが寛容と非差別の国だなどとふざけたことが言えるのは、芥川龍之介流に言えば『悪党とあほうだけ』じゃないか」と寒山。

 「脅迫電話とはただごとならないな」と拾得。
「馬鹿はどこにでもいる。ただ、私の言いたいのは、元労働党党首兼連邦総督ビル・ヘイドンの態度こそ巧妙な人種差別だと言うことだ。私は中国人、台湾人、朝鮮人、韓国人、沖縄人、未解放部落民の友人にかけて言えるが、日本人にも差別者が大勢いる。私たちだって例外じゃない。日本で差別されている者たちも状況次第で差別者になると思った方がいい。同じようにオーストラリア人のかなりが差別者だ。しかもこの『彼らは悪い、自分達は正しい』という態度こそオーストラリアで根強い差別意識だ。幸いなことにビル・ヘイドンは、家庭内暴力だとか、核兵器問題とかで馬鹿なことを言い、ボブ・ホーク元首相のナニのサイズについて書いたというのですっかりその人柄を疑われるようになってしまったが、未だにインドネシアに原子炉はいらないとか、スハルトの後は信頼できないとか、まるでインドネシアが自分の領土みたいな発言を繰返している。ここに偉そうなことを言う一部のオーストラリア人のもう一つの問題がある。未だに『自分達(ヨーロッパ人)こそ世界を監督する天与の権利がある』という帝国主義者根性が抜けていないことだ。大体、マレーシアにしろ、インドネシアにしろ、アジアでその人種差別や人権軽視を温存し、強化し、利用して利を得てきたのはイギリス、オランダ、ポルトガル、フランス、スペイン、アメリカの欧米民主主義と日本だぜ。敗戦後にインドネシアに残っていた日本兵をインドネシア独立運動弾圧に使って、日本兵を戦死させたのはオランダ政府だ。1950年代から60年代にかけて親中共派の中国系マレー人の多いゲリラを弾圧するためにマレーシアに軍隊を駐屯したのはオーストラリアだし、その後も1960年代にスカルノ失脚からインドネシア共産党員50万人の大虐殺に至る前後にインドネシアとマレーシアの緊張に介入したのはオーストラリアだ。インドネシアと示し合せて東チモール処分で利権を狙っているのも当のオーストラリアだ。これで何を偉そうに言えるのかね」と寒山。

「随分過激になってきたな」と拾得。
「別に目新しい話じゃない。歴史学者のマニング・クラークはその本の中で、『オーストラリア人のゆがんだヒューマニズム』という表現をしている。昔シドニーにJ.F.アーチボルドという御仁がいた。今でもハイド・パークの噴水と州立美術館の似顔絵コンテストに名を残しているジャーナリストだ。この人物はブレティン誌の創立者で共和主義者、オーストラリア国粋主義者、博愛主義者という評価さえある。そのアーチボルドが188772日のブレティン誌に『オーストラリア人のためのオーストラリア』という宣言を書いている。その一部を引用してみようか。『オーストラリア人という言葉はただオーストラリアで生まれた者を言うのではない。きれいな前歴を持ってこの浜辺にたどり着いた全ての白人男子、旧世界の階級や宗教的な違いを捨ててきた者たち、新しい国の幸福と繁栄と前進を帝国主義の利害よりも優先する者たちこそオーストラリア人だ。オーストラリア人と共和主義者は同義語である。黒人、中国人、東インド会社の使用人、カナカ人、有色人種の安労働者などはオーストラリア人ではない』というものだ。とんだ博愛主義者じゃないか。ビル・ヘイドンの発言でも分る通り、この精神構造は全く変わっていないぜ。オーストラリア人がオーストラリアをどう思おうと勝手だとも言えるが、このゆがんだヒューマニズムで他国を批判するが、自分は批判されたくないというのだからタチが悪い。私の経験した限りではオーストラリアの大知識人はこんな馬鹿なことを言わないし、庶民はこのようなことには関心がない。一番始末に負えないのはハンテリだ」と寒山。
「そのハンテリというのは何だ?」と拾得。
「半分くらいインテリという連中さ」と寒山。

「オーストラリア・デーの前日にアボリジニ・シンガーのクリスチーン・アヌーが『あたしたちは、過去の残虐行為を認めようとしない日本人のようにはなりたくない。オーストラリアでは過去の問題もオープンに話し合うことができる』とインタビューに答えていたね。オーストラリアのアボリジニは非アボリジニよりも20年寿命が短くて、20倍以上も失業率と服役率が高いなどという現実を忘れて、白人主流派におもねているとしか思えなかったね。『過去の残虐行為を認めようとしない日本政府』と言うなら幾分か賛成できるが、日本人とくればどれだけ日本国内の実情を知っているのか、と聞きたいところだ。しかも、このインタビューでは『日本人』を持ち出す必然性が何もなかった」と拾得。
「日本だけでなく、アジア、中近東、アフリカなどの国をそんな風にさりげなく引合いに出して、脈絡なく偏見と差別でおとしめてみせるというのはこの国のハンテリの常套手段さ。必ず、誰にも反対できない人権や正義や環境保護を表看板にしているから、真っ向から文句を言える者も少ない。批判するとまるで人権や正義や環境保護に反対しているように見えるカラクリだ。それが巧妙なところさ。さっき、絶対的な正義というものがあるか、と聞いたのもそんなわけさ。そのうちにオーストラリアの環境保護論者と人口抑制論者の反動性も話してみたいね」と寒山。

「ところで、さっきの脅迫電話の話だが、どんなことがあったんだね」と拾得。
「ああ、シドニー・モーニング・ヘラルドの投書欄に、オーストラリアを旅行した中国系アメリカ人の体験として、あちこちでツアー・ガイドがアボリジニと日本人の悪口を言うのを聞いた。『アボ』とか『ジャップ』と言う言葉が出る度に虫酸の走る思いがした、と語っていたというのがあって、私が、一人の日本人としてこの国の先住民族と共に差別されて大層名誉に思う。なぜなら、差別というものは差別される側の問題ではなく、差別する側の問題だからだ、と、それに続けて、先のブレッティンの宣言を引用して、オーストラリアでは右翼はいうまでもなく、環境保護論者も組合主義者も左翼も「ブレッティンの呪い」から自由ではないと投書したのさ。投書が掲載された当日の朝早くに男の声で「日本人は日本に帰れ、黄色い馬鹿野郎。カンザン、ハハハハ」だとさ。何者だ、名を名乗れと言ったが、名乗らなかったね。アボリジニの友人にその話をしたら、『オーストラリアのどん底を見ましたね、カンザンさん。心配ないね、私たちは200年間見てきたんだから』って言ってたよ」と寒山。

フィッシュ・ン・チップスの袋は空になり、カモメも他の餌を求めてすっかり姿を消していた。陽も落ちて、すっかり夕暮になっていることに気付いた二人はブルッと身震いすると、サーキューラー・キー行のフェリー埠頭に足を向けた。
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お笑い日豪メディア・ウォッチ その4

贅沢修業

今回も寒山と拾得はワトソンズ・ベイでフィッシュ・ン・チップスをほうばっている。

「先日、日本の友人が、ブリスベンのはずれの町にパーマカルチャーという農法の講座を受けに来たついでに私のところに立ち寄った。世界中から集まった受講生やその土地でパーマカルチャーを実践している人達を知るうちに矛盾だらけなのにあきれ果てて、ついにパーマカルチャーをやめてしまったよ。しかも、彼女が閉口したのは、ことあるごとに『日本人はああだ、こうだと』と言われることだったと語っていた。夕食はライ麦のクラッカーにチーズを載せたものとリンゴ1個というイギリス女に『日本人は大食らいだ』と言われたとか、アボリジニの生まれ変わりと称する仙人のようなイギリス男に『日本人は心を失った。アイヌのところに行って教わりなさい』と言われたとか、彼女が食器を洗剤で洗った後で水でゆすいでいると、オーストラリア人に『日本人は水を無駄遣いする』と言われたとか、もう一人には『日本人は自分の国の森は大事にするがよその国の森を伐り倒している』と言われたとか、すごいよね。よく知っていると言うか、日本がやたらと気にされているということだけは確かだ」と拾得。
「今、挙げただけでも全てでたらめだね。事実を挙げて反論することができるぜ。私からみれば、もう全ての現実的な裏付けを失って、過去の栄光だけに生きている没落貴族の底意地の悪さだよ」と寒山。
「そう言えば、オーストラリア人の友人が『なんで、日本人は、金持ちが持つような高価なブランド物を買いたがるんだ』と観光客のグループを見て、からかい半分に言ったことがある」と拾得。
「私もそのような考えに冒されていた時期があったから言うのも恥しいが、とんでもない勘違いさ。デザインのいい物、質のいい物を持ちたいというのは自然な欲求だ。一般大衆が、かつては金持ちしか買えなかった高級品を買えるようになるというのは、オーストラリア人が誇る平等主義の視点から言っても、本来いいことなのさ。あれは金持ち向けの物、これは一般大衆向けの物と固定して考えることこそ反動的退行的な意識だぜ。もっとも私は、オーストラリアを日本よりも頑迷な階級社会だと思っているから不思議でもなんでもないが。ちなみに言うと、一国内の所得格差を測る指標に最高20%と最低20%の比を見る方法がある。日本はこの数値が約4倍で先進諸国中では一番小さい。言い替えれば貧富の格差が一番少ないのだが、オーストラリアは約10倍で先進諸国中最悪だ。これが何を意味するのかを、偉そうに日本批判をするオーストラリア人一人一人に聞いてみたいと思うことがあるね。最近のOECDの発表では、韓国と台湾が経済的に豊かになるにつれて、日本と同じ所得平準化の方向に向かっている。別に日本が特別上等な国だとは思わないが、少なくともオーストラリアのつまらない一部の連中からつまらない言いがかりをつけられる筋合いはないと思うね」と寒山。

 「だいぶ前のことになるが、「シンプリー・リビング」という雑誌が、2号まとめて1号分という帯付で本屋に並んでいたので買ったのさ。妻の話だと随分昔から出ている雑誌で、当時はこんなにヤッピーじゃなかった、というほどの環境にやさしいヤッピー雑誌になっている。一冊はブリジット・バルドー特集で一冊は核実験特集だった」と寒山。
「ブリジット・バルドーなら、私財を投げうって動物保護財団を作ったけれど、ろくに活動もしないうちに、財団職員の給料だけで資金が底をついてしまったという話を昔読んだことがある。その職員連中に食い物にされたなという感じで笑った。もっとも本人もずいぶんな発言で世間を賑わせたが」と拾得。
「話が逸れたな。そのシンプリー・リビングに、いかにも『あたしは日本に行ってきました』風の記事があった(Simply Living, 19952)。クィーンズランド出身のジャーナリスト兼環境保護論者シャナ・プロボストという人物だ。私たちがからかうにはいたましいほどのウブさだから、ここで取り上げるのもいやなのだが、『あたしは日本に行ってきました』風の連中がたいていの場合、日本に対する誤解を解消するどころかむしろ強化するということと、オーストラリアの環境保護論者の無知さ加減を示すいい例だからということでまな板に載せよう」と寒山。
「同じ時期に東京特派員をしていたジ・オーストラリアンのリチャード・マグレガーとシドニー・モーニング・ヘラルドのベン・ヒルズがそれぞれ本を書いたらしくて、書評を巡って醜い争いをしていたね。目くそ鼻くそという印象がないでもなかったが。あの連中も『あたしは日本に住んでいました』という顔をして、随分日本誤解を増強していたね」と拾得。
「えい、また話が逸れてしまった。まあ、そのプロボスト女史の書き出しからして面白い。『日本で3週間、13ドルのオレンジと18ドル50セントの泥水のような味のコーヒーを飲んで過ごした後では、オーストラリアに戻って、つくづくラッキー・カントリーだなと実感した』というわけさ。君の友人に13ドルのオレンジと18ドル50セントの泥水のような味のコーヒーを毎日楽しめる者が一人でもいるかい? 私の知合いの中にはいなかったね。この人物は自称環境保護論者で日本の農業について書いているが、この書き出しからして一度も現実に泥水をなめるような暮らしをしたことがないことを白状したも同然さ。オーストラリアにはこの手の環境保護論者が有機肥料になるくらいごろごろ転がっている。次に『日本は人口過密で、環境問題が悩みの種で、資源を外国との貿易に頼っている』と書いている。ヨーロッパ人が、もともと世界の一地域でしかないヨーロッパの世界観をどれほど普遍的な世界観と思い込んでいるかということを白状しているね。本来、その土地が支えられる以上に人口が増えることはありえない、というのが正解だ。日本でも都会から遠く離れればすさまじいほどの過疎だということは誰でも知っているし、国民の大方は安い番茶を飲み、13ドルの温州みかんを食べていることも周知の通りだ。ついでに言えば、明治になるまで現在の半分以下の人口で、現代と比較すればはるかに貧しかったが、ほぼ100%自給自足だったことは自明だ。なにしろ、鎖国していたんだからね。しかも明治時代の日本は資源輸出国だった。つまり、この人の理解に反して、実は技術と交易手段が発達したために、今ほどの人口でも飢えず、長寿国になることができたのだということさ。次の機会にオーストラリアの人口抑制論者の隠れファシストぶりを話したいね」
「だけど、オーストラリア人は、日本の繁栄が発展途上国を犠牲にして成り立っていると言うぜ」と拾得。
「ああ、言えば言えるさ。だけどその点ではオーストラリアも同じだ。そのことでオーストラリア人に日本を批判する資格は全くない」と寒山。
「プロボストが言うのは、オーストラリア人は国内の資源でまかなっているが、日本は資源を外国から輸入しているということじゃないか?」と拾得。
「一つには諸国間が特性を活かした産物を交換する貿易は正常で正当で合理的な経済行為だということ。もう一つは現代の世界ではどの国の経済も全てリンクしていて単独で完結していないから、自分は直接加担していないから無罪だと言う主張は成り立たないと言うことだ。日本のGNPの貿易依存率は1991年度では輸出が9.2%、輸入が6.3%OECD諸国ではアメリカに次いで低い。オーストラリアは15.3%14.7%だ。これは日本国内の物価ということを考えてもまだ、おつりが来るほどの大きな違いがある。もう一つ、オーストラリアを含めたイギリス系諸国の個人あたりのエネルギー/資源の消費量は日本人と比較して約2倍くらいになるという事実がある。廃棄物の量もこれに比例している。リサイクル率を見れば、日本の48%に対してオーストラリアは30%だ。これに先ほどの国内所得格差や失業率を考えに合わせれば、オーストラリア人の自画像がどんなにゆがんでいるかが分るというものだ。ところで、プロボストは日本の原発にも触れている。『日本には既に42基の原発があり、今後数年以内に30基の高速増殖炉を建てる計画がある。それも僻地だけでなく、都市部にも建てる予定だ』などと読んでびっくりしない日本人が一人でもいるかい? 常識があれば自分でおかしいと思うはずのことを平気で書けるのもこの手のブリンキー・ビル・ナチュラリストの知的欠陥さ」と寒山。
「何だい、そのブリンキー・ビル・ナチュラリストと言うのは?」と拾得。
「ああ、オーストラリアのコアラ・キャラクターのブリンキー・ビルの一番新しいストーリーでは、原生林の伐採でブリンキー・ビルの一家が住み家を追い出されたことになっている。問題は、オーストラリアの環境保護論者に『自分達もその片棒を担いでいる』のだという徹底した意識が欠けていることだ」と寒山。
「私の友人も、パーマカルチャーの連中が、工業製品を造ったり、売ったりする者を『敵』呼ばわりするので、ついにたまり兼ねて『工業も人類が長い歳月をかけて、自分達の暮らしを良くしたいと思ってやってきたことが積み重なってここまで来たので、自分達もその恩恵に浴してきたのじゃないか。それを奴等と俺らみたいに分ける考え方は駄目だと思う』程度のことを言ったらしいね。その日から、連中は彼女のことを『深遠な哲学者』と呼ぶようになったとあきれていたよ」と拾得。
「もちろんこのブリンキー・ビル・ナチュラリストは林業についても書いている。『皮肉なことに日本の森林は危機に瀕している。伐りすぎたからではなくて、森の世話をする労働力が林業から去っているからだ』というのは正しいが、少し後に『林業労働者は50歳以上が70%を占め、山里は急激に人口過密化している』と書いている。出産年齢を過ぎた人口が70%を占める土地でどうすれば人口を過密化できのか知らないが、日本は実に神秘的な国だよね。林業労働者が減っていることを経済の発展から見ることができないのかね。もっとも環境保護論者に欠如しているのは、人間の歴史が、自然を自分に合わせて加工することを知った時から、飢えや寒さや自然の脅威と戦い、できるだけ快適になりたい、豊かになりたいと言う集団的な意志で活動することでここまで来たのだという必然性を理解していないことさ。だから『時間よ、止まれ』と呪文を唱えると、時間が止まってくれると思い込んで、他人にも思い込ませたがっている。こういうのを普通は復古派、反動派、ラッダイトと言うんだぜ。しかも悪いことには、この連中は自分だけは快適で豊かな、18ドル50セントの泥水コーヒーが飲める生活をしながら、他人には快適で豊かな生活をするなとお説教したがる。『私の言う通りにせよ。私のする通りにするな』というわけさ。もっとも私のアボリジニの友人はヨーロッパ文明を『体系化された偽善』と呼んでいたがね」と寒山。
「パーマカルチャーの講座を受けた友人も、アボリジニの生まれ変わりと称する仙人のようなイギリス人が田舎道を車を運転してやってくるのに出会って、頭の中でシャボン玉が弾けたようだったと言ってたね」と拾得。
「プロボストは次に漁業にも触れている。『日本では、これまでスシ(生魚)を朝食、昼食、夕食に食べてきた』とさ。私もスシは好物だから毎日朝飯昼飯晩飯に食べてみたいね。続けようか。『鯨やイルカは今でも食べているが、非常に高いので老人だけが食べるステータス・フードになっている』だとさ。海洋資源が枯渇していることを言いたいらしいが、私は11歳の少女の新聞投書を思い出したね。いいか、『皆がボンダイビーチなどで磯の生き物を採るので、生き物が姿を消しています。食べたければスーパーマーケットで買えるのだから、海の生き物を採らないでください』というようなことが書いてあった。11歳の少女なら笑って済ませられるが、親が子供の名を騙って書いたことは見え見えさ。酪農もプロボスト博士の守備範囲に入るらしい。『日本人は霜降りを好む。これは高脂肪食で育てた牛の脂肪分の多い肉で、非常に高く、500グラムで110ドルくらいする』とね。もちろん、通りが黄金で敷き詰められているジパング国だからこれくらいの値段なら屁でもないさ」と寒山。
「最後に霜降りを食べたのはいつだったかな。いや、生まれてこのかた、神戸牛も松坂牛も食べたことがあったかどうかさえ思い出せない。日本にいる時はもっぱら安いオージー・ビーフで、一食に50グラムも使えばいい方だった」と拾得。
「プロボスト教授はもちろん農業も詳しい。米の有機栽培を取り上げて、『有機栽培の田は化学肥料の田よりも強く、生産量も大きく、環境にもやさしい』とね。ところが、日本政府が馬鹿げた規制を敷いているので、有機農業を難しく、また高価にしていると言う。その次あたりでまたもや支離滅裂になってくるぜ。『一握りの有機栽培農家が会員5万人の日本エコロジー・ネットワークに作物を出荷していて、メンバーは週に平均9000円を有機作物に使っている。需要が供給をはるかに上回るため、必然的に有機作物の価格は非有機作物に比べると30%ほど高くなる』だとさ。さっき、政府が規制するから高くなるのだと書いたばかりじゃないか。有機栽培作物の流通システムから言えば、価格が単純な需要供給の原理に支配されるというのもおかしいし、それならなぜ他の農家も有機栽培に切り替えて30%高値で売らないのかという疑問にも答えていない。有機栽培作物が高いのは生産コストが高いからだぜ。しかも、一握りの農家で、30%高い食糧を買える裕福な5万人を賄っているのだから、その5万人は有機作物ばかり食べているとは思えない。まあ、先を読もうか。『日本には有機農業を教える専門機関がないため、有機農家はボランティア・グループで農法を研究し、伝統的な農家は親から子供へと受け継いでゆく。日本エコロジー・ネットワークではもっと進んだ有機農法の国との交換訓練プログラムに熱心である』とさ。このもっと進んだ有機農法の国というのが、オーストラリアのパーマカルチャーでないことを祈るだけだ。まあ、この人は『日本は、乏しくなるエネルギー資源、人口過密、公害、過剰な漁獲に取り組むことを強いられているが、それを解決するのは唯一、有機農法だろう。政府がそれを助けるならばだ』と結論している。ほとんど非合理ぶりもここにきわまる、としか言えない。なぜ有機農法がエネルギー資源や人口過密や海洋資源の枯渇を解決するのか私にはとんと理解できない。一般消費者から言えば、何が有機作物の高値の原因であろうと、わざわざ高い食物を食べる気にはならないことは当たり前だ。好きでやる分にはとやかく言う気はないが、それで一国の食糧供給からエネルギー資源まで解決できるようなことを言えば新興宗教並みだ。統計をみると、世界の先進国ではこの20年ほど農業人口は激減しているが、農業生産は横ばいだ。次に有機も無機も合わせた肥料消費量を見ると、1ヘクタールあたりで日本が400kg、これより大きい国は韓国、北朝鮮の460Kg416kg、アイルランドの730kg、オランダの600kg、ニュージーランドの880kgなどがある。オーストラリアは23kgで非常に低い。これに対してヘクタールあたりの収量を挙げると日本が5847kg、韓国5706kg、北朝鮮6685kg、アイルランド6260kg、オランダ6827kg、ニュージーランド5052kg、オーストラリア1764kgとなっていて、作物の種類は分からないが、施肥量と収量に強い相関性がある。しかも施肥量の大きい国は狭い国土で高い収量を上げる必要に迫られている国だということが分る。日本とオーストラリアを比較すると17倍の肥料を撒いて、3.3倍の収量というのは効率が悪いように見えるが、これは日本の収量がほぼ面積あたりの飽和量に達しているということで、地味さえ良ければ肥料をやらなくても1.7トン程度の収量は確保できるが、それ以上に増やそうと思えば気象や土壌の条件以外には施肥を増やすしかないらしいことが分かる。この数字をどういじくれば有機農業で全てが解決できるような結論が出るのだろうかね。この記事には『日本-オーストラリアの未来の窓』という表題がついていて、『オーストラリアもうかうかしていると日本のようになりますわよ』と言いたいらしいが、日本人がオーストラリア人の暮らしぶりを真似ていれば、とっくに日本列島は破滅していただろうことは確実さ。少なくとも、与えられた現実的な条件の中でどれだけのことをやっているかと考えた場合、日本がオーストラリアの一部のつまらない連中に批判される筋合いなどないのは当たり前さ。オーストラリアがラッキー・カントリーで、それを黙って楽しんでいる分には、他人は羨ましがりさえすれ、別にとやかくは言わないさ。ただ、そのラッキーさをさも自分の手柄のように思い込んで、偉そうに他国の批判を始めると、自分のトンマさを見せびらかすことに終わるだけだということをしみじみと噛みしめた方がいいね」
「だけど、このような錯覚はプロボスト女史一人のことじゃない。私の見聞する限りでは、オーストラリアの環境保護団体のほとんどがこの無知迷妄の世界の住人だ。ボブ・ブラウン博士だとか、ピーター・シンガー教授だとか、オーストラリア勲章持ちのペネローペ・フィギスだとか、権威主義的な肩書きで圧力団体活動や小政治屋活動に明け暮れている連中に指導されているオーストラリアの環境保護運動を批判する者が少ないのは、別に活動が立派だと思われているからではなくて、目の前の生活に必死な市民にしてみると、相手にするのも大人げないと分っているからで、私たちのような暇人だけが遊び半分に付き合っているだけさ。ピーター・シンガー教授など、最近では、『重度の身体障害者の生きる権利が自明だと思わない方がいい』と書いたというので、ドイツで猛烈な抗議を受けたという報道があった。どうだ、一つ町に出て、ごちそうでも食べないか? 鯨も霜降りもないだろうが」と、残りのチップスをかもめに投げながら、寒山が言った。
「よしきたと言いたいところだが、懐具合がちょっとね」と拾得。
「私もそうさ。駄目だなあ。私たちもまだまだ贅沢修業が足りない」と、二人はフェリー乗場に向かって、落日の中を歩き出した。
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お笑い日豪メディア・ウォッチ その5

ポーリン・ハンソン、ポーリン・ハンソン、ポーリン・ハンソン

小春日和の日曜日、寒山と拾得はサーキュラー・キーからメドウバンクに向かうフェリーのデッキに座り、埠頭の売店で買った紙コップの紅茶とサンドイッチ、果物の袋を傍らに置いて、川岸の風景を眺めていた。別にメドウバンクに用事があるわけでなく、景色を見ながらのんびりと船旅でもしようか、ということで往復2時間ほどの小旅行になったのである。どこまでもリッチさに欠けるのである。

寒山「先日、テレビを見ながらいつの間にか居眠りをしたらしい。奇妙な夢を見たんだ。テレビのコマーシャルのせいか
もしれないが」
拾得「どんな夢だったんだ」
寒山「オーストラリア人が、自国が決して立派でもないのに他国を批判した時に、批判された側がポーリン・ハンソンの名を三度唱えるとね、そのオーストラリア人が突然ケーントード(cane toad: がま蛙の一種。クィーンズランド州でサトウキビ栽培が始まると、サトウキビの根を食い荒らす芋虫の害が広がった。そこで誰かが南米から「芋虫を捕らえて食べるはず」のがま蛙を輸入して放した。がま蛙は地中の芋虫など見向きもせず、地上で殖え満ち、芋虫以上の害をまき散らし始めた。1988年当時はまだクィーンズランド州内にとどまっていたが、2005年現在、ニューサウスウェールズ州北部やノーザンテリトリーにまで広がっている)に変身してしまう」
拾得「なるほど、それは正夢かも知れないぜ」
寒山「詳しいことは今月号のニュースを参照することにして、『日本、中国、マレーシアが人種差別国で、オーストラリアは非差別国だ』とのたまったビル・ヘイドン前連邦総督閣下がポーリン・ハンソンを非常に好意的に評価し、評価された人物がまごうことない人種差別意識を連邦議会でご披露に及んだわけだ。私の夢が本当になれば今ごろクィーンズランド州だけではなくて、キャンベラもがま蛙が飛び跳ねる世界になっているだろうね」

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寒山「事情を知らない読者のために少し説明するのが親切というものだ。このページの筆者が『オーストラリアの人種差別主義』で取り上げた右翼「四人組」の一人ポーリン・ハンソンの連邦議会での初演説だね。これには面白い余話がある。筆者は同じ記事で前連邦総督ビル・ヘイドンが『日本、中国、マレーシアは人種差別国でオーストラリアは非人種差別国だ』と発言したことにも触れている。このビル・ヘイドンが、「ジ・インディペンデント・マンスリー」の最終刊となった7月号でポーリン・ハンソンを高く評価している。要点は、政府の政策が少数の声の大きい中間階層グループの「Political Correct」に振り回され、社会の主流である労働者階級と、質朴な中間階層が忘れ去られているというで、その忘れ去られた人々の代弁者としてポーリン・ハンソンが立ち上がったということなのだが、ポーリン・ハンソンの議会演説の要点を挙げると、『オーストラリアはアジア人に乗っ取られようとしており、10年か15年で取り返しのつかないことになるだろう、北には25000万の日本、12億の中国、10億のインド、25000万のインドネシア、3億のマレーシアが控えており、アジア人の大群に侵略されようとしている。アジア人は同化せずにゲットーを作っている。オーストラリアの産業は国際金融資本に乗っ取られようとしている。アボリジニや母子家庭、失業者の福祉を停止せよ。若者は軍隊に入れてたたき直せ。国連から脱退せよ。海外援助を停止し、税金を雇用創出のために使え』と、その無知と妄想と人種差別意識は現代オーストラリアの住人とは思えない。これは正真正銘の国家社会主義の論理だぜ。オーストラリアを取り巻く世界の状況がファシズムの勃興を許さないことが唯一の救いだがね。ところが、もっと大きな問題は、この無知と妄想と人種差別を支持する声がオーストラリア社会に大きいという報道と、一部の政治家とコメンテーターを除いては、連邦首相以下ほとんどが沈黙していることだよ」(議会演説内容はシドニー・モーニング・ヘラルド913日付、ジェフ・キットニー、同17日付、ジェラード・ヘンダーソンの記事より)

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拾得「ビル・ヘイドンがハンソンを評価するというのも面白い。何だか化けの皮がはがれたと言う感じだね」
寒山「しかし、何だな。今まで『俺が国が一番』と散々外国を批判してきた連中は何をやってたんだろうかと思うね。私は日本が上等な国とも思わないが、下等な国とも思わない。ところが、世界的に知られたオーストラリア人の外国批判癖を見て、では、いつも自分の国を批判していなければ安心できない日本人の劣等感と、いつも他国を批判していなければ安心できないオーストラリア人の劣等感とどちらが根深いか、というのが今の正直な疑問さ」

拾得「少し前にリチャード・マグレガーの『Japan Swings』という本を読んだが、良く分らないね」
寒山「私も、ベン・ハルマゲドン・ヒルズがボロクソにけなしていたから少しは面白い本かもしれないと思って読んだが、読みながら、あれ、この文章、誰かの本で読んだことがあるなあ、とデジャビューいっぱいだった」
拾得「表紙を見て、今までの日本観察から一歩脱皮しているのかと思ったが実際にはもう一枚皮を羽織ったというところだね」
寒山「私が読んだ『科学的日本人論』では一番退屈な本だ。一部に面白いところもあったが。例えば、伊勢が四国のはずれのどこかにあるという説明なんてね」
拾得「この本では、日本人であれば日本ナショナリストとか右翼、非日本人であればアポロジスト(弁護派)とかレビジョニスト(歴史修正主義者)とか、検討なしに陳腐なラベル付けして片づけているのがジャーナリスト的だね。私達もラベル貼りはするが、いつもオリジナリティを心がけている。それに日本国内でもかなり批判されているような人物を並べて、これが日本を代表する顔ぶれみたいな書き方だ。外国の日本観察者が注意しなきゃいけないのは言葉の問題だよ。これは日本人が外国を観察する時にも言えることではあるが。英訳された資料や上手に英語を話せる日本人に頼っているとかなり偏った意見しか得られない。入ってくる情報の偏りを常に測っておくのは観察者の心得だ。もし、英語力が国際人の必須条件だと言うなら、英語はイギリス帝国主義を通じて国際語になったという事実も観察者の基礎知識だ。マグレガーはまえがきで、日本理解の難しさというようなことで書いているけど、このまえがきだけで本文を読まなくても充分だよ。観察される方が観察する者の便宜を図るのが義務だとでも思っているんだろうかね? 内容はどれも一読したところではもっともなことのように見えるが、分析しながら読むと、私などは全く正反対の位置から見ているなということがよく分る。この人物の記事は水戸黄門みたいなもので、悪代官に向かって『民百姓をいじめるのはよしなさい』などと言って大向こうの喝采を待っているが、民百姓の側から見れば、『黄門さん、あんた悪代官の大元締めの親戚じゃないか』と叫ばずにいられない」
寒山「私が村に入っていって、村人の生活を観察するとしよう。村人には彼らの慣習を説明する義務は全くないし、基本的に観察者というのは、観察される側にとってはうっとうしい存在だ。知られたくなければ私に嘘をつくことさえあるし、私が村人だけに分る冗談を真に受けることもある。私には、嘘をついたり、からかったりする村人をどのような意味でも非難する権利も泣き言を言う資格もない。私の観察が正しいかどうかはひとえに私の洞察力と理解力にかかっている。それだけの覚悟がなければ、他の『人々』を理解するなどと言い出さない方がいい。それにこの本に書かれている様々な政治的・社会的矛盾など縄文時代から数えて12000年、弥生時代から数えても2000年のうちのたかだかこの100年という短いスケールの話だぜ。今から100年もすればまた変わっているはずさ。まして、オーストラリアや欧米に矛盾がないと誰が言う?
拾得「この本では散々金持国日本ということが書かれているよね。家庭を持っていれば誰でも分ることだけれど、結婚したばかりで子供も生まれる、耐久消費財も揃えなきゃいけないという時は月収3000ドルでも苦しいよね。ところが、30年もたって食費や光熱費や時々の出費で済むようになると2000ドルでも楽だ。欧米は300年間の植民地からの富や19世紀に10歳の少年を炭鉱で働かせ、散々自然破壊をして蓄積した財産で暮しているが、かつての植民地は奪われた富の上に今から蓄積しなければならない段階にある。日本は植民地にはならなかったが、はるかに遅れて近代化を始めてやっと追いついた段階じゃないか」
寒山「その通りさ。自分達の消費は高い生活水準だと自慢しておいて、日本の労働者は『消費文明の歩兵』などと表現するあたりに、ポーリン・ハンソンなどの単純素朴な差別意識とひと味違う『ハンテリ』の陰険な差別意識を感じるよね。彼らが実質的に言っているのは、貧しい国の人間は、自然を守るために、欧米の豊かさを指をくわえて見ながらいつまでも貧しい暮らしをしていろということだぜ。私がオーストラリアの環境保護運動家を反動派と決めつけているのもこの理由からだ」
拾得「それにしても、いつも感じるけれど、この物書き連中というのは人間も歴史も社会も捉え方が平板だね。見事なほどダイナミックな把握に欠けている」
寒山「それが、明日の飯に困ったこともなく、言葉だけ並べて世界を理解したつもりの『ハンテリ』の欠点さ。ことあるごとに日本側が『文化、伝統の違い』を出すことにマグレガーはいらだっているようだが、それはマグレガーの考えの足りなさだ。現在の国際関係がヨーロッパで確立したものである限り、その規約や慣習は、世界の一地域でしかないヨーロッパの文化と伝統を背負っている。もともと一地域の文化と伝統を背負っているものが普遍性を装う時、その文化と伝統の外にある者が常に『文化、伝統の違い』を意識させられるのは当然だ。オーストラリアの『ハンテリ』はいつになれば『世界の宗主国意識』から自由になって、一度徹底的に『文化的相対主義』にまみれてみることができるのだろうね。マグレガーの本で一言言っておかなければならないのは、ペルシア湾戦争と国連軍のカンボジア派遣の部分だ。マグレガーはアメリカ主導のペルシア湾戦争が正しいという前提に立って、日本を批判している。私からみれば、日本は掃海艇を含めて一切の出動も173億ドルという拠出もしてはいけなかった。日本国民の税金を、戦後のイラクを含めた人道援助のためにのみ使うべきだった。批判されている日本政府の無様な対応は、アメリカ同盟諸国の圧力と(世論調査から判断して)日本国民の戦争不介入への圧力の板挟みになった結果だったと思うが、私は日本国民の意志を支持するね。マグレガーはフランシス・フクヤマとコンダン・オーを引用して『日本は、金で尊敬を買うことはできないことを学んだ』と書いているが、武力で尊敬を買うことができないのも自明の理だ。カンボジア派兵ではマグレガーはもっと陰険だ。『日本は初めての海外派兵をしたが、武士らしい行ないではなく、快適な宿舎と持参した日本風浴槽で知られるようになった。しかし、何人かの市民警察官が殺されると、いにしえのサムライの姿はいずこやら、兵士は撤退を願い出た』という表現だね。人死にに対して悪趣味な軽さを装ったこの一節にマグレガーの人種差別感情がむき出しになっている。すっかり支配者の発想を受け入れ、生身の人間を将棋の『歩兵』のように扱うことに馴れ、底無しの頽廃にはまっているのはマグレガー自身だぜ。私の知る限り、殺されたのは民間ボランティア一人と市民警察官一人だ。初めから行くべきではなかったが、いにしえのサムライなど気取らず、さっさと撤兵したことで、私などむしろ日本人を見直したくらいだ。お命大切、生活大事、勇者になるのはマッピラゴメン。それが日本人が先の戦争で学んだ一番大事なことだ」
拾得「では、マグレガーに向かって、ポーリン・ハンソンを3回唱えようか?

それでは、リチャード・マグレガーがケーントードになったかどうかは次回のお楽しみ。
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お笑い日豪メディア・ウォッチ その6

ガマとイルカとペリカンのいる風景

香港にいるリチャード・マグレガーはケーントードにならなかった。連邦首相に「いないふりをすればすぐに消える」と言われたポーリン・ケーントード・ハンソンは未だに健在で毒を吐き続けている。ベン・ハルマゲドン・ヒルズの後任のラッセル・ガイコツ・スケルトン東京特派員は、良心と戦いながらミンク鯨の味噌汁を啜(すす)って、「支持はできないが理解はできる。まったりとしてまことに旨(うま)い」と報告し、16日には伊豆半島富戸(ふと)のイルカ漁を、切断されたイルカの首の写真入りで華々しく報道している。「知識人は論理で説得されたがるが、大衆は感情的に説得されることを好む。知識人は所詮無力であるから、大衆を感情的に説得することが正しい」と書いたのはヒトラーではなかったか。

土曜日の朝、寒山と拾得は家族を連れて、フィッシュ・マーケットで出会った。二人が桟橋に腰をおろすと、子供たちと母親たちはペリカンを相手にしはじめた。
拾得「雑誌のポーリン・ハンソンの記事を開いている時に、百科事典のケーントードのページが偶然に現れたんで、おやっと思ったね。よく似ているんだ。ところで少し前になるが、デビッド・スズキの『私達の知らなかった日本』という本を、ベン・ハルマゲドン・ヒルズが書評でこきおろしていたね。妻に見せたら、erudite(大した物識りね)! と言ったきりだ。勿論(もちろん)、ほめ言葉じゃないよ」
寒山「ヒルズ先生を喜ばせるのは並大抵(なみたいてい)じゃないからね。今回はその大先生の『科学的日本人論』を取り上げるはずだったが、リチャード・マグレガー以来辟易(へきえき)して、日本人論なんて読む気がしない。雑談でお茶を濁そうか」
拾得「濁そう、濁そう」と紅茶カップにこれもミルクと砂糖をドバっとぶちまけた。
寒山「リチャード・マグレガーが、日本国内で『日本人論』がいかに商売繁盛しているかを長々と書いていたので考えたんだが、『オーストラリア人論』はどのように成り立つかというと、オーストラリア人が外国について書いた文章をできるだけ沢山並べれば『オーストラリア人論』ができ上がるんだよね」
拾得「それは面白い。私もオーストラリアに来た当時、ユーゴスラビア人から『オーストラリア人は外国を批判するのは好きだが、批判されることは極端に嫌う』と忠告された。その忠告が正しいと気付くまでに1ヶ月とかからなかったね。勿論、このページで私たちがオーストラリア人と言う場合、公開の場で発言したり、文章を書いたりするオーストラリア人ということで、オーストラリア国民全体とかオーストラリア政府とは区別していることは言っておこう」
寒山「この寒山拾得貧窮問答の担当編集者によれば、『オーストラリアのあるジャーナリストが、日本のマスコミがポーリン・ハンソン事件を報道しないのは、日本人が自分たちをアジア人だと思ってないからだと書いていた』らしい。その文章が本当だとしたら、相変わらずだよね。日本人に他のアジア人を差別する傾向があることは当たっているが、中国人だって、マレーシア人だってそういう差別意識を持っている。それに、日本のマスコミは、まず外国の批判をほとんどしない。それから、悲しいことに日本にとってオーストラリアという国のこのような事件など取るに足りないということだ。中国やシンガポール、マレーシアなどの国は、自国民が大勢オーストラリアに移住しているから関心があるのは当然さ。それに『アジア』というのは大昔のギリシア人が『ボスポラス海峡から向こうの有象無象はめんどくさいからアジアと呼ぶことにしよう』と勝手に決めただけで、トルコからベーリング海峡までの人間全員が自分たちをアジア人と考える義理は何もない。ありもしない義理をあるように思いこんで、『日本人は自分たちをアジア人だと考えなければならない』と言うことこそ差別意識だと自覚した方がいい。日本人の代わりに中国人やインド人やイラン人にしたっていい」
拾得「じゃあ、ついでに新聞の投書をいくつか見るとするか。シドニー・モーニング・ヘラズグチの117日付の『アジアのめくそが(オーストラリアの)はなくそを笑う(筆者意訳)』という見出しでこういうのがある。5通ほど掲載されているが、つまりは人種差別主義のアジア人がオーストラリアの人種差別を批判するのは偽善だという主旨だね。日本に言及しているところだけ抜粋すると『日本人は明らかに一部の人種を劣った者と考えており、自国の北方の民族(筆者注:アイヌのことだろう)を二級市民として扱っている』」
寒山「私はどんな場合でもどんな土地でもどのような差別にも反対だ。勿論、アイヌ差別についても同じだ。で、どうだと言うのだ? オーストラリア人がいつも正義の味方を気取って他国の批判をするから、こういう時に叩かれるんだぜ、ということはさておいて、日本で差別があるからオーストラリアでも差別していいと言うのか? それじゃ子供の言い訳じゃないか。日本にも同じような発言をして失脚した政治家が何人もいるぜ。欧米もアジア侵略したのに、なぜ日本だけが批判されるんだとか馬鹿なことを言ってね」
拾得「次のはどうだ? 『日本を考えてみよう。日本が世界の難民をどれだけ受け入れた? 日本は私が日本に住むことを許してくれるか? (中略) もし私が日本人と結婚して子供ができればどうなると思う? 子供は文字通り「半分人間(half a person)」を意味する「ガイジン」という言葉で呼ばれ、学校では耐え難い思いで過ごさなければならない。オーストラリアは、戦争を起こし、私たちの息子や娘達に残虐行為をした国の国民を観光客として歓迎するほどの寛容を示してきたし、私たちにとって都合がよければ、日本車を買うことだってする』」
寒山「こいつら一体本気か、としか言いようがないな。私達の貧窮問答はいつから『哲学の貧困』問答になったんだ。日本が過去に難民を受け入れた例は少ないながらあるが、私は日本政府の人種問題の扱いには批判的だと断った上で言うと、中東、アフリカ、南アメリカ、アジアの難民の90%以上が300年の欧米植民地主義と数十年の日本植民地主義の後遺症だ。彼等は自分の生まれた土地で平穏無事に暮らせるなら決して国を離れることなど考えなかっただろう人達だ。しかも、日本は土着民を基礎とした国で、オーストラリアは移民を基礎とした国だ。歴史も現実条件も全く違う。砂浜に乗り上げた鯨を大勢で救ったという事件の時にもみられたように、自分たちの美談に酔うのは勝手だが、それで自分たちを正義の味方に押し上げて、他人を批判するのは醜い。私は他人の美談に感動する甘さはあるが、自分の美談に酔うほどの恥知らずではないつもりだ。この投書など、見事に本人の薄汚い根性を暴露しているじゃない。これを『問うに落ちず、語るに落ちる』というのさ」

拾得「日本人の政治意識、社会意識が低いと言うことがよく指摘されるね」
寒山「私はね、大衆の政治意識や社会意識が高まれば世の中が良くなるという考えには疑問を持っている。世界で大衆の政治意識が最も高い地域は中東、北アイルランド、ボスニアなど紛争の続く地域だ。その地域では大衆は本当は政治意識など持たずに家族や隣人と毎日を平穏無事に暮らしたいだけなのに、いやいや政治意識を持たされてしまっているんだぜ。先日、テレビのニュースでビルマ民主化運動のアウン・サン・スー・チーが不思議なほど上手な英語で欧米の支持を訴えているのをみてガッカリした。ああ、ダメだ、とんでもない勘違いをしている、ビルマの大衆以外の何者も信じるなよ、このままではフィリピンのコラソン・アキノの二の舞だぞ、という印象だと言えばそれほど間違いでもない」
拾得「じゃあ、こういうのはどうだ。何カ月か前のサン・ヘラルドに『日本人は雇主にこびへつらい、奴隷のように働く』というのがあった」
寒山「うんざりするほど聞かされてきたセリフだね。先日、ニュージーランドのフェザーストンで起きた日本兵捕虜の暴動で48人が死亡した事件を取り上げた芝居を東京で打ってきた友人が同じことを聞いてきたので、こういう話をした。江戸時代の260年間に百姓一揆、町民の打壊しは2000回を超えたが、それがこびへつらい、奴隷のように働く、羊の群れのような国民の歴史か? 日本の所得格差はOECD諸国で一番小さいが、民主的で平等主義的で社会意識の高いオーストラリアの所得格差は先進国中最悪の部類だ。なぜなんだ? とね」
拾得「じゃあ、日本の住宅事情が兎小屋だと言うのは? これこそ文句のつけようがないんじゃないか」
寒山「日本の大衆が、『日本が経済大国になったのは私達の働きのおかげだ、今こそ住宅事情を良くしてくれ』と言うのは正しい。ところが住宅の大きな国からやってきて、『君達、こんな粗末な家に住んで不幸だろ。いや、隠さなくてもいい、不幸に違いないんだ』などと言えば、『なにをごちゃごちゃ言うとるんじゃ。いっぺん西向かしたろか』と石を投げられても仕方がない。オーストラリアの住宅の平均敷地面積は1300平方メートルだそうだ。これを日本の4000万世帯で換算すると52000平方キロになる。これは日本の現在の住宅地総面積の約6倍、全農地または全平野部に近い数字だ。実現可能かどうかはアインシュタインでなくても判断できる。私は大阪でも東京でも軒を寄せ合うような下町に住んでいたし、今住んでいるところも、昔に比べれば随分(ずいぶん)広くなったが、始終隣近所と顔を合わさずにはいられない小さな家に住んでいる。いささかお節介なところもあるが人情細やかなあの下町の暮らしが、家族ごとに広い庭と厳重な防犯装置で隔離されているオーストラリアの近代的な暮らしよりも不幸だとは誰にも言わせないぜ。いつか事情が変わるかもしれないし、変わらないかもしれない。ただ、正義を振りかざすのが好きなら、まず自分達の『哲学の貧困』ぶりをしっかりと見据えてからにしてはどうかな。一部のオーストラリア人の正義癖は心のひずみだと思いたくなるが、次回こそベン・ヒルズの心のひずみを相手にしてみるか?

オーストラリアのハンテリとのコミュニケーションに絶望的になり始めている寒山拾得をよそに、家族達は、飽きもせずにペリカンとコミュニケートしようとしている。
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お笑い日豪メディア・ウォッチ その7

ジャンフランコ・クィンティって一体何者だ?

前回紹介したシドニー・モーニング・ヘラルドの投書欄の「ガイジン」論争が意外な発展を見せた。投書の主たちの義憤公憤ぶりにもかかわらず、まともな大人がまともに取り上げるのも恥しくなるようなお粗末な内容なので今回は「お笑い」と付けた。今後も「お笑い」を残すかどうかは分らない。これまでに取り上げたオーストラリア人とか次号に取り上げるベン・ハルマゲドン・ヒルズの「科学的日本人論」を考えると、「初春大爆笑」としたい気もする。

寒山と拾得は早朝のボンダイ・ビーチから崖をめぐる散歩道にいた。拾得がベジマイト抜きのベジマイト・サンドイッチと呼ぶ、ただのバター・サンドイッチを持っていた。
拾得「先日、ジョン・ピルジャーの「遠い声」という本を読んだのだが、マーサ・ジェルホーンというアメリカ人ジャーナリストの序文に奇妙なくだりがあったね。ジョン・ピルジャーが日本で貧しい人々を取材したことに触れて、『日本人が貧乏だなんて、誰が、想像するだろうか? (私は、東京駅で新幹線から吐き出されてくる黒づくめの群集(hordes)を見ると、細い流れのように移動し、行く手にあるものは生きていようと死んでいようとことごとく食いつくさずにはおかないアフリカの兵隊蟻を連想してしまう)...』だとさ。いい気なモンだね。たかだか20年ほどの日本経済成長に驚かされただけで、吹き飛んでしまうような情けない想像力を自慢してどうするんだろう。おまけにそこはかとなく漂う人種エリート意識ね。しかも全文を通じて、『私は世界の虐げられた人々に同情する立派な人』という鼻持ちならない自意識。どうにかならないもんかと思ったよ」
寒山「そういうのばかり探して読みあさる私達の自虐趣味も大したものだね。今さら絶望するほどのものでもないから絶望はしないが。シドニー・モーニング・ヘラズグチにポール・シーハンというシニア・ジャーナリストがいて、『私達がアボリジニに極悪非道なことをしたと言うが、もし、インドネシア人がオーストラリアを植民地にしていたら、今ごろはアボリジニは完全に絶滅されていただろう』という意味のことを書いているが、これも救いようのない考え不足だよ。こういう『知の司祭たち』は薄汚い宗派争いは知っているが、真理探求などとは無縁さ。聞いてみるがいい、オーストラリア大陸は何万年もインドネシア諸島の眼と鼻の先にあって、人の行き来もあったのに、なぜわずか200年前にイギリスが植民地にするまで、(極悪非道鬼畜獰猛な)インドネシア人が手もつけずにほったらかしにしていたのかと。この連中は自分達が頭の隅々まで植民地主義に冒されているから、他人も植民地主義者だとしか思えないのさ」

拾得「ところで、最近そのヘラズグチで『ガイジン』論争があったが、面白かったね。この貧窮問答の筆者が関わったから興味を持って読んだが、世の中には尊大(arrogance)と無知(ignorance)の二輪馬車という連中がずいぶんいるものだということをつくづくと実感したよ」
寒山「そうだな、あの論争は見事に起承転結が利いていたからな。では、前回の繰り返しになるが、起の部から始めようか。チャツウッドのA. ウェブスターの登場だ。『もし、私が日本人と結婚して子供ができればどうなると思う。子供は文字どおり「半分人間」を意味する「ガイジン」という言葉で呼ばれ、学校では耐え難い思いをするだろう』(SMH117)とさ。他の部分も面白くて、つまり、アジア人も人種差別者なのに、なぜオーストラリア人の差別が責められるのか、アジア人の偽善ではないか、というわけだ。そこで日本の例を出したわけだが、これは八つ当りだ。ウェブスターは日本でこのような批判があったという事実も出さずに、勝手に日本でオーストラリア批判があったと空想して書いている」
拾得「そうだね、日本ではほとんど批判的な報道がなかったし、もともと日本では外国を批判的に報道するということがないから。それに日頃自分のことを棚に上げて、他国を批判するのがオーストラリアの『ハンテリ』の独善と偽善だから、自分の影におびえて吠え出したとしか思えない」
寒山「そこで、私達の筆者がちょっかいを出した。承の部といこう。『私の祖父が言ったことがある。「私は馬鹿だ。誰だって馬鹿だ。だが、一番の馬鹿は自分が物知りだとうぬぼれる馬鹿だ」と。どこから日本の知識を仕入れてきたのか知らないが、A.ウェブスターよ、「ガイジン」というのは文字どおり「foreigner」であって、あんたの言うような「半分人間」などという意味はない。「半分人間」という意味なら「半人前」という言葉があるが、人種的な意味で使われることはない。例を挙げよう、「この男の投書は半人前の書く文章だね」。つまり「未熟者」だ』(SMH1111)と」
拾得「そうすると、黙っていられないうぬぼれたトンマが二人ほど名乗りを挙げた。しかし、鯨論争の時もそうだが、私達の筆者は尊大トンマを挑発するのが得意だね。今回もそうだ。では、転の部といこう」

寒山「ゴードンのギャリー・マクドナルドなる人物だ。『田中氏は「ガイジン」という言葉についての誤解を強調することで 日本社会の排外的な性格というウェブスター氏の指摘した問題を避けている』と、日本にもこういう良識派を装ったトンマがワンサといるぜ。カギになっている言葉の意味を間違っておきながら、えらそうなことをしゃあしゃあと書くトンマに何を言えというんだ? 前提が間違っていて、推論が間違っていても、正解を導くことはあるが、それは『まぐれ当り』と言うんだ。日本社会に人種差別があることは間違いないが、A. ウェブスターの言い分は『まぐれ当り』ということになる。悲惨なことにこの助っ人マクドナルドの良識も最後の段落でブザマに破綻している。『オーストラリアは、過去30年間に「non-traditional sources(以前とは違った国)」からの移民や難民を受け入れるようになったにもかかわらず、未だに自分達の人種差別意識から眼をそらそうとする他の国から「whipping boy(身代りのスケープゴート)にされるらしい』とね。もともと、オーストラリア国内の人種差別が問題になっている時に眼をそらそうとして日本を批判し始めたのはA.ウェブスターだぜ。他人を批判するなら、批判され返しても泣き言など言ってはいけない」
拾得「これより見事なトンマがダーリングハーストのジアンフランコ・クィンティという尊大傲慢先生だね。いよいよ転の部だ」
寒山「『「foreigner」という意味なら「ガイコクジン」こそ正しい日本語である。「ガイジン」は「ガイコクジン」から派生した、蔑視的な短縮形であり、人種的な文脈で用いられ、foreigner(フォーマルな関係や礼儀正しい社会的行動という日本文化として比較して)文化的でない、あるいは教養のない、野蛮人として描く傾向のある言葉である。「ガイジン」という言葉は、アングロ・サクソンの世界のwogwopdiego[dago]Japなどにあたる蔑視的な俗語である。田中氏はそのことをよく認識しなければならない』(SMH1123)と。私も渡世が長いが、これほどのデタラメをこれほど自信を持って尊大に言ってのけた人物を知らないね。私の乏しい知識で言えば、外人という言葉は意味こそ違え、『平家物語』に出ているそうだし、豊臣秀吉が出した書簡には『異国仁』という言葉が使われている。確かではないが、『外国人』という言葉が使われるようになったのはそれほど昔のことではないと思うね」

拾得「次に結(ケツ)を付けて、話が落ちれば良かったのだが、その後にとんでもないドンデン返しがあった。では、まず結からいこうか」
寒山「大阪に住むアンドリュー・ミラーというオーストラリア人からだ。『前略。「ガイジン」という言葉は、「私達日本人」と「彼ら非日本人」を区別するという意味では差別的ですが、決して蔑視的な意味はありません。他の言葉と同じように、悪いニュアンスで使われることもありますが、その場合には言葉そのものの意味よりも声の調子や顔の表情で表現されます。クィンティ氏の意見に同意できないのは、wogwopdagoなどは蔑視的な意味以外で使うことができませんが、(ガイジンは)礼儀正しい態度で使われれば全く問題ないということです。中略。個人的には、よくあることですが「アメリカ人」と呼ばれるよりは、「ガイジン」と呼ばれる方がずっと気持ちがいいです』(SMH1127)と」
拾得「『ガイジン』の意味としてもニュアンスとしてもその指摘が正しいよね。しかも、幾分かのユーモアを含ませて、やんわりと書いているのだから、ジアンフランコ尊大傲慢先生もおとなしくしていれば一時の恥で済んだのに」
寒山「では一気に尊大傲慢先生の一挙公開だ。『そう、ミラー君の言うことももっともだ。「ガイジン」は礼儀正しい態度で使うことができてその場合は問題ないし、「さん」(敬語)を付けて友好的にも使える。だけどね、忘れちゃいけないよ。日本人の洗練された文化と礼儀正しさでは、人を直接的かつあけっぴろげに批判したり、自分の意見を言ったりすることは許されないことを(しかも、それが悪いことならなおさら)。ところが、私の記憶では、日本で友人や生徒と話している時に私が自分を「ガイジン」と呼ぶと、彼らはたちどころに、私は「ガイジン」ではないと正したものだ。それに日本人がどれほどエチケットを好むかということも忘れてはいけないよ。あれは1936年のことだ。首相を暗殺した犯人が逮捕される前に、怯えている首相夫人の前にひざまづいて、深く頭を下げ、夫人の自宅で無礼を働いたことをわびたのだよ』(SMH125)とさ。文章のつじつまを合わせるだけの余裕もない狼狽ぶりと、あくまでも知識をひけらかして傷ついたプライドを救おうとする心理がヒタヒタと伝わってくる名文だね」
拾得「最後まで尊大傲慢かつ無知蒙昧だというのも感動的だが…」
寒山「むしろどこか哀愁を誘うところがあるね」
陽射しが強まるとともにどこからともなく食物の腐ったようなすえた臭いが漂い始める崖の上の道を歩く二人はふと立ち止まって言った。

寒山・拾得「それにしてもジャンフランコ・クィンティって、一体何者だ?
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お笑い日豪メディア・ウォッチ その8

「盲人の国では、片目も王者」
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ベン・ヒルズ尊師御言葉書より 前半

日本では教科書の「慰安婦問題」掲載に反対する会ができ、フランスでは「外国人」が家庭に滞在する場合に届出を義務づける法案でもめ、オーストラリアでは、かつてゴールド・コーストで「日本人による不動産買収にだけ反対」を叫んで、反日感情をあおったニュージーランド人(当時、現在はオーストラリア国籍を取得)が「ポーリン・ハンソンを支持する会」で再び反アジア感情をあおろうとしている。経済が落ち込むと必ず出てくるのが排外主義だというのはいまだに通用する法則らしい。

拾得は、寒山の家を訪ねた。寒山はシドニーの安い魚を利用してメザシやアジの開きを作ることを考えており、インターネットを通して、友人に干物の作り方を教わっている。今日は、イワシのツミレを汁にした。
拾得「メディア・ウォッチの連載以来、君がナショナリストになったのではないかと、友達が心配しているぞ」
寒山「よせやい。私は一生ナショナリズムなどとは無縁で暮したいと思っているんだぜ。ただ、日本ナショナリズムが欧米やかつて日本が侵略した国々のナショナリズムよりも悪いものだという迷信にだけは反論するつもりだ。良くも悪くもない同等だというのが私の考えだ」
拾得「今度誰かが心配していたら、そう言っとこう。ところで、そろそろベン・ヒルズの "Japan Behind the Lines" をまな板に載せようか。私の感想を言うと、本格物を口にしたつもりが、とんだイカモノを食わせられたというのが正直なところだ」

寒山「ああ、そうだな。カラオケの話を除けば、差別とか、戦争責任とか日本人にとっては重いテーマが並んでいて、気弱な日本人だと『言われても仕方ないよな』と謙虚になってしまう。そこがこの男のつけめだよね。ヤクザの脅しの手口に似ている。そこかしこに詐術があって、よく読むとね、まともなことを書いてある部分のほとんどが日本人から得た情報の部分なんだ。このベン・ヒルズが自分の考えを述べている部分は事実誤認、偏見、差別、こじつけ、詭弁、デタラメがいっぱいだ」
拾得「リチャード・マグレガーの著書の批評で、日本語の英語綴りが間違っていると書いていたね。そんな立派な人の書いた本にgoyu gakushaという言葉があったから、学習院大学あたりの教授のことかと思ったら、御用学者のことだった。朝鮮侵略をしたのは豊臣秀吉ではなくて、徳川家康だったことになっている。ごていねいにも徳川家康を日本のナポレオンにたとえたりしてさ。私など『日本のナポレオン』と読んで、思わずショウチューのことかと思った。知らないなら知らなくてもいいが、オーストラリアではバレないだろうとたかをくくって、見てきたような嘘をつくことだけはやめた方がいいね。それから、妙に『5』という数字にこだわっている。何の必然性もなく、5年、50年、500年などという数字が出てくる。昔読んだ心理学の本にこういう症例の話があったが、ともかく不思議な人だ」
寒山「不思議と言えば、とっぱしから奇妙奇天烈摩可不思議な文章だ。『民主主義が、(日本国憲法の定義するように)国民の選挙で選ばれる議会を「国家の最高機関」とし、政党は明瞭に定義された相異なる政策を持ち、その政党間で政権が常に交代する、そのような政府を意味するなら、日本には一度も民主主義があったことはない』だとさ。宗教の部では、『在来の「土着宗教」の神道は、後世を信じない、普遍的な神性を崇拝しない、聖書やコーランのような統一した教義を持たないという意味では宗教とさえ言えない』だとさ。こんな笑い話がある。愚者のグループが山に登って、道に迷ってしまった。リーダーがおもむろに地図を取り出し、難しそうな顔で地図とあたりを見較べている。突然、『分ったぞ。俺たちのいるところが』一同、ほっとしてリーダーを頼もしそうに見た。リーダーが言った。『あそこに山が見えるだろう』 一同が指差す方向を見てうなずく。リーダーが自信たっぷりに続けた。『俺たちはあの山の頂上にいるんだ』」
拾得「ベン・ヒルズもその愚者のグループのリーダーにならなれたかもしれないな。もっともグループを遭難させてしまうのがオチだが。オーストラリアでよく使われる例えで言えば、ベン・ヒルズはゴール・ポストを担いで走り回るプレヤーだ。あちこちで自分の論旨の都合のいいように気ままに新定義や基準を作っている。これじゃ、どんな人間でも、どんな国でもベン・ヒルズより立派なものはないということになるね」
寒山「読んで驚いた箇所がある。『日本人論』という言葉をイタリックにして、わざわざ『文字どおり、「日本人とは何かの科学」』と注釈を入れているのだね。私は『日本人論』などほとんど読んだことがないから、誰が『科学』を自称しているのか知らないが、少なくとも日本人論を科学だと思ったことはない。だから、この男も誰が日本人論の科学性を主張したのかをはっきり挙げ、それに対して反論してみせてほしいものだ。それがまっとうな物書きの作法だぜ。ついでに、誰が『歴史修正主義者』で、誰が『ナショナリスト』なのか、それはなぜなのかということも是非書いてほしかったね。私の立場から言わせてもらうと、この男が勝手に『日本人論=科学』と決めつけて、その上で『日本人論の非科学性』などあげつらったところで、マッチポンプじゃないか。そこまで知っている者がいないオーストラリアでは好きなことを書ける。この男自身が書いている『盲人の国では、片目も王者』というとてもポリティカリ・コレクトとは言えない比喩はこの男にそっくりそのままあてはまるじゃないか。まだあるね。『もっと説得力のある説では、日本人の社会性は先天的というより後天的なものであり、特定の価値観や考え方、行動の仕方をインドクトリネートするということである。これは生まれた時から始まっていて、だから、もし望んだとしても逆戻りすることは不可能だ』 この男はあちこちに気取った比喩や修辞を使っているが、利口なふりをしたトンマとしか思えない。『社会性は先天的というより後天的なものである』ってなんだ? 私は日本人が特別な民族だと思ったことはないから、この男が本当にこの引用のように思うのだったら、私が言い替えてやる。『ベン・ヒルズを含めて、どんな人間も、後天的に社会性つまり特定の価値観や考え方、行動の仕方をインドクトリネートされる。これは生まれた時から始まっているが、もし望んだとしても逆戻りすることは不可能だが、変わることはありえる』とね」

拾得「この本全体を見るとその詐術には感心するね。熟練のわざとしか言いようがない。日本人から得たかなり正確な情報や、正当な主張とこの男の偏見や事実誤認が緻密にからみ合っているから、正面きって批判しようとすると、まずその双方をより分けなければいけない。しかもそんな作業に値する本でもない、というのがミソだ。知っている者はバカにするが、知らない者は感心して読む。日本によくある学者のヒマ書きと同じさ。そして、偏見と『神話』は永遠に拡大再生産される。そこに『ホンネ』と『タテマエ』みたいな使い古された言葉をちりばめておけば読者も安心して読めるというわけだ。それに、どう読んでも、日本の左派市民から得たとしか考えられない情報なのに、この男はその足跡をきれいに消してしまっていると思える箇所があちこちにあるね、どうも左翼が嫌いらしくて、林房雄を共産主義者と呼んだり、北朝鮮などもスターリニズムで済ませて、まともな検討もしない、世界統一教会の文鮮明なども北朝鮮出身と書いている。林房雄は戦争中に転向して1960年代半ばには歴史修正主義のさきがけとなる「大東亜肯定論」を書いているし、文鮮明が統一教会を創設したのは韓国のソウルだ。そういうことを無視して、さも意味ありげな書き方をする。文鮮明はその後アメリカに渡り、莫大な金を作っている。軍事独裁時代のソウルやアメリカでの文鮮明の活動や統一教会と『勝共連合』との関係などはすっぽり抜け落ちている」
寒山「この男が知らないなら教えてやるが、スターリニズムと言うのは、何の検討もせずに自分の気に食わない相手に『歴史修正主義』や『ナショナリスト』などというレッテルを貼って、それだけで相手を批判したつもりになったり、自分の理論に合わない事実を意識的に無視したり、ねじ曲げたり、本当は何の関係もないことを臭わせてさも何かがあるように思わせる手口を言うのだぜ。早い話がこの男の手口などスターリニズムの常套手段だ。どこでこんな手口を憶えたのか知らないが、この本を読み通しても、正義を気取ったセコイ、卑屈で尊大な人間の姿しか浮かんでこないな。『坊っちゃん』の中で、校長の権威の陰に隠れて卑屈で尊大な人間を演じたのは教頭だったっけ」

拾得「そう言えば、アイヌについての部分で、こんなのがあった。『1989年の政府の調査によれば、自らアイヌを名乗る人は25000人に満たなかった。人口の約0.2%、比率で言えばオーストラリア・アボリジニのわずか10分の1にしかならない。大部分は消えてしまったと考えられる。自らの文化に背を向けるか、大都市で和人(大和民族)として暮しているか、である』 私にはこの男が何を言いたいのかさっぱり分らないが、分る人がいるのだろうか。だいいち、逆算すると彼の言う『人口』は1,200万なんだが、この『人口』が何の『人口』を指しているのかこれもさっぱり分らない。ましてオーストラリア・アボリジニとの比較に何か意味があるのだろうかね。例えば、明治初期のアイヌ人口と現在のアイヌ人口を比較するとかっていうのでなければ何の意味もないことは高校生でも分ることだが」
寒山「その前のところで、『大部分の日本人は人種差別があることなど否定するだろうが』と書いているが、世論調査の数字一つ挙げずに憶測で書いている。私もオーストラリアでの差別体験を白人の友人に話すことがあるが、誰でも『ウッソー(Are you kidding)』と言うよ。『大部分のオーストラリア人は人種差別があることなど否定している』わけさ。そのまた前には、『オーストラリアの歴史がまともに見えるとすれば、よっぽどひどい歴史を持った国ということだ』だとさ。だれが『オーストラリアの歴史』をまともだと思っているんだろうか。この男は『アイヌはかつて本州から北海道、千島、樺太に住んでいた』と書いているんだが、別のところで、『アイヌはこの土地に千年以上も住んできた。(沙流川の)ダムサイトからは、キリストが生まれるより300年以上も前の縄文時代の土器の破片が発掘される』とも書いている。知っての通り、縄文土器は日本各地で見つかるし、1万3000年くらい前の縄文土器も本州で見つかっている。本州の縄文人が新来の集団に追われて北海道まで移動してきたと考えるより、新来の集団と融合したり敵対したりしながら混血して現代日本人の祖先になった考える方がはるかに合理的だ。この男は自分の書いていることを自分で分っているのかと聞きたいね。それに彼には日本人スタッフとかがいたと思うんだが何していたんだろう」
-ベン・ヒルズ尊師御言葉書より 前半

お笑い日豪メディア・ウォッチ その9

「自分が持ちもしない美徳を他人に要求する連中」

ポーリンハンソンの素っ飛びぶりはとどまるところを知らず、ついに「ポーリン・ハンソン一国党」なるものを作り、世論調査では「事情によっては投票を考えてもいい」という意見が30%を超えた。何年もオーストラリアに住んで、オーストラリアの「識者」が何の気のとがめもなく外国批判をするのを見てきた人なら、「ええ、一体この国はどうなってしまったんだ。今まで彼らが偉そうに言ってきたことは何だったんだ」と言いたいところだろう。ベン・ヒルズ書評に2号も使ったのは、彼の本が優れているからではない。彼の考え方がオーストラリアの『識者』の考え方を象徴的に示しているように思えるからだ。

拾得「2か月もあれば随分いろんなことが起きるね。キャンベラと奈良の姉妹都市委員会が考えた『平和公園』にRSL (復員軍人同盟)が横槍を入れ、その意向を受けたジョン・ハワードが迫って、委員会は『平和』の文字を削った。それから、お騒がせ屋のラジオ・パーソナリティーのロン・ケーシーは、携帯電話メーカーのノキアがラグビーのスポンサーになると聞いて、ノキアを日本企業と勘違いし、『真珠湾攻撃』を蒸し返していたね。誰かにそのメーカーがフィンランド企業だと訂正されると『ああ、フィンランド人ならいい。彼らはアーリア人種だ』とトンマの上塗りをしてメーカーの機嫌を損ね、その意向を受けたラグビー・チーム側の意向を受けて放送局がクビを言い渡したので、ケーシーは放送局を訴えた。それから、ジョン・ハワード連邦首相が、橋本首相とドイツのコール首相に、オーストラリアは温室ガス規制を達成したくないから何とかしてくれと泣きついてケンもホロロにあしらわれた」
寒山「そのおかげか、最近はオーストラリアの『識者』の外国批判が少なくなってさびしいね。新聞を読む唯一の楽しみだったのに。私が『ベン・ヒルズのパラドックス』と呼んでいるものだ」
拾得「何だい、その『ベン・ヒルズのパラドックス』というのは?
寒山「大したもんじゃない。自分が持ちもしない美徳を他人に要求する連中のことだ。これは独善主義とセットになっている。ベン・ヒルズが、彼の詰め込み教育の成果としか思えない本の中で、日本の詰め込み教育を批判しているから、こう名づけたんだが、うまい表現だろう。詰め込み教育というのは、知識はあるが、その知識をどう使っていいのか分らないということさ。ヒルズの本でもオウム真理教の箇所でそれが端的に現れている。その中で、この男がまともなことを言っているのは、別件逮捕や、長野県松本市での事件の被害者を警察とマスコミがこぞって犯人扱いしたことなどの批判だが、宗教問題になるとキリスト教以外の宗教への偏見が隠しようもなく出てくる。『他の者(日本観察者)は、既成宗教不在の真空状態を、カルトが埋めている』と言う風に見ているだとさ。言っとくが2000年前にはキリスト教も新興宗教のカルトだったんだぜ。この言葉はせいぜい『誰でも何らかの宗教を信じたいものらしい』としか言っていない。その後の文章がこの男の知性を示している。いや、知性の欠如と言った方が正しいね。つまり、『在来の「土着宗教」の神道は、後世を信じない、普遍的な神性を崇拝しない、聖書やコーランのような統一した教義を持たないという意味では宗教でさえない』だとさ。詰め込み教育の成果というのはこういう愚にもつかないことをさも意味ありげに言い散らし、書き散らすことをいうのさ」

拾得「ところで、ベン・ヒルズは、日本政府外務省の小官僚がこの男をレストランに招いて、トド撃ちや競馬馬の肉を食べるようなことを書かれると日本の恥だから書かないようにほのめかしたということを得意そうに書いているね」
寒山「ケチな官僚が考えそうなことだよな。そんなことしても、ケチなジャーナリストが大物になった気分でうぬぼれるのがオチじゃないか。トド撃ちに関して言えば、新聞で読んだ限りで、この男の数ある記事のうち比較的ましな方だった。競馬馬の記事は読んでないから知らない。私は、言論の自由というのはこの社会の基本条件だと思うから、ベン・ヒルズにもいくらでも自由に書いてくれとしか言わない。ただ、私も言論の自由を行使して、自由に徹底的に批判するということが条件だ。誤解しようと狙っている連中というのはどうしたって誤解するものさ」
拾得「環境問題はどうだ?
寒山「この詰まらない本の中で、その部分が最悪だね。大体この男の視点というのは迷信から一歩も出ていない。この部分ではことさらそれが目立っている。朱鷺の絶滅を書いているから、それから片づけようか。まず断わっておくと、日本の環境破壊を弁護するつもりはない。ただこの男の立場から日本を批判することはできないということを言おう。『朱鷺などの種(しゅ)の受難ほど、日本がその環境を強姦してきたことをドラマチックに示すできごとはないだろう』などと、非常にドラマチックな表現を使って書いている。もう一つ言っておくと、この男は終始、日本を西側諸国と比較しているから、私にも西側諸国に言及する権利がある。ではなぜ、朱鷺が事実上絶滅したか。もちろん、この男の書く通り、明治以来の乱獲だ。なぜ、乱獲したか。この男の書く通り、ドゥーナ(ダウンのかけ布団)の材料だ。ところで明治時代に日本人がダウンのかけ布団を使ったなどと聞いたことがあるか? 小笠原諸島のあほう鳥と同じように、朱鷺の羽根を使ったかけ布団はヨーロッパに輸出するためだったんだぜ。そのことをこの男は書いていない。彼は日本が海外の資源を輸入することを批判する。彼は日本が資源を海外に輸出することを批判する。これがこの男の典型的なやり口だ」
拾得「日本が原生林を伐採して、在来種ではない針葉樹を植林してきたことも批判しているね」
寒山「日本が過去何世紀も植林してきたのは、北部を除いては在来種ではない針葉樹だ。それを批判することはできる。では、この男が何度も引き合いに出しているイギリスを私も引き合いに出してみよう。イギリスの風景と言えば、丘も野も牧草地で、ところどころに森があるというのが一般的だが、2000年前のイギリス本島は森林に覆われていた。現在のようになるためにはドラマチックな環境破壊があった。隣のアイルランドも森林だったが、一説によればアイルランド人抵抗運動の隠れ家になる森をイギリスが破壊したそうだ。ベトナムでアメリカ政府がドラマチックにばらまいた枯れ葉剤エージェント・オレンジと同じ発想だ。前世紀にはドイツのシュバルツバルト(黒い森)の縮小、酸性雨、それにロンドンのスモッグによるドラマチックな集団窒息死などがある。現在のヨーロッパはドラマチックな環境の強姦の上に築かれていると言ってもいい。この男の書くように、1世紀前の日本はまだ手つかずの広大な自然が残っていた。それは言い替えれば、日本がヨーロッパに遅れて近代的な経済と産業を築く前だということだ。当時、ヨーロッパは既に自然破壊の結果に気付き、環境を取り戻すための動きを始めている。同時に福祉の充実も進み始めている。ところでその資金はどこから得たのか? 植民地からだ。植民地の先住民族社会を破壊し、同時に経済を破壊することでヨーロッパが民主主義社会を築くことができたことをこの男は忘れてはいけない」

拾得「そこへ日本が欧米に追いつくために猛然と開発を始め、欧米の真似をしてアジア侵略に乗り出した」
寒山「一つの家庭なり、国なりが、飢えや自然災害に備え、病気の恐怖から逃れるためには、莫大な蓄えが必要なことは誰にでも分ることだ。日本がこの10年か20年ほど世界第二の金持ちになったからと言って、ヨーロッパが何百年もかけて植民地から収奪した富の蓄積には及ばない。地震一つで6000人の人命と1兆円に届くような被害が出る。100年で4倍に増えた人口とオーストラリアの22分の1の面積でそれだけの備えを持つために、どれだけのことをしなければならないかをこの男に聞いてみたいものだ。『毎日食べるだけの収入があればいい』というのは、万一の時に他人をあてにしているか、万一のことを全く考えていないかのどちらかだ。今の国家概念では、国民は自分の国内の資源だけでまかなうか、外国から資源を買ってくるかしかない。環境保護論者のいうグローバリズムから言えば、広大な土地と莫大な資源をたった1800万人で独占することが、犯罪的な貪欲さだということは明らかじゃないか。どうして、日本を批判することができるんだ。しかも、オーストラリア人は日本人よりはるかに大量のエネルギーと物質資源を消費しているんだぜ。この男もどこかで書いているが、物質的な富では日本人は香港人にも及ばないんだとさ。それで日本人の犯罪性は、分に甘んじて貧乏を続けることを拒んで欧米並の豊かさになろうとしたことらしいぜ。八卦見並の予言が好きなこの男に習って私も一つ予言してみるか。アジア諸国、南アメリカ、アフリカの人々は、先進国のおちょぼ口の環境保護論者などが何を言おうと、『先進国並の生活水準』を求めて働き、手に入れるだろうことを。少なくとも自分が享受しているだけの生活水準を、他人にやめろと言う権利は誰にもないさ」
拾得「カラオケのところなどにもこの男の基本的な考え方が現れているね。弱者の味方みたいなふりをしながら、どこか既成の権威にもたれかかっている。カラオケがポップ・ミュージックを最小公分母にしたなどとわけの分らない気取ったディスク・ジョッキーの比喩を引用したり、結論として『サラリーマンが恥しさをかなぐり捨て、機械の歯車であることをやめて、数分だけでも脚光を浴びることができる』などと言わせるあたり、何か事件がある度に底の浅いおあつらえ向きのことを言う識者のようだね」
寒山「識者かどうかは知らないが、底の浅いおあつらえ向きのことを言うあたりは正しくその通りだと思うね。それから気取った比喩を使うところもね。私から見れば、ポップ・ミュージックが大衆の娯楽であるなら、カラオケで庶民が楽しくなることのどこが悪いんだ。それこそ究極のポップ・ミュージックじゃないか。それでポップ・ミュージックの質が落ちたとすれば、もともとその程度のものでしかなかったと思った方がいい、ということになる。何か立派なものがあって、権威があって、堂々としていて、重々しくて、というそんな風なものを盾に、庶民が我を忘れて楽しむことにネチネチとケチをつけたくなるような自分の根性を問題にした方がいいんだ、この男は。日本でもどこでも村落共同体や町内会で何かの集まりがあると、酒が入って、皆で一緒に歌い出したものだ。カラオケが現代の都市生活に少しでも歌う場をもたらしてくれたとすれば、何が悪いことがあるものか。歌を歌うことが楽しいという人間の基本的な感情を認めることができないから、何を言っても底が浅くておあつらえ向きにしかならない」

拾得「戦争問題はどうだ?
寒山「ああ、さっき環境問題が最悪だと言ったのは取り消す。戦争問題の部分が最悪だ。私はさっきから、この男の気取った比喩を問題にしているが、ここでも例えば、『(広島の原爆犠牲者数も)通常兵器での攻撃の犠牲者数と並べれば矮小に見える。沖縄の終末論的な戦いは、本土攻撃のドレス・リハーサルと見られているが、何週間かの間に265000人が死んでいる』だとさ。どこか私の神経を逆なでするんだよね。こういう箇所に終末論(アポカリプティック)とかドレス・リハーサルというような比喩を軽々しく使われると、こいつ本気なのかよ? という気になってね。この男の神経はどこかおかしいぜ。スペインの異端審問官やサレムの魔女狩りのような異常さを感じる。この男の『正義』は人間不在だと言ってもいい。その男が、日本軍の細菌兵器に触れて、『悪に悪を返しても、正義にはならないが、これらの事実だけでも、日本が道義の高みを言うことは難しくなる』だとさ。つまり、日本軍がさんざん悪逆の限りを尽くしたのだから、広島や長崎の原爆投下を非難することはできない、といいたいのさ。道義の高みを言うのは、この男のお得意だと思っていたから、このたった一回しか出てこない表現にぶつかって、『へっ』と思ったね。私に言わせれば、南京虐殺や細菌兵器、タイ・ビルマ鉄道での虐待死などを行った日本軍と原爆投下を決定したアメリカ政府上層部とが一方の側にいて、南京で殺された市民や敗残兵士、捕虜兵士、沖縄県民、広島、長崎で原爆のために死んだ日本人、朝鮮人、連合軍兵士などはもう一方の側にいるということさ。そこには国境などなくて、殺す者と殺させる者に対して殺される者がいるだけだ。ベン・ヒルズはこの戦争問題ではみっともないほどアタフタと連合軍ことに米軍の行動を弁護している。そのために例によって、本人の講談的な勧善懲悪倫理で自分の論旨に都合のいい史実だけをつづり合せている。『原爆投下は百万と想定される連合軍、日本人民を救うためだった』というような今ではかなりその意図を疑われている説を振り回してもいるね。また、こともあろうに、オーストラリア兵士で捕虜になり、以後は一貫して平和運動に献身してきたトム・ユレーンを批判にもならないやり方で批判している。私の知る限りでは、トム・ユレーンは思想でも人柄でも、ベン・ヒルズなどよりはるかに優れた人物だ。ベン・ヒルズの講談ぶりを続けようか。『核兵器が本質的に悪というのなら、日本はなぜ手に負えない高速増殖炉の燃料になるプルトニウムを貯め込んでいるのだ。日本が、広島の原爆の何倍もの規模の核兵器をすぐに作れること、HIIロケットが運搬手段になることを疑っている者は誰もいない』とさ。この手の口説は、環境保護論者、反核運動家などから呆れるほど異口同音に聞かされている。皆が同じことを同じように言う、どこかの革新政党の党員みたいにね。考えてもみろよ。今時ちょっとした技術とブラック・マーケットのプルトニウムと失業した核兵器専門家を手に入れれば、どんな貧乏国でも核兵器の一つも手に入れられる時代だぜ。何キロ保有していると言うことまで公開している日本が今すぐにでも核兵器を保有する気でいるように臭わせる手口をスターリニズムのやり口というのさ。ところで、この男も元ドイツ連邦大統領のヴァイツザッカーの有名な言葉を錦の御旗のように担ぎ回っているね。ヴァイツザッカーが初めて言った時は素晴らしいと思わないでもなかったが、担ぎ回る連中を見ると、あの革新政党の党員を思い出して仕方がない。ちょっとできのいい言葉を担ぎ回る連中というのは往々にして、自分では何も考えていない、という意味でもね。私に言わせれば、日本が、ハイテク玩具だけで戦意のない自衛隊を独自に再び朝鮮半島や中国大陸に送り出す危険は、よほど日本全体がとち狂わない限り、10年や20年の単位ではありえないことだ。もちろん、あっと言う間に叩き出されることは明らかだ。むしろ、日本が戦争に関わる危険があるとすれば、それも現実的、緊急な危険は、国連のPKO参加などを口実に、大国の利益に沿って、アメリカやオーストラリアの軍隊と一緒に世界各地の戦争に国民を駆り立てることだけだ」
拾得「ベン・ヒルズはまえがきでずいぶんなおためごかしを書いているね。『私は、日本社会のもっとも暗い部分にも光をあてることをためらわなかった。それは日本が嫌いとか日本人が嫌いということではない。むしろ、逆だ。日本には家族や友人がおり、だから、その社会組織のシステムの気の重くなるような結果に対して発言しなければならないと思ったからだ』とね。ガイアツなどというしゃれた言葉まで使っている」
寒山「私が、ベン・ヒルズのおためごかしに反対なのは、ガイアツなどといった、本多勝一の『週刊金曜日』的な発想が一切無効だと思うからだ。ガイアツに弱い日本政府は情けないと思うが、だからガイアツを利用しようというのでは、日本政府の情けなさといいコンビじゃないか。どんなに歳月がかかってもいい、日本の問題は日本人が自ら解決することだけが正しいと思うからだ。同時にオーストラリアの問題はオーストラリア人だけが解決できるのだということも、当たり前のことだ。ましてや、お互いに自分の利益でしか行動しない国々がどうしてまともなガイアツを発揮できるんだ?
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お笑い日豪メディア・ウォッチ その10

どこでもアウトサイダー

不思議な毎日が続いている。今や政界、財界、産業界、少数民族グループ、中間市民、泡沫右翼、泡沫左翼、極左に至るまでがポーリン・ハンソンに反対しており、四面楚歌という中で、元KKK総裁のデビッド・デュークから「愛国者」のお墨付をもらってポーリン・ハンソンは元気だし、ジョン・ハワード連邦首相はなぜかポーリン・ハンソン批判者を批判するのに熱心である。最近ではジョン・ハワードの批判は「外国でオーストラリア批判をする連中」や「国内でオーストラリアを批判する」ゴフ・ウィットラム元連邦首相にまで広がっている。そのジョン・ハワードは香港返還を避けてイギリスに行き、アメリカには行ったがアース・サミットには出ず、各国の首相・大統領が居並ぶ中に一閣僚を送っただけだった。誰も聞いたことがないアナーキスト・グループが招待した誰も聞いたことがないアメリカの黒人活動家が逮捕された。移民大臣が「問題なし」としていたのを、ポーリン・ハンソンが問題にした途端にジョン・ハワードがあわてて移民大臣代理に命令して逮捕させたらしいが、裁判所は23日でこの活動家を放免した。天の下こともなく不思議な毎日が続いている。

珍しく二人は何も食べずにヘイ・ストリートの角に立って市電を見ている。博物館から出てきたようなこの市電は、ライトレールのレールが錆びついて電流を通さなくなるので、錆を削り落とすために雇われたそうである。
寒山「昔は、こういうのをチンチン電車って呼んだな」
拾得「交差点に来る度にベルをチンチンと鳴らしたものだ。長崎に行った時には、健在な市電が元大阪市の市電とか、京都の市電とかを買取ったものなので感動したことがある」
寒山「私の住んでいる市内外れにもレンガ造りの信号所の建物があったり、すり減ったアスファルトの下から市電のレールが覗いていたりする。道路にコンクリート舗装とアスファルト舗装が並行して続いているようなのはたいてい市電の軌条跡だ」
拾得「ところで今月の本は何にする」
寒山「何カ月もゲテモノが続いたから、少しは後味のいい本を取り上げよう。ハンフリー・マクィーンの『Tokyo World』なんかどうだ」
拾得「悪くないね。いわずもがなかもしれないが、マクィーンは日本を批判していないわけじゃない。むしろ批判だらけだと言った方がいい。ただほとんどの場合、批判でも素直に読める」
寒山「人徳というより、この人は批判の仕方を心得ているね。まず、あくまでも個人の体験と考えだということをいつもはっきりさせている。突然『日本人は生まれた時からインドクトリネートされている』みたいに、まるで『イギリス人はインドクトリネートされていない』ような調子で言わない」

拾得「先月の蒸し返しかい」
寒山「マクィーンは1988年から1990年まで東大で教えていたらしいね。ひどいところで教えたものだという気がしないでもないが。東大の連中から日本人を一般化しないでもらいたいというところだが。それはひとまずおいて、学生との会話でこういうことを言っている。『日本人バイヤーを支持するのですか?』とタカシが聞いた。『日本人だということで反対はしない』 『私は、オーストラリアが鉱物資源を今やっているようなやり方で売るべきではないということを説明した。日本の製鉄会社や電力会社はほとんど所有することなしに私たちを搾取している。通産省は合同で石炭と鉄鉱石の買い入れ交渉をして価格を抑えようとしている。ここで私たちは日本帝国主義に反対すべきだった。オーストラリアの貿易収支の有り様は、オーストラリアが自分達の面倒をちゃんと見なかったからだ。通産省は少なくとも日本の面倒を見ている』とね」
拾得「自称マルクス主義者のマクィーンらしい言い方だが、オーストラリアと日本との関係で帝国主義などという古典的なマルクス主義の規定があてはまるかどうか疑問だな。オーストラリアも産業や経済の構造から見れば立派に先進資本主義だ。しかし、最後のところは分るな。一時期、オーストラリアでは『日本のバイヤーは示し合わせて資源を買い叩く、汚い』という意見が流れていたが、私など素人から見れば、日本のバイヤーが違法行為をしているというのなら違法行為の証拠を示して訴訟にでも何でも持っていけばいい。示し合わせることが違法でないなら、文句を言ってないで、自分達も示し合わせて価格を上げるように交渉すればいいじゃないか、と思ったね」

寒山「マクィーンの本の批判が素直に読めるというのは、彼が自分に対しても距離を取っているからだ。ベン・ヒルズなどは『日本が住みにくいから、オーストラリアに移住したい人が大勢いる』と書いているが、日本人よりはるかに大勢のイギリス人がオーストラリアだけでなく、アメリカ、カナダ、ニュージーランドに移住したし、今もしていることは都合良く忘れている。『日本人がオーストラリアに移住したいのは日本がひどいからで、イギリス人がオーストラリアに移住したいのはオーストラリアがいいからだろう』位の茶々を入れたくもなるじゃないか」
拾得「私などがマクィーンの体験を読むと、彼が日本の特殊な社会に住んでいたのだろうか、私が特殊な社会に住んでいたのだろうかと悩むね。彼が日常的にぶつかる場面など私が日本にいた時はほとんど体験しなかったことだよ。殊に不思議なのは、日本人が日本と欧米を比較する時だね。ひょっとすると私は日本でマクィーンより外国人だったのだろうかという気分だ。池袋のアパートの1年分の家賃と礼金に230万円払ったと書いている。私は三鷹に住んでいたことがあるが、家賃は月35000円だった。知り合いが近くの一軒家に住んでいたがそれでも10万そこそこだった。東大で女子事務員がお茶でも荷物でも何でも代わりに持つのでマクィーンは当惑している。私は大阪と東京でいくつかの会社で働いたが、お茶でも便所掃除でも男も女も差別はなかった。どれも特別進歩的な気風の会社じゃないよ。ごく普通の中小企業だ。この本の中で、ボストンで学んだという医者がマクィーンに『日本の医者は患者の迷信を相手にしなければならないので、一つの症状に1ダースの薬を出す。だから、西洋医師が必要なら私のところに来なさい』と話している。ヘー、知らなかった、と言うところだ。まして、私の知り合いには、マクィーンが書いているような200万円の結婚式を挙げた者など一人もいない」

寒山「残念ながら、それは君が低所得者友達と交わる低所得者だったというだけだ。さて、どこかにあったね。日本人が『欧米人の会話はテニスだ。互いに打ち返す。日本人の会話はローン・ボウルだ。それぞれ転がして、お互いに拍手する』というところかな。私のオーストラリアでの経験では、たいがいが下手なテニスだ。交互にサーブを送っても相手が打ちそこなう。もちろん、全部がそうだとは言わないが。マクィーンはどんな場合でも誰それがこういう風に言ったと書いて、それ以上の批評をしない。これはこれまでに取り上げた著者達にないことだ。マクィーンが北海道に行って、アイヌ風俗が観光になりながら、まともにアイヌ文化を取り上げていないことを指摘しているが、後の方ではちゃんとタスマニアの捕鯨船が1831年に厚岸近くでアイヌを人質に取って地元民と戦闘したことも書いている。『「レディー・ロウェナ」の乗組員は、タスマニアのアボリジニと同じ扱いでアイヌにもひどい扱いをした』とね。こういう手法もこれまでに取り上げた著者達にはないことだ。読んだ印象では、マクィーンというのは日本でアウトサイダーであるように、オーストラリアにいてもアウトサイダーのようだな。私の知る限りでは、他人と違っているということは、日本ほどではないにしても、オーストラリアでもやはり生きにくいことだということに変わりはない」

拾得「大阪の民族博物館の庭でアボリジニの歌と踊りを見たことがあるが、ダンサーの物悲しげな表情が気にかかった。休憩に入った時に何気なくカーテンの陰を覗いたら、テーブルの上に缶ビールが山のように積んであった。誰がこの公演を手配したのか知らないが、ひどく腹が立ったことを憶えている」
寒山「私たちは散々『欧米はこうだ、日本はこうだ』という話を聞かされて、実際には聞くと見るでは大違いという体験を繰り返してきた。同じ間違いをしないように注意することだけだな」
拾得「マクィーンの本で批判するところはないのかね」
寒山「一人の日本人との会話で、『日本人の自然というのは庭園のように加工された自然のことなのか』という感想を書いている。歴史的な過程に注意深いマクィーンでもこういう見落としをしている。例えば、イギリスの田園を見ようか。あれはかなり加工された自然だが、人はある程度住みやすく、毎年一定の労力で恒常的にバランスを保てる『加工された自然』であれば『美しい自然』と感じることができる。また、人が『自然』と名づけるのは自然そのものではなく、『自然』と意識された自然だということ。人間は一度も自然の外に出たことがないが、その『自然』の意識は人類が何万年もかけて築いてきた意識だということ。もちろん、この意識はこれからも変化していくし、人類が自然環境と生活水準を折り合わせていこうと思うなら、ここがその根拠になるだろうと思うね。自称マルクス主義のマクィーンがマルクスの初期の著作を読んでいればはっきり理解できているはずだが」
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お笑い日豪メディア・ウォッチ その11

歴史とカルマと陰謀と

相変わらず2か月もあるといろんなことが起きる。日本の首相は南京を訪れず、敗戦までの15年にわたる戦争の発端地柳条湖を訪れた。イギリス女王がアムリツァルを訪れたいと希望し、インド政府に断られている。ここは1919年に反英運動の民衆に向けてイギリス軍が発砲し、1500人が死傷した土地である。
朗報もあった。「怪談」で有名な小泉八雲ことラフカディオ・ハーンの写真と作品がダブリンの作家記念館に収められることになった。アングロ・アイリッシュの父とギリシア人の母の間に生まれた小泉八雲はアメリカに移民し、後に松江で旧武士階級の女性と結婚して帰化しているから、法的には日本人であった。死後93年ぶりの里帰りである。

寒山と拾得は夜のニュータウンを歩いていた。このあたりは数年前とうってかわって民族料理店が立ち並ぶ通りになった。しかし、大阪の道頓堀に似ていて、美々しいのは夜景だけ、夏の日中などは相変わらず汚く臭い。しかし、寒山拾得はニュータウンがパディントンのように「こぎれい」指向にならないように願っているのである。
拾得「前回の続きだが、日本にいる友人が、今の地方都市の結婚披露宴の相場は1000万円だというイーメイルを送ってくれた。へぇーとは思ったが、金のある連中が自分の金を好きなように使うのに文句をつける気にはならないね」
寒山「そうだな。私なんかむしろ、ネチネチと『贅沢な日本人』みたいな言い方をする連中の方が目障りだな。こう言う連中が、一生に一度の祝い事に大金をはたくことがつまらないことで、4WDとかヨットを買う方がましで、カエルのようにはねたり、ウサギのように走ったり、イワシのように泳いだりするスポーツが崇高な活動だと思っても、実は何の根拠もない。どれも経済的に余裕があるからできることだという点では共通性の方が重い」
拾得「もう一つ、前回のハンフリー・マクィーンでは大事なことを落としていた。彼の著作は『Japan to the Rescue』の方が専門分野で、『Tokyo World』は余技だ。私たちがただの与太者だから、『Japan to the Rescue』を知らなかったと思われては困るからはっきりさせておこう」
寒山「それもそうだな。知らなかったわけではない。私たちのような与太者には歯が立たないから触れなかっただけだ」

拾得「ところで、ダイアナ・スペンサーの葬式の頃は、ずいぶん『気分が悪い』と繰り返していたな」
寒山「ああ、ダイアナの死は個人としては気の毒だと思うが、アフリカやアジアで有名でもなく、貧しく、地をはうような暮らしをしている子供や大人が地雷兵器で何万人も殺されていていも眉一つ動かそうとしない世界が、有名で、金持ちで、きれいな女性が一人死んだだけで途端に心を動かされるのを見て、私たち先進国国民の後進性と差別性に気分が悪くなったのさ。あの大騒ぎを見て思ったね。これからのファシズムには武力はいらない。金持ちで有名な美人が一人いればいいとね」
拾得「相変わらずひねくれているね。しかし、有名でも、金持ちでも、きれいでもない、私たちのような無三階級としては当然のひねくれだ」
寒山「だけど、私たちが革新政党などと違うのは、『清く貧しく美しく』などというたわごとを信じていないことだ。豊かであれば、清くもしていられるし、美しくもなれることは実は誰でも知っている」
拾得「ところでそのイーメイル友達が、吉本隆明というひねくれ者が今の社会を『健全な昼社会感覚』と呼んでいると書いてきた」
寒山「『健全な昼社会感覚』というのは言いえて妙だね。PETボトル入りのミネラル・ウォーター片手にジムに通って、食べる物は健康食、化粧品は動物実験をしていない、毛皮は着ません、の時代だものな。私などシドニーの毛皮反対運動を見ていて、戦争中の日本で国防婦人会とかいうのが通りでパーマをかけている女性などを捕まえて、国賊とか何とかののし