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ホーボー日記

 

 

 

「Goggle」 1986年9月号に掲載されたニュージーランド旅行記
「Heartland New Zealand」というタイトルがついている。
ここに記載されている情報は1986年当時のものであり、それ以後政府機関もかなり改組されており、料金、金額、価格なども激しく変わっていると考えられる。土地測量局(Lands and Survey)や林野庁(Forest Service)などはもうないらしく、名称を変えて他の省庁と合併あるいは分離されている。地図も当時3ドルほどだったものが、数年後には11ドルになっていたし、無料のパンフレットも一部が有料になっていた。バイクの価格も当時3000ドル程度だった車種が数年後に5000ドルや6000ドルになっていた。

[ ]内青文字は、Goggle編集部のコピー
[そこでは、時の流れまでもゆっくりしている……南半球、キウィたちの島]
[Heartland "New Zealand"]
[南半球、日本から一番遠いくせになぜかとても良く似ている、愛らしい島国ニュージーランドは、日本が夏を迎えている今、冬のさ中だ。この国の魅力に心をうばわれた、一人の日本人がいる。半年におよぶ滞在を終えて帰国した彼の胸にはるかなる心の故里は、どんなたたずまいを見せているのだろう。これは初めて見ることのできる、素顔のニュージーランドのレポートである。]

[「グディ」バイクを降りたら、誰もが気さくな飲み仲間になる]
着いたのは10月。桜咲く季節はまだ肌寒かった。
本や観光案内に書かれていないニュージーランドを見たくて走った。
彼ら、キウィにしてみればあまりにも当たり前なこと。それ故に、旅行者の眼には触れられないでいることども。
そんな日常のこまごまとしたものを知りたくて旅した。
走りながら、地方紙を買って、地元の記事に眼を通した。
道は、バックカントリーと呼ばれる田舎の道。時には、ハイカントリーステーションと呼ばれる山岳高地の牧場の中、長い長いダートロードを、いくつものゲートを過ぎ、無数のクリークを膝までつかって走った。
幹線道路こそ舗装されているものの、未舗装路は50%を超える。そんな道が、広々とした牧場地帯を走り、深く暗い原生林の国立公園の直中を行き、雄大でふくよかな、あるいは峻険な山地を抜ける。木一本見えない無人の荒野の道もあれば、奔放な野性の河に沿って、峡谷を遡る道もある。
道筋に点在する町は小さい。多くが、ただひとつの十字路、デイリーと呼ばれる雑貨屋、ただひとつの錆びたポンプで燃料を供給するガレージ、教会、喫茶店、テイカウェイのフィッシュアンドチップス。しsて、町の中心に位置するホテルの兼業パブ、といった風で、それもたいていどれかが他のものを兼ねていたりする。
この国では先を急いではいけない。
バイクの上から手を挙げれば、誰でも、実に誰でも手を振り返してくれる。
長距離トラック、バス、貨物列車の機関車から、道路工事の作業員、木こり達、道ばたを歩く学校帰りの子供達。馬に乗ったマオリの牧夫。ブルドーザーを操る農夫。ライダー、ドライバー。
手を振り返してくれる。あるいは、張り子の虎のような、クビをクイッとひねる独特の仕草をする。
そんなとき、バイクを降り、ヘルメットを脱いで、
「グディ」と言ってみる。
そんな古い言い回しがこの国にはまだ生きていたりする。
午後のお茶を求めて、バイクを停める。一日走り終えた時はいっぱいのビールを求める。
店の主人や、居合わせた客と言葉を交わす。人々は気さくで、人なつっこく、少し内気だ。
グラス一杯飲み干す間に土地の話やパブに伝わるジョークを話してくれる。
もう一杯、とおごれば舌のすべりは更に良くなる。
この国では時間はゆるやかに過ぎていく。そのゆるやかな時間は、また、豊かでもある。
ある種の日本人には、そんな時間の緩やかさや豊かさが貧しさと映るようだ。
惑い、持て余す若い日本人旅行者に大勢出会った。退屈な国だと言うのだ。
しかし、もし、自分で目的を定め、出会ったすべてを楽しむ心の用意があるなら、この国ほど豊かで制約のない国も少ないのではないか。自然はその一部に過ぎない。

[草レースに帰ってきた世界チャンプ-ヒュー・アンダーソン]
「私は、始めモトクロスが好きだった。ところがその頃、ヨーロッパへも行ってみたかったんだね。そんな時、ヨーロッパのレースで成功した奴が帰ってきた。それで、私もロードレースに転向して、ヨーロッパへ渡った。最初の年は、自分で車を運転し、自分で手続きし、整備も自分でやってレースに出る、という具合に始まった。ニュージーランドから来た無名の選手が突然勝ったものだから皆びっくりしてたな」
ヒューは、箱から古い写真をひっぱり出し、これがフミオ・イトウ、これがマイク・ヘイルウッド、と一枚ずつにまつわるエピソードを話してくれた。
一枚の切り抜きは、彼と同じ姓のバイクジャーナリストの筆になるもので、
「若いが、疑いもなく怖いもの知らず…」のキャプション入りだった。
「この頃はすごかったよ。まるで、トップライダーばかりのレースみたいなものだった」
「それから負傷して、入院した病院の看護婦と結婚した」彼は、台所を指で示した。
「それからは、女房連れで、キャラバンごとレースまわり。ロードを引退してモトクロスをやったり、いろいろあった。でも、いつまでもやってられるものじゃない。家族とも落ち着きたかったしね」
ヒューは台所に立ち、振り返って訊く。
「今日は、女房の休日なんだ。夕食はフィッシュアンドチップスでいいかな?」
夕食をはさんで、話はあちこちに飛び回った。物静かな調子だが、やたらと「ブラディ」なる言葉が飛び出す。
「70年代のバイクブームの頃は、皆楽しむことを知ってたよ。プラグがなければ貸しあった。ぬかるみで立ち往生する選手には押してやったりしたものさ」
「今じゃ、誰もが勝つことばかり。親までが血眼になって、息子のケツを叩く。コースはトリッキーになる一方だし、新型でないと勝てないみたいになってきた。当然、初心者は楽しむどころじゃなくなった。やめていくのも当たり前だ。バイクの人気が下り坂になるのも当然じゃないか」
「もちろん、時のはやりすたりもある。ドルの下落から、バイクが値上がりしたってこともある。しかしね、原因は、バイクの楽しさを忘れたところにあるんじゃないか。
そうね、今は十分幸せだよ。チャンピオンにもなったし、今は、家族に囲まれて、週末にはのんびりしていられる。去年はストリートレースが、このハミルトンの町でも開催できた。クラシックバイクのレースにも、本当に楽しみだけで走れるんだからね」
彼の人柄について、ジョージ・ベグがカーストの50周年記念レースでこう語っていた。
「不思議なことに、ヒューは、カーストのレースには一度も出なかった。しかし、今日、彼のノートンは正面前の直線のダートで時速107マイルを記録した。
カーストのレースが終わった年、彼はヨーロッパでチャンピオンになった。そして、彼こそ、チャンピオンになった後でも、草の根レベルに帰ってきた唯一の男だ」

[エンデューロ・レースは僕の人生なんだ-ジョン・ニコルソン]
ジョンは、こじんまりと片づいた部屋で写植の整理をしていた。「キウィモーターサイクルライダー」は、ダート寄りの、薄いが編集者の信念の徹底した雑誌だ。
ジョンは、オークランドの西郊に、教師の奥さん、ナタリーと自分で造った家に住んでいる。家を囲むカウリの木々は国で保護していて、切ることはならない。
雑誌の編集をする前には、鉛管工や大工を仕事としながら、北島と全NZのエンデューロレースチャンピオンを3度獲得しているのだそうだ。
今も、レースにこそ出なくなったものの、北島でのレースコーディネータを務め、ISDEのナショナルチーム合宿のコーチの仕事も果たしている。
「僕は、ライダーにもっとツーリングの楽しみを知って欲しい。だから、毎号ひと味違ったツーリングの記事を載せているんだ。
それと、環境派の力が強くなって、バイクの走れるエリアが減っている。それにライダーの考え違いが世間を狭くしている。
ライダーの団体もあるさ。レースのコース使用やレースチームの派遣には機能しても、ハイカントリーのバイク締め出しなんかには有効に対応できないのが実のところさ。
ナショナルチーム派遣だって、人口の少ない国のこと、資金を確保するのも大変だ。それに、開催国がヨーロッパで、遠いこともある。いつか、ニュージーランドで開催したいと思うね。
あとはね、日本から数人のグループで、ニュージーランドの山道をトレイルライディングしたいっていう人がいれば、こちらでバイクを用意してツーリングしたいね。キャンプとモーテルを宿にして、一週間ぐらいの日程で走れればいい」

[40歳を過ぎてから楽しめるトライアルもあるさ-ボブ・ハリス]
「グレイベアズトライアル(白髪ヒゲのトライアル、つまり40歳以上が出場資格)」の会場は、ボブ・ハリスの牧場「ロアーアシュリーダウン」。雨の中を20歳から40歳代のメンバーがトライアルを「遊んで」いた。
後日、真っ青な空の日にボブを訪ねた。窓から平野の遠くにクライストチャーチとカシミアヒルズを望む丘の上の家。
「イース(イエス)、ソシャルライフだからお互いに楽しくなけりゃ。成績はその次。試合が終わって、バーベキューで冗談言いあって、ま、皆バイクが好きで集まっていることだから。腕の見せっこというのもあるけど」
「昔は市内に仕事を持っていたんだけど、ここに土地を買って牧場を始めた」
「イース、ロムニーが400頭、猫が2匹、牛、鹿、犬、鶏。小さいよ」
「鹿は未だ繁殖用だから高いけど、いずれ数が増えれば食肉用に安く出せるだろうな」
「イース、イース。あのBSAのサイドカーも俺と同じくらい古いんだけど良く働いてくれる。この間も女房を乗せて、ティマルのビンテージバイクラリーに行ってきたよ」
「そおよ、振動がひどくてね。降りても体がしびれたままなの。寒さでしびれてるのか、振動でしびれてるのか分からないわって言って、二人で大笑い」
バイクに乗って何年になりますか? という問いに。
「ハハ。そう、30年かな。疑ってるの? 30年だよ。レースをやめてからね。結婚の条件が、レースをやらない、だったんだ」

[たった一度、二十数年前の公道レースを復活させた-ジョージ・ベグ]
仕事で大阪に来たこともあるというジョージ。渋滞する道路と人混みにあきれていた。
「35年から63年まで、カーストでロードレースが行われていた。当時を知る者の間から、50周年にレースをやりたい、という話が出ていたんだね。ちょうどそんな時、カーストのカウンシルではコミュニティセンターの建設資金を必要としていて、両方のメンバーになっている者が仲立ちをした。カウンシルはレースに公道もあるので許可を出す。レース主催者は入場料の収益をセンターに寄付する。結果的にうまくいったわけだが、いくらニュージーランドでも、公道をレースに使うのは簡単じゃない。先ず、主催者が責任ある団体であることを示さなくちゃいけない。近辺の住民の合意も必要だ。その代わり、カウンシルと住民の支持があれば、交通警察の方からとやかく言われることはないがね」
「4km余りの全コースがほとんど昔のままだ。この国じゃ変化は遅いからね」
「昔走った連中ばかりじゃない。乗ってるバイクより若い連中も大勢出た。60年頃、父親に連れられてきて憶えていますよって、年配のライダーに挨拶しているのもいたな」
「残念だが、このレースは一回きりで、今後のことは分からない。多分、他の形で続くだろうが」
「私自身? そう、30年ばかりバイクには乗ってなかった。危ないからね、バイクは」

[楽しけりゃいい、サイドチェア・トライアル]
「サイドチェアトライアル(サイドカーのトライアル競技)ではね、パッセンジャーの力が80%、ライダーは20%くらいなんだ」
セクション自体は、二輪トライアルからみれば非常にやさしい。ところが、コースにターンを組み込んであるから、そのターンをどうこなすかがサイドチェアトライアルの面白さとなる。パッセンジャーの的確な判断と素早い体重移動がなければクリアできない。うかうかすると落車したり、オブスタクルの木に頭をぶつけたりしてしまう。一部には車幅より狭い立木のセクションまであった。当然、車を倒して通過しなければならないわけだ。
イギリスでは50年前からあるけど、ニュージーランドでは9年前に俺達が自作して始めたのが最初だな」イバン・ノリツが説明してくれる。参加6台のうち、5台までがブルタコだった。
「日本製は軽すぎるんだ。サイドチェアを付けるとバランスが悪くなるんだな」
長い斜面で、ハリエニシダの茂みに突っ込むチームがいる。さぞ痛いだろうと同情する。
木立のボグ(沼地)でスタックする車もある。パッセンジャーがリアに体重をかけるが、タイヤは空転するばかりで、うっかり後にいようものなら泥を浴びせられてしまう。
それでも皆お互いに知恵を分け合い、良いラインに誘導したりして試合を進めていく。木立の間を70度くらいまでバイクを倒してクリアすると大喝采だ。
明るいうちに競技が終わると、あとはバーベキュー、箱入りのワインとビールで一日のパフォーマンスを振り返って笑いが絶えない。

[日曜日の市街地で公道レース 隣の兄ちゃんがヒーローだ]
日曜日、北島・ベイオブプレンティに面したホワカタネの町でミニバイクの市街レースがあった。大げさなものではなくて、地元のクラブ主催で、近郊のライダーが競走するといった感じである。
この国の町は、居住、商業地区をはっきりと分けるので、日曜日の商業、工業地区は無人になる。レースはそんな商店街を使って行われた。
50〜125ccまでの二輪とサイドカーの排気音が町中に響き渡る。観客は歩道でのんびりと観戦。どれも、古いバイクをていねいに整備して乗っている。市販のレース部品なんてほとんどないし、あっても高くて彼らの手の届くものではない。寄せ集めた部品、知り合いの鉄工場で造ってもらった部品を取り付けている。そのどれもがいかにもよく使い込まれていた。
このようなレースを支える多くの人達のうちでも忘れてはならないのがセントジョン救急隊のスタッフである。モーターサイクルレースに限らず、スポーツ試合にも彼らの待機が条件となっている。
選手は、ひとり1ドルを払わなければならないが、彼らスタッフの日曜出勤はボランティアである。ここにも、ニュージーランドの社会のあり方をみることができる。
そして、この日、レースの周辺にひとりの交通警官の姿もみることはなかった。
新車や高価な改造部品にお金を費やしながら、走るところが少ないばかりに、峠道で命を落としたり、通行権を失っていく日本のライダー達と、古い装備に手をかけながら、このように町議会や商店街などの協力で走る場所を得られるニュージーランドのライダー達。思わずため息をついてしまった。

[
マクリーン夫婦の著した金鉱史を読んでみたい!]
3月半ば、ネービスロードを走った。この道からリマーカブルレンジの向こうはクィーンズタウンである。初雪の峠を渡ると荒涼としたかや草の山峡である。25あるクリークのうち21を渡ったところで小屋を見つけた。バイクを停め、タバコに手をかざして暖を取っていると、おじいさんが戸口に経った。「グディ」で始まり、茶を勧められた。小屋ではおばあさんが昼の支度をしていた。
おじいさんはこの土地で砂金を掘っている。おばあさんは元学校教師。この小屋で犬との生活を送りながら、土地の金鉱史を書いているという。
「でもね、出版社に持っていくと、厚すぎると言われたんですよ。それに、地元の人ぐらいしか読みゃしないって。地元ったって3人しか住んじゃいないし」
「ソーセージ、塩漬けにしといたんだけど、塩辛かったようね。おじいさん、ミルクとってくださらない」
老人は窓際の棚に手を伸ばした。そこが部屋の中で一番冷たいそうだ。
「冬の間はミルトンの息子の家で過ごすんだけどね。一度だけ、ここで過ごした時は教え子達が来てくれてね。馬の背に男の子が2人とサドルバッグに女の子2人よ。2フィートくらいの雪の中を1日かけて、20マイルの山道をねえ」
「去年暮れに見つけた砂金はきれいだったよ。長さ1インチの涙滴形でね、鎖を付けたんだけどあたしには大きすぎるから娘のところに預けてあるわ」
おばあさんの出してきたノートにはこの道を通りがかった多くの旅行者の名前とメッセージが残されていた。オーストラリア、アメリカ、ヨーロッパ各国の人が通り過ぎた。
何度もそうしたであろうように、老婆はいつまでも戸口で手を振っていた。

[
Xmasだからラリーも酔っぱらい]
11月の末、南島北部のネルソンレイクス国立公園でクリスマスラリーが開かれた。
深い樹林の山塊が真っ直ぐに水面へと落ちるさびしい雰囲気のロトイチ湖畔は一時、酔いどれたバイク狂達の喧噪に溢れた。
前日、午後のお茶にも間に合う時間に着いた僕は、BRONZ(バイカーの権利の団体、NZ)と染め抜いた旗の立つテントで12ドルを払い、ニュージーランド名物、サンドフライ(ブヨ)の暖かい歓迎を受けながらテントを張る。
三々五々、バイクが入ってくる。誰もが顔なじみらしく、挨拶を交わしている。
ひときわ高い感性に迎えられたのが鶯色メタリックのBMWだった。
「クリス、クリス・ウィリアムズ、名物男さ」
隣で誰かが言う。
日が暮れ、キッチンと暖炉のある小屋に人が溢れ、ライダー達はしばらくぶりの再会を喜び合う。ビールがつがれ、ワインがまわり、暖炉の火が人々の顔を照らす。クリスが歌い出す。おそろしいスコッチ訛りと素晴らしいバリトンでアイルランドの歌を歌う。たくさんの声が唱和する。
僕の頭はアルコールで痛んだ。
夜半にはポツリポツリと雨も落ちてきた。酔っぱらい達はレナード・コーエンの歌にあわせて、灯りの下、濡れながら踊る。いつの間にか、頭痛に耐えながら眠ってしまっていた。
明くる朝、雨は降り続き、ライダー達は小屋に集まって再び飲み始めた。時折の晴れ間に綱引きする者、広場で踊る者、水たまりをバイクで突っ走る者、クリスも水たまりに座り込む。
暖炉で燃やす薪の臭いをかぎながら、ライダー達の笑い声、叫び、歌声からふと遠く、この国の若い人達の奇妙なおとなしさ、それとも、何といおうか、凶暴性の欠如とも言えるものに思い至ったのだ。

[
NZはトレイル天国でもあった]
ニュージーランドのトレイルライディングはスケールが大きい。もちろん、オーストラリア大陸の砂漠のようなわけにはいかないが、どの道も人間と自然の戦いの歴史をうかがわせる独自の味を持っている。
ネービスロードは千200メートルと千300メートルの峠に挟まれる80kmの荒野の道である。10あまりのゲートと、25のフォード(浅瀬)、道が橋もなく川を横切る。
スクールフラットには石造りの小屋も廃墟となって残っている。金鉱跡である。
オールドダンスタンロードは150kmほどの、ゴールドラッシュ時代の駅馬車街道。片岩の黒褐色の石柱はおどろおどろしい世界を現し、ニュージーランド随一の乾燥地帯の峠では、真夏に雪を見ることもあるという。
クィーンズタウン近く、メイスタウンロード、スキッパーズロードは金鉱のゴーストタウンへの道。短いが前者は無数のフォードを渡り、たどり着けばスタンピングバッテリーkという砕石機が赤さびている。
後者は片岩の垂直な壁にしがみつく狭い山道であり、眼下は100メートルの峡谷である。スキッパーズタウンの墓地の墓碑銘に、故郷から離れ、さびしい荒れ地に暮らした荒くれ者の金鉱夫達の、仲間を悼む心情が胸をうつ。この土地で死んだ中国人鉱夫の、漢字の墓石もひとつ傾いて建っている。
ニュージーランド最大の牧場、モールズワースステーションの道は、遭難者が出て二輪車通行禁止になってしまったが、200kmを超えるダート。牧童がこの道を家畜を追って何日も移動する。夏には紫のルピナスが道ばたに咲き乱れ、秋にはあざみの綿毛が雪のよう。ニュージーランドのこれらの道は日本の林道よりもはるかにハードである。それだけに踏破の楽しみも大きい。
ジョン・ニコルソンも、日本人トレイルライダー達に、こんな道を紹介したいと語っていた。

[
バンクス半島を一日ツーリング。ちょっと足をのばした]
クライストチャーチからダイヤーズ峠を越え、リトルトンハーバーに面した「スマグラーズアーム」(密輸人の武器)という奇妙な名前のパブでイアンのシルクロード、その友人のXRと待ち合わせた。
入り組んだ遠浅の海岸線では、人々が水浴び、ヨット遊びに興じている。
岬を峠で渡るたびに、眼下はるかに牧場の家屋やスワンプ(沼地)、蛇行する川、そして入り江が広がる。
気がつくといつの間にか舗装が途切れ、砂利道となった。XRが急に張り切って砂塵を残して行ってしまった。リトルアカロア、ルボンズベイとたどる。ダートに従って道を登る。迷い出た羊がポテポテと逃げまどう。七面鳥が翼をばたつかせながら草むらに消える。
サミットロードからは、前にも後にも海を見下ろす。
ストックロード(家畜道)の看板を入っていくと、急なダートを一気に下る。
海岸のパブで食事をとる。
「昔はこの半島もほとんど森だったんだってな。それを100年余りのうちに切り倒して、牧草地に変えてしまったんだろ。
それもせいぜい数千人の力でな。ニュージーランド人てつくづく勤勉だったんだなと思うよ」
「そう、多分。昔は」
再びサミットロードにのぼり、リトルリバーポートレビロードを進んだ。
浜砂利の道、羊の群ゆく道を上り詰めた。目の前に太平洋が青く水平線を広げ、背後は折り重なった薄緑の山々。
稜線に、運び残された巨大な切り株が、骨のように白く晒されて日に光っていた。

[
砂埃の中、ああ、玉ねぎモトクロス]
ニュージーランドは日本と季節が逆である。エンデューロレースは冬の試合で、5月〜10月に行われる。ところがロードレースやモトクロスなどは、シーズン中に年が明けるので、11、12月と1、2月では別のシリーズで行われたりする。
モトクロスのチャンピオンシップスなども、2月の試合で86年のチャンピオンが決まってしまう。慣れないとわかりにくい。
オークランド近郊の農場で行われた最終ラウンドのコースを歩きながら、ヒューが何かをつま先で蹴る。
「タマネギ。タマネギの臭うモトクロスだ」と笑う。
「この国じゃね、世界で真っ先に新型に乗れるんだ。北半球でシーズンに入る前に最後の手直しをするためにな」
チャンピオン決定戦とあって、NZTVも、中継車とクレーン車まで動員している。
しかし、レイアウトから進行までテレビに合わせ、スタートもヘッドセットのディレクターの指示を待って、というのにはあきれた。当たり前なんだろうが。
ニュージーランドのモトクロスで目立つのは、2、4ストロークのエンデューロ車にヨーロッパ車、CRやKXに混じって、XR、IT、真っ赤なマイコも走る。
真夏の快晴とあって砂埃がひどい。コース沿いのスプリンクラーがまわるが、とても追っつかない。5分もするとカメラがうっすらと白くなる。
それでもコースの向こうに人工の構造物が見えないのは気持ちがいい。どちらを見ても林か牧草地である。
最終レースはひときわ大きい唸りの500ccクラスだった。地鳴りが伝わってくる。一瞬途切れる。突然、破裂する音と共に眼の前に躍り出てくる。質量で攻めるクラスだ。
4ラップで全レースが終わり、ラウドスピーカーが86年チャンピオンの名前を読み上げる。
夕陽を背にして、長い車の列が、砂埃の中、国道に向かってぞろぞろと進み始めた。

[
4000頭のシープをXRで追う]
海べりから500メートルの山を越え、国道1号線までがブルースの牧場だ。
14平方キロに4千頭のメリノは大牧場じゃないとブルースは笑う。
その4千のシープシフティングをXLで手伝った。手伝った、というより、邪魔をしなかった、が真相だった。
うねる斜面をフェンスで区切ったパドック。それを貫くブルドーザーの道。
ブルースのXRは、3頭の牧羊犬を従え、軽々と登っていく。XLの重さとトレイルタイヤはほとんど使い物にならない。
XRと3頭の黒犬は、羊を追わない。追えばすり抜けるばかりだから。羊の群の外周を大きく、網を打つように走る。
既に点になってしまった、向かいの斜面のブルース。草に溶けてしまった牧羊犬。赤いXRがかろうじて視界に残る。急峻な山肌を昇降する。かすかに犬笛が聞こえる。その抑揚に合わせて犬が走る。
いつの間にか谷底はオフホワイトの羊の群に埋め尽くされ、滞留していた。
数頭の羊が思いきってゲートをくぐると、淀みに流れが生まれる。不思議なことに、遠い斜面ではぐれていた羊達も急に向きを変え、坂を下り始めた。半時間ほどで4千の羊が移動を終えた。
ニュージーランドでは、権力者に盲従する人を「羊」にたとえるのだそうだ。
「この国では、ファーマーが優れたライダーなんだ。自分の必要としているものを良く知っている。誰でも、自分でバイクを修理する。それにこうやって仕事に出た時は、どんな斜面でも乗りこなせなきゃならないから、小さいうちから練習しているしな」
ブルースは草の山肌で何度もターンしてみせる。
「日本が、ニュージーランドの産物をもっと買ってくれれば、僕たちも、バイクだって農業機械だってもっと買えるんだが」と、ブルースは言って、笑った。

[
国有林にサーキット。これがお役所仕事だなんて!?]
ロトルアから、国道5号線を南へと走る。国有林の空き地にトラックをとめ、80ccのモトクロッサーではねまわる少年達がいた。
不法侵入しているわけではない。林野庁がいくつかの国有林にレクリエーションエリアの一環として、このようなモトクロスサーキットや、もっと長いトレイルバイクサーキットを設け、地元のクラブと協力して保守しているのだ。
初心者コースで走っていた1台が、ラット(轍)だらけの坂を登り、木立に消えてしまった。もう1台は水筒からラジエータに水を注ぎ、自分でもあおっている。
見かけよりコースが長いらしくて、一度消えるとなかなか戻ってこない。やっと現れた少年が、僕に向かって「走ってみないか? すごくバンピーだぜ」と誘う。
一人、バイクを持っていないらしい少年は、あと3か月で免許が取れるんだ、と誇らしげだった。バイクは? と聞くと、XTを持っているんだけど、まだ乗っちゃいけないんだと笑う。
昼下がりの日差しの下で、少年の歯列矯正器がキラリっと光った。
蝉の声が聞こえる。

[
N.Z.で困ったら、アイマークへ]
ニュージーランドを少ない予算で旅するなら、いくつか仲良くしたい機関がある。一つはランズアンドサーベイ。地図の発効だけでなく、国立公園、自然、景観、歴史保護区、登山道、キャンプ場などの管理もしていて、都市の窓口、現地の管理事務所では、親切に説明してくれるし、それぞれの詳しいパンフレットも無料で備えている。パンフレットの裏に、必ず、
「写真のほか、何もとらない
足跡のほか、何も残さない
時間のほか、何もつぶさない」とある。
もう一つはフォレストサービス。都市に窓口、各国有林、森林公園に展示室、管理事務所を置いている。ここにも数多くのパンフレット、地図を備えている。
そして最後に、インフォメーションセンター。中規模以上の町と、観光地の通りにアイマーク。公営、民営を問わず、地域のあらゆる情報案内をしてくれる。安い宿泊所や、パブのありかだって教えてくれる。もしセンターで知らなくてもどこへ行けばわかるか教えてくれるだろう。
どこでも大事なことは、何を知りたいのかを明確に伝えることだ。

[
バイクで得られる大地平線]
ニュージーランドをバイクで走るなら観光地ばかりをまわるのはもったいない。
このレイクサムナー国有林へは、30kmの砂利道と、20kmの4WDの轍の跡を走る。
広いブナの原生林と4つの湖。みやげ物屋もペンションもない。一日遊んでも数人の人に出会えば多い方である。
ライセンスさえとれば、釣りもできるし、鹿狩りもある。ガイドなんていないから、すべて自分でやらなければならない。そのかわり、金はかからないし、制約も少ない。テントを張ってもいいが、ここにはフォレストサービスの山小屋が3つあり、無料である。全国にこのような山小屋がトランパーやトレイルライダー、ハンターを迎えている。
第二小屋の先には露天風呂さえある。ただし、バイクは第二小屋まで。その日も2人の管理官、4人のトランパーが泊まっていた。

[
盗まれたおかげで町の有名人!?]
ハミルトンの朝、荷物を担いでユースホステルを出た。バイクがなかった。信じられなかった。ワーデンに教えてもらって警察へ。それからワイカトタイムズに寄った。新聞に載ったおかげですっかり有名になってしまった。パブでもバーテンが「バイク、見つかったか?」と聞く。
バスでオークランドに戻り、一週間後、連絡があって、見つかったという。
警察官が「お前は運がいい」と言う。
「運が良けりゃ、盗まれませんよ」と言ってやった。
「記事になったら送ってくれよ」だって。
戻ってきたバイクで通りを流していると、白バイが止まれと合図する。違反のおぼえはないが、端に寄せると、「それは盗まれたバイクだろ? 俺達が見つけたんだ。7キロも追っかけたんだぜ」
「もう盗まれるなよ。気をつけて行けや」
そして、またもや、
「記事になったら送ってくれよ」
この国では役人もカジュアルだ。
クライストチャーチを発つ直前、ハミルトン警察から手紙が来た。
「何某、20歳の判決は6か月の社会奉仕。これは執行猶予のようなものです」
いい国だ。

[
国は国民に奉仕! 森林公園の徹底ぶり]
フォレストサービスの管轄する国有林のいくつかは森林公園と名付けられていて、キャンプ、ピクニック、乗馬、自然観察などができる。
資料も豊富に揃っている。管理官は役人というより気さくなトランパーという雰囲気で、もちろん、自然について実に詳しい。彼らは何日かかけて、徒歩で、あるいは4WDで森林のパトロールを続ける。
ニュージーランドでは、政府は国民に奉仕するもの、という感覚が徹底している。だから、トランピングしたいと言えば、道について、実に多くの情報をくれるだろう。そればかりではない。「〜してはいけない」という言葉が少ないのだ。
「バイクはここに置いていきなさい」「火はキャンピングストーブを使ってください」という具合なのだ。
彼らが厳しいのは密猟、獣の持ち込みと火の危険である。

[
ニュージーランド、バイク売買事情]
バイクは店で買ってもいい。高めだが、店の保証もあって安心できる。ただし、保証は確認しておくべきだ。
バイクを見る眼があるなら、新聞の売買欄がいい。先ず店をまわって相場を知っておく。それから、住所を定める。住所には何の制約もないから、ユースホステルかなんかにすればいいだろう。
土曜版の新聞が広告も多くていい。条件に合うバイクを見つけたら、電話で約束する。
広告でonoとあれば、or near offerの略で、交渉次第で安くなる。depositとあれば手付金。相手の家で会うようにしたい。登録証、免許証の住所、名義の確認である。ニュージーランドでは、盗品は、善意の第三者であっても制裁があるので、少しでも不審があれば手を出さないか、当地の人に話してもらって確かめた方がいい。
話がまとまっても週末では買えない。手付金と領収書を交換。名義変更は郵便局で受け付けているので、平日の午後4時半までに双方揃って申請する。
必要事項を記入し、売り主が23ドルを郵便局に払い、買い主がバイクの残金と引き換えに車体と登録証を受け取れば終わる。
車選びは、いいものを高く買って高く売る。あるいは、安い中古車を乗り捨てる、かだ。信頼性を考えれば前者に限る。バイクの故障はそれだけで旅の成否を左右しかねないのだから。それに、出費の大部分は戻ってくるのだから。
売るにはバイク屋が手っ取り早いが買いたたかれる。
新聞社へ行けば4ドルほどで広告が出せる。僕の場合、2千200ドルで買い、千700ドルで売った。
半年間、2万2千キロ走り、タンクに傷までつけてこの値段である。
品物次第では同じ値段で売るのも可能だと思う。
スプロケット、チェーン、タイヤなどは交換して上乗せした方が売りやすい。
ほかに、買い戻してもらう約束でバイク屋で買うのも少し条件が良くなるだろう。
バイクを買ったら保険にも入りたい。
半年ならステート(STATE)、1年ならシム(SIMU)が安いが、僕の場合で107ドルだった。

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免許はNZで取ってしまえばOK]
もし、今免許を持っていなくても、ニュージーランドで免許が取得できる。ただし英会話の能力が必要。むちゃくちゃ安いので試しに。
ミニストリーオブトランスポート(運輸省)の事務所へ行けば交通法規集と問題集を無料でくれる。
法規は日本と似ているし、問題の種類も少ないから丸暗記して受験する。筆記試験(○×式)で満点を取ると後の口頭試験が楽である。少々答がまずくても英語力の不足と解してくれるからだ。問題は実にストレートだし、試験管にも落とそうという態度がないから気分がいい。
なお何度落ちても受験料は一回でいい。免許交付料も安い。
合格すればプロビジョナル、実地試験を受ければ短縮でき、その後で正式免許になる。正式免許取得後3か月ニュージーランドに滞在すれば帰国後も有効。
ちなみに、交通違反の取り締まりは、この運輸省の管轄で、車は黒地に白い扉、赤い回転灯。それといわゆる白バイ。警察のパトカーは白一色に青の両端灯。並のスピード違反に警察は関知しないし、泥棒に運輸省は動かない。

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ライディングのために地図を選ぶ]
できればAA(自動車連盟)に入ろう。地区別のロードマップや宿泊施設のリストを無料でくれる。この地区別地図には主要な道路名称が入っているので非常に便利である。
それ以外には、ランズアンドサーベイの25万分の1シリーズは全土を18枚でカバーしている(NZMS262)。幹線道路を旅行するならこれで十分である。
しかし、トレイルライディングをするなら、5万分の1シリーズ(NZMS260)が適当なのだがまだ完成していないので、1インチ1マイルマップ(NZMS1)を選ぶことになるだろう。
ランズアンドサーベイの地図は、国土地理院の地図に比べればおおまかだが、ぼかしが入っていて見やすく、構造物の注記や、酪農国らしく地形、水路の種類や流れの向き、植相、道路の種別など詳しく、トランパーや旅行者にあ、非常に重宝する。各種の地図も窓口で手にとって見ることができる。

 

 
     

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最終更新: 19-09-2005

 

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