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Home Up 憶良亭 よみもの なりもの 田中写真館 ホーボー日記

 

 

 

ブラックボール、ウェスト・コースト
Blackball, West Coast

西海岸、心の西海岸

再びアレグザンドラから北へ向かった。
85号線から西へ、オールド・ダンスタン連山の北辺へと入り込むダート道がセント・バサンの町で途切れていた。セント・バサン。人口24人。
だらーっと開けた草地に昔の大通りと空き地があって、ここは鍛冶屋、ここは肉屋、ここはデイリー・ストアと案内書にはある。バルカン・ホテルだけは生き残っている。1967年の「アルコール販売時間延長」を決める国民投票では地元の22票全部が営業時間延長に投じたという。墓地に眠るのんだくれの金鉱夫達が大喜びで、その夜パブに詰めかけた。
その隣、二階建ての昔の郵便局はクリスマス休みの間だけ営業する。

いくつものゴーストタウン、さびれてゆく村を通り過ぎてきた。そのたびに気持ちが救われるのは淋しさはあっても湿った暗さがないことだと、セント・バサンの日差しの下で気がついた。
風景が乾いている。もともと湿気が少ないので、板も柱もカラカラとひび割れていて、じくじくと腐ってゆくことがない。それに廃家にも生活感がなくて、そこに生活した人の手垢、足垢が板の間に黒光りしている雰囲気がない。これは旅人にとっては非常に楽である。そこに住んでいた人達が長居するつもりがなかったこともあるのだろうが、それは人間の関係の仕方にも関わっていると思える。
セント・バサンからダートのデンジズ峠越えで乾燥地帯のオタゴを離れ、山脈の北側、ワイタキの流れに、そこからさらに北へハカタラメア峠を抜けて大乾燥地帯のマッケンジー盆地、さらに東へマッケンジー峠で牧場地帯の南カンタベリーを海辺に向かって。
石ころだらけの河原にも似たハカタラメア・パス・ロードではふにゃふにゃのバックパックが崩れないように支えにしていた木の棒がぽっきり折れたし、マッケンジー峠ではバックパックにくくりつけておいた靴と、エンジンオイルの缶が消えていた。普段は道路にゴミを捨てないように心がけているのでこれは非常に残念なことだった。
18553月、海岸の町ティマルの近くでローズ家が経営するレベル牧場から1000頭の羊が姿を消した。牧場の監督、J・サイドボトムとふたりの牧童が西へ追跡、数十キロ離れた峠を越えて、現在のマッケンジー盆地で、羊の群れを追うジェームズ・マッケンジーと一頭の牧羊犬を発見した。盗まれた羊の群れだった。一度は逃走、クライストチャーチの外港リトルトンに逃れたマッケンジーもそこの隠れ家で巡査部長、エドワード・シーガーに再び逮捕された。裁判では彼は聾唖をよそおっていたが、法廷に連れ込まれたマッケンジーの忠実な牧羊犬フライデーが尻尾を振って彼に駆け寄り、心ならずも主人を裏切ってしまい、彼は5年の判決、フライデーはその賢さの為に魔女の嫌疑を受けて射殺されたという。
その後も2度脱走、そのたびに連れ戻された彼は9か月後に、オーストラリアへ出国することを条件に赦免され、それ以後の消息は知られていない。知られていないのは彼がニュージーランドに渡ってくるまでの履歴も同じである。
これがジェームズ・マッケンジーにまつわる伝説のあらましである。
峠も盆地もその羊泥棒の名を冠せられ、彼の破天荒の行動力と羊飼いとしての能力、忠実で賢い友、フライデーへの人々の共感は彼をニュージーランドのフォークロア上の人物に祭り上げてしまった。しかし、彼の物語も、多くの伝説と同じく人々の感傷におもねる脚色が加えられていた。100年後に事実関係を調査した人の報告では、フライデーが法廷に連れ込まれた証拠はなく、定年後のシーガーの昔語りの脚色があること、また、フライデーは事件後長らくレベル牧場のジョージ・ローズの愛犬として飼われたこと、オーストラリアへの出国は赦免の条件にはなく、むしろ、マッケンジーが真犯人にはめられた疑いが生まれていたこと、その真犯人はもう特定することができないだろうことを当時の文書から結論しているそうである。
調査結果も伝説に新しい伝説を書き加えることになってしまったらしい。

海辺で1号線に出、セント・アンドリュースの町から北に向きをとると、ティマルの町で落ち着いた。セント・アンドリュースには大きなゴルフ場があって、セント・アンドリュース・カントリー・クラブという。ただそれだけなのだが。
ところでティマルではBYOBooze on Your Own――自分で酔っ払え)レストランでまずタオルを濡らさせて貰い、ヘルメットからブーツまで砂埃をぬぐってテーブルに座った。久しぶりにまともな食事をしたかった。
メニューにはコーヒーが五〇セントとある。ラムチョップを注文してコーヒーを頼むと、料理には50セントでコーヒーがつきます、と金髪を刈り上げにして、ピンクの頬をしたウェイトレスが言う。なるほどメニュー欄外にその通りのことが書いてある。
「これはどう違うの?」と、ぼく。
「どう違う、と言いますと? 同じコーヒーですよ」とウェイトレス。
「コーヒーだけ注文すると?
50セントです」とピンクの頬をますますピンクにして言う。
「料理と一緒に注文すると?
50セントです」刈り上げのうなじまでピンクになる。
「どちらにしても50セント?
「そうです」なにが分からないんだ、と言わんばかりの態度であった。きっとぼくが何か勘違いしているんだと思いなおして、それで切り上げたがいくら考えてもやっばり分からない。
ユースホステルの加入料22ドル事件といい、同じ料金を取るのにわざわざ二本立てにする理由が分からない。北上しながら、げっぷするたびにヘルメットの中にラムチョップの臭いがこもり、頭の中ではさっきのコーヒー代にこだわっていた。
ともかく、ひとまずクライストチャーチに戻って旅の途中で増えた荷物を置き、洗濯物を片づけることにした。
クライストチャーチはサマーセールで忙しかった。もう、1985年も残り少なくなっていた。

穏やかな暖かさの続くカンタベリー平原を横断した。平坦な牧場の間の道は眠気を誘った。10月から何度も走ったこのあたりであるが、走るつど風景も暖かみを増してきた。刈られた羊の毛も少しずつ伸びている。子羊は大きくなり、母羊から離れていく。色とりどりの花が道端にも、草原にも咲き、いれ代わりにハリエニシダの花が枯れる。鉄条網の垣根の向こうにポプラ並木が畑地を囲んでいた。
梢から鳥が飛び立つ。オーストラリア原産のマグパイが路上に轢かれた兎やポッサムの死骸を狙って降りてくる。時には彼ら自身が突っ走る車の犠牲になる。牧場のゲートに、白と黒の羽色のマグパイがみせしめに吊るされていた。子羊を襲うと信じられているのだ。
農場の入り口にセメント袋に詰められた鶏や馬の糞が50セントで売られている。野菜農場ではトマト、ズッキーニ、馬鈴薯、マロウ、クールジェ、カプシカム(ピーマン)、レタス、セロリと書いた看板を出している。それにリンゴ、桃、アプリコット、プラムを加えている農場もある。
牧場の柵から羊の綿毛が風に流されて飛んでいく。これにまつわる話がある。
1930年代、世界恐慌の嵐はこの南太平洋の孤立した島にも吹き荒れた。貧しい家庭の子供達は学校が終わると、牧場の垣根に沿って日の暮れるまで歩き、風に飛ばされた綿毛、柵の針金にかかった綿毛を持って帰って集め、ごみや羊の糞をていねいに取り除いた。
子供達は綿毛を大きな独楽に似たスピンドルで紡いだ。そうやって毛糸ができ上がると母親がセーターに編んでやった。脂を脱いていないセーターはなによりも子供達を暖めることができた。

すでにこの国のやり方に慣れていたから郷に従ってやたらとお茶を飲んだ。朝出発すると、10時にはモーニング・ティ・ストップ、昼にはランチ・ストップ、3時にはアフターヌーン・ティ・ストップである。時間がこのペースで過ぎていく。スプリングフィールドの町の国道から入ったところに国鉄の駅がある。旅客列車は一日一往復しかないが国鉄バス便が休憩するのでプラットフォームには休憩室がある。
休憩室は店を開いたばかりで少し待ってくれと言う。
カウンターには変わりばえのしないみやげ物を並べている。その後の壁に、
「コーヒーカップに煙草の吸いがらを捨てないでください。さもないと灰皿にコーヒーを入れて差し上げます」の貼紙がある。なかなか挑戦的で面白いがここのコーヒーカップは使い捨ての紙コップなのである。
このての貼紙でいちばんの傑作はスプリングフィールドの20キロほど北、オクスフォードのカフェテリアのものだろう。
「不満があれば私どもにお伝えください。不満がなければお友達にお伝えください」 不満はなかったが友達にお伝えするほどの店でもなかったのは残念である。

大分水嶺はクライストチャーチからも雪を戴いた長城のように西の地平線に聳えて見える。その稜線を目指してどこまで走っても、それはどんどんしりぞいてゆく。やがて距離が征服されたとき、分水嶺は眼の前に聳えるかわりに萱草と裸地の前山に隠れてしまう。
山地を這い上がった最初の峠がポーターズ峠である。道がもう下るしかない地点では山肌が常に崩れ、どんな雑草も根づくことができない。
73号線は萱草の荒れ地、石灰岩の台地、U字渓谷の底の湖水を延々と横切っていく、ワイマカリリの流れを渡るとアーサーズ・パス国立公園である。
アーサーズ・パス駅構内の引き込み線につながれたプルマン客車のペンキはかなり剥げていた。
案内標識が「アーサーズ・パス駅。郵便局」への道を指していた。背中のバッグに友達への手紙が入っている。線路をくぐる道にバイクを乗り入れ、暗いカルバートからプラットフォームにバイクを乗り上げた。
昼過ぎ、西行も東行も通過した後の駅はしんと静まり返っている。駅舎の壁の観光ポスターの新しさが、鉄道の生きている唯一の証拠だった。
駅長室の隣に郵便局のガラス戸を見つけた。
「営業時間10より13時まで」
つまり、一日一往復の旅客列車の行き交う時間であった。もう一枚の、同じ筆跡で書かれた貼紙がもっと面白かった。
「求む、郵便局長(ポスト・マスター)、または女性郵便局長(ポスト・ミストレス)。詳しくはアーサーズ・パス村のデイリー・ストアまで」 雇用の性差別が禁止されていることと性別のある名詞のおかげで面倒な表記になっている。
いずれにしろ、友達への手紙を出すのは諦めなければならなかった。
鉄道はこの先で谷向こうに移り、オッティラ・トンネルにさしかかる。鉄道はトンネルをくぐり、道路は峠を越える。峠から先のオッティラ渓谷は急坂で下っている。深い谷側にはガードレールもなく、路肩からストンと落ちている。
ミッドランド線が全面開通したのは1923年であった。クライストチャーチからスプリングフィールドまでは1880年、アーサーズ・パスまでは1915年、トンネル向こうのオッティラへは西海岸のグレイマスから1900年に開通していた。8.5キロのトンネルは1918年に開通していた。
オッティラは鉄道労働者の町であった。
アーサーズ・パスで出せなかった手紙を持ってオッティラの郵便局に入っていくと、小さな郵便局に10人ほどの人達が列をつくつていた。カウンターの内側で女性郵便局長が、列車で配達されたばかりの郵便物を区分けしていた。
列の最後に並んでいると彼女が、
「手紙を出すんですか?」と、郵便物を手にしたまま視線をこちらに向けた。
「そう」
「じゃ、こちらへ」
手伝っていた若い娘がぼくから手紙を受け取り、80セント分の切手を貼った。年配の局長はその間も郵便物の区分けを続け、一区切り終わると、
「ミスター・バーナード? ミスター・バーナード? ほら、あなたによ」
ミスター・バーナードは列から進み出て郵便物を受け取った。郵便局長は手元に眼を落とすと、次の名前を読み上げた。そうやって何人もが郵便物を受け取って帰っていった。
郵便物を運ぶ列車は954分のクライストチャーチ行と1223分のグレイマス行と決まっている。村人はそれに合わせて自分達で郵便物を受け取りに来る。
昔、鉄道工事が盛んだった頃、アーサーズ・パスの鉄道労働者は一日が終わると、国道の長い道のりを嫌い、鉄道工事用の手漕ぎのジガーを駆ってトンネルを抜けて、オッティラのパブに通った。峠を行くと六時の閉店に間に合わないのである。それでもパブの時計は遅れがちだったらしい。パブが閉まると酔っ払った鉄道労働者は再びジガーを漕いで村に引き返した。
はるか昔のことである。今ではパブも遅くまで営業するようになったし、アーサーズ・パス村からは鉄道労働者が去ってしまった。

オッティラの狭い谷間を73号線とミッドランド線が並行している。踏切をブルーのディーゼル・エンジンが石炭と材木を積んだ長い貨車を牽いて通り過ぎていった。機関士は肘を窓枠にかけ、ぼくを認めると手を振った。笑っていた。ぼくも振り返した。彼は何事か叫んだ。
聞き取れなかった。ぼくは、
「今日は、いい天気だー」とどなった。意味なんかどうだってよかった。声をかけるだけでいい。
ニュージーランド国鉄ミッドランド線の貨物列車は眼の前をがたんがたんとのんびりした響きで通り過ぎていった。
道はタラマカウ川を見下ろすところまでやってきた。ここから西海岸の南、ハースト川までの160キロにビーチの木は生えない。その隙間を埋めるように犬槙の深い原生林が始まる。タラマカウの源頭は真東、ハーパー峠によってフルヌイ川と隔てられている。アーサーズ峠が開通するまでは、マオリも砂金目当ての鉱夫もハーパー峠を越えるのが普通だった。峠を西へ渡る人々はあるいは馬の背に荷物を積み、あるいは徒歩で自分達の背に荷物を背負った。女達もいた。彼女達は夫達と並んでサムナー湖からフルヌイ川を遡ってきた。峠を越えたのは西海岸へ渡る人達ばかりではなかった。タラマカウ川の岸辺、ホウィットにデイリー・ストアを持つ男は、大勢の夢破れた人達がぼろをまとい、金も食料も持たずにくたびれ果ててハーパー峠をカンタベリー平原に向かって登っていく風景を毎日のように眼にしていた。彼がもし彼らに同情したとしても、施しをするにはあまりにも大勢の人達だった。事実、当時多くの店主がつけ倒れで店をたたむ結果になっている。一攫千金を夢みる人達の夜逃げ逃散は日常茶飯事であった。
ジャクスンズ・タバーンの先で折れてタラマカウの長い橋を渡った。道はアルプス断層線に沿って、交通の少ない平野を走る。時折過ぎる牧場の家屋。
たんぼぽの黄色い花が沿道に咲き、その間にれんげやしろつめぐさが紫、白の彩りを添えていた。道を挟んだゲートからゲートへと牛の糞が横切っていた。糞の中にたんぽぽの花が踏まれている。跨ぐとかすかな干し草の臭いがした。すでに午後になった太陽が逆光となって菜種の花を照らしていた。
トラクターが畑を耕し、後に砂埃をひいている。鴎がトラクターの後を追って羽ばたいている。農夫は畑の端まで行くとクルッと向きを変えた。平野の隅に丸っこい土饅頭のような丘陵が山裾までいくつも重なっている。それはモアナ・コツク湖近く、段丘を越えるまで続いた。避暑地モアナは賑わう季節にもかかわらずひっそりしていた。その姿もひとつ段丘を越えるだけで見えなくなった。ニュージーランドの道路特有の粗い舗装でタイヤがザーっと鳴っている。
聞き慣れているために意識されなくなっているが、ふとした時に耳につく。

道がアーノルド川に沿った沼地を渡る。両側にフラックスの繁る足の踏み入れようもない沼地、それを縁どるカヒカテア、キャベッジ・トゥリーの群落。水面は泥炭を含んで透明な褐色である。焼け焦げたように黒くカヒカテアの林が立ち枯れている。夏の日差しの下に沈む電柱の列と、しらじらと光るアスファルトの帯。バイクを停め、ヘルメットを取れば、あたりは音を呑んだように静かである。
風景がなにがしかひとの心に影響を与えるとすれば、この国の人達はどんな風景を心の中に持っているのだろうかと考える。ぼくにはその風景は牧場ではなくて、広大な荒れ地なんじゃないかと思える。荒れ地は不毛の土地ではなくて、自由の象徴だ。ひとは人間関係を去っていつだってそこへ踏み出していける。そこではひとは自分を恃むほかない。
ところで日本人の風景に荒れ地はあるんだろうか、と考えた。イメージのなかに土地が浮かんだ。看板が立っていて、「売り地」と書かれている。
アーノルド川の淀んだ流れを何十輌編成かの貨物列車がグレイマスに向かって進んでいった。鉄橋を渡ってから川縁の原生林に沿って下ってゆく。ボディに大きく数字を書いた青いディーゼル・エンジンがいちばん前を走る。ゴトンゴトンと間延びした音が果てしなく続いていた。ゆっくり、ゆっくりとそれは後ろに見えなくなってしまった。
アーノルド川がグレイ川に合流するスティルウォーターからは夕日に向かって走る位置になった。ニュージーランドの田舎を一日走るとゴグルに夥しい虫の死骸が体液をぶちまける。今みたいに夕日が当たると砂埃と乾いた体液がほの明るくなって前が見えない。これは恐怖である。夜走るとヘッドライトに雨のように降ってくるほどの虫の数である。結局毎日走り終えるたびに洗うしかないと分かった。

グレイの流れは灰色ではない。緑藻で少し濁った緑である。グレイ川の河口にある町をグレイマスと呼ぶ。国道6号線との交差点の信号を待って気がついた。これはクライストチャーチを出てからの250キロで最初の信号であった。
古い踏切を渡ったところに場末の駅のようなグレイマス駅舎があった。真新しい、新旧の汽車の旅を描いた壁画は、それ自体が古めかしいペンキ画の模倣であった。かつてはクライストチャーチからグレイマスで乗り換え、南へ、ホキティカ、ロスの金鉱町、林業地へ延びていた線路も今はホキティカで終わり、めったに来ない貨物輸送に使われるきりである。
1860年代、西海岸はゴールドラッシュに賑わった。1866年のニュージーランドの輸出総額450万ポンドのうち、290万ポンドが金の輸出によって占められている。同年の羊毛の輸出額は135万ポンドであった。
ゴールドラッシュがやってきたときと同じように去ると、他の多くの町はさびれてしまったが、クライストチャーチからのミッドランド線の終点、周囲に金鉱、炭鉱、林業地を抱えたグレイマスはひとりその運命から逃れることができた。
川岸の通りに沿って川の上に桟橋が張り出し、その上に錆びた線路が波の音を聞いていた。貨車が夕日の中に眠っている。錆びついた転轍機の摺動部には油がよく差されていた。
線路をセーター姿の二人の男が、軽く頭を落としてやってきた。二人は何事かを話し合っていた。すれ違うとき、二人は顔を上げると、軽く首をひねった。これはこの国の男独特の挨拶である。時には不器用なウィンクがつけ加えられる。二人からは油染みた鉄道員の臭いがした。
ぼくは海が見たかった。商店街のマッケイ・ストリートをまっすぐに走って、波止場の倉庫を回り込んだあたりがグレイマスの港であった。12月の末にも波止場から釣り糸を垂れているひとがいた。肉をはぎ取られた魚が傍らに転がっていた。防波堤に包まれた港に夕暮れが漂っていた。鋭角三角形の桟橋の先端に木製のクレーンが時代の記念碑のように暗い影を落とし、漁船の真っ白い船腹を波が洗っていた。

パブで、若さを失いはじめる年代の男と話した。茶色の髪が皺の多い顔に垂れ、首筋が赤く日に焼けていた。クライストチャーチからの失業者で、西海岸だと堂々と失業手当を受けられる、と言った。
以前にもこの町でウェストポートの失業者と会っている。
「コーストには金があったんだ、だろう? 鉄は海岸から砂鉄が取れる。グレイマスもプナカイキもコリンウッドも石灰岩が豊富にある。石炭はグレイマスからアベルタスマンにかけて膨大な埋蔵量だ。森には木がいっぱいある。雨がよく降るから水量は十分にある」ぼくが言った。
「コーストは国でいちばん豊かな土地だった」男はグラスから生ぬるいビールをひとくち飲んだ。
「金があれば外国との取引ができる。砂鉄と石灰岩と瀝青炭があれば良質の鉄が造れる。木と石灰と豊かな水量で紙が造れる。紙からは札が造れる。食糧はいくらでも育つ。わかるかな?」 ぼくは言った。
「それだけでやっていけると言うんだろう?」彼はパークドライヴの葉を巻紙に移しながら言った。
「どうしてコーストは独立しなかったんだろう?」ぼくが結論を出した。
「ビールが飲めなくなる」彼は舐めた指で器用に煙草を巻いた。
コーストにはパブが午後6時で閉店していた時代の話が残っている。
かつてはアルコール提供許可を取るためには同じ棟に宿泊施設がなければならなかった。したがって今でも古いパブは2階がホテルになっている。もともと付け足しだから部屋は粗末である。また、1917年の戦時立法で酒場の営業時間は午前9時から午後6時までとされていた。
ところで、田舎のパブともなると訪れる旅行者もなく、2階の部屋はほとんど空いたままである。そこで、中央や地方の政府から派遣された役人、警官の下宿になるのが普通であった。話題のパブも中央から派遣された警官が2階に下宿していた。彼は午後6時きっかりに制服姿でパブの階段に立つのが日課であった。パブの親爺をパブリカンと呼ぶ。パブリカンが大声で、そのほとんどが地元民である飲み客に閉店の時間を告げる。客達はグラスを飲み干すと名残惜しげに店を出ていく。警官は最後の一人が出ていくのを見届けると、一日の勤務を終えて2階に戻り、私服に着替える。それから下に降りてきて、すでに店に戻って飲みはじめている酔っ払い達とグラスを傾けるのであった。
この話をコーストのパブで聞いたが、ほぼ同じ話がアメリカ人の書いた本にも載っている。この本から逆流したものか、それとも一般に流通している話なのかは分からない。しかし、年に上戸も下戸もあわせて一人あたり208本のビールを干すニュージーランド人の間でも西海岸の酒飲み神話は国中に信じられている。

ヒルトン・ブラックボール

グレイマスの朝、なま暖かい風が西の方タスマン海から吹き寄せていた。太陽はやや霞のかかった空をさまよっている。
町中のキャンプ場から早々に引きあげた。
アーサーズ峠を越えて西海岸に達すると、牧場がそれと分かるほど、あるいはひどく荒れている。牧場の柵の杭は傾き、腐りはじめている。2段か3段に張られた針金は錆びている。柵に沿って雑草がはびこっている。家屋を囲む並木は少なく、道から見える牧場の家はペンキが古く雨に打たれて傷んでいる。

西海岸。ひとはウェストコーストと言う。西海岸の人達は単にコーストと言う。
ひとは「いい土地だ」と言う。「後にするのにはなおさらいい土地だ」と言う。
そして、コーストから去っていった多くの人々は老いを迎える時期に再びコーストを振り返る。彼らが子供時代を過ごしたコーストを振り返る。
「死ぬ前にもう一度、コーストへ戻りたい」
老人達は、ネルソンやクライストチャーチの大きな町から車で、あるいは北島の大きな町から飛行機で飛んでくる。子供や孫に連れられて、休暇をコーストの彼が捨ててきた田舎で過ごす。捨てずに済んだならどんなによかっただろうと老人達は考える。
従兄弟の家のポーチに座って、牧場の真ん中にすっくと立つサザン・ラタを、夕陽の中に燃え上がる暗い赤色の花をつけたサザン・ラタを見つめながら考える。結局、こうしてコーストに帰ってきたのだ。それに、わしが捨てなくったって、息子か孫が捨てたに違いない。
親戚や小学校時代の友人が入れ代わり立ち代わり訪ねてくる。100年以上前に彼の祖父がコーストにたどり着いた。彼の祖父は砂金には早くに見切りをつけ、それまでの稼ぎで牧場を手に入れた。今、彼の親戚は100人を超える。
友人の何人かはもうこの世にはいないし、何人かは彼のようにコーストを去っていった。従兄弟の子供達も東海岸の町、北島の町へ出ていった。誰にも彼らを止めることはできない。
彼は少年時代を昨日のことのように思い出す。
孫を連れて村を散歩する。
「学校がひけるとこの道を歩いて帰ったものさ。川縁の小屋にはまだ砂金掘りの爺さんがいたんだよ。それがこのあたりで最後の砂金掘りだったな。わしらは悪がきだった。爺さんをからかって、彼が怒って振り返る前にわっと逃げた。そんなことをするべきじやなかったんだ。そんなことをしちゃいけなかった」道の行き止まりまで歩いた。
「学校はそこの森の中にあったんだ。よく覚えている。共有地の外れには牢屋もあった。入ったのは町のホテルの完成祝いでしこたま酔っ払った町会議員だけだったがな」
森の中には土台と石造りの暖炉だけを残して何もなかった。公園も草叢になっていた。鍛冶屋も、パン屋も跡形もなくなっていた。森は滞在の残りの日々、子供達の探険する秘密の森になった。
「じゃ、元気でな。また会おう」老人が去る日、村人が見送りに来た。そのほとんどは老人の親戚か友人だった。
また合う日は決して来ないのだ。コーストから戻ってしばらくして老人は病院で死ぬ。
彼は結局、コーストへ戻ってきたのだ。

グレイ川を渡り、昨日の道の対岸を走った。7号線と向き合う北岸の道は狭く雑木林に挟まれていて、荒れた舗装が続いていた。
小さなパブがそこにもあった。地図にはテイラービルで載っている、パブ以外なにもないような町である。人の姿さえない。
グレイ渓谷の向こう、低く濃緑の森に覆われた丘より高く、はるかに大分水嶺がひだを重ねていた。
グレイ渓谷の森に覆われた段丘をひとつ上がって畑地を抜け、道は小さな町に入っていった。ぽつんぽつんと、空き地の混じる町の通りに数台のバイクが停まっていた。その向かい、2階にヴェラングのあるひときわ大きな建物があった。
建物の前にバイクを停めた。古いペンキ塗りに、飾りガラスの扉を押して女性が顔を覗かせた。ジルだった。彼女は、ぼくがヘルメットを取るまでこちらを見ていた。
「まあ、来たの。素敵」と、彼女は言った。
「一人で来たの?」ぼくが聞いた。
「いいえ、マークの後に乗ってきたの」ジルが言った。
扉の飾りガラスには金文字で、
「ヒルトン・ブラックボール」と書かれていた。多分、世界でいちばん小さなヒルトンである。
すり減った絨毯の廊下は薄暗くきしんだ。右手のラウンジバーにはもみの木の飾り付けがあった。何人かの若い旅行者が食事とおしゃべりをしていた。
階段を上って、彼女が案内してくれた部屋にみんないた。クレイグ、クリス、ピーター、その他の面々もいた。
「やあ、ケンジ」
「やあ、クレイグ、やあ、クリス、いつ来たんだい?」
「昨日からいたよ」クリスはもう赤い顔をしていた。
「素晴らしいところだ。ひとりだったらきっと情けなくて、枕に顔を埋めて泣いていたことだろうよ」と、ぼく。
部屋は病院の相部屋に似ていた。違うのは泊まり客が健康きわまりない連中だということだ。彼らにふさわしい病名は慢性アルコール中毒ぐらいしかない。

ベランダに出ると、町の中心がひとめで見渡せた。床板は腐り、ところどころ剥がれていた。手すりは恐ろしくて凭れられない。大きな黄色い犬がソファで眠っていた。7つばかりのソファが他にも置かれていた。ひとつとしてまともなものはなかった。いちばんいいソファを犬が占領していた。
人口が350人のブラックボールの中心街はひとめで見渡せるほどの大きさしかない。
左手に「ワークマンズ・クラブ」の看板をさげた建物。空き地ひとつあけて、一軒の民家。煙突から煙がたち昇っている。
右手すぐにT字路があり、その向こうの通りにパブが店を開けていた。それ以外は家の軒に店の看板が用済みになったまま何年か何十年か朽ちてゆくのを待っていた。町並みの背景に山々が聳えていた。
「いいところだ。他に何があるんだい?」クリスに尋ねた。
「これだけさ。飯を食おうぜ」
ラウンジバーは廊下を広くしただけの造作であった。丸テーブルにフィッシュアンドチップス、トースト、サラダ、豆料理が盛り上げられた。
宿泊料はこの料理込みで15ドル、1500円ほどである。
「悪くない。日本にもこんなところが沢山あればなあ」ぼくが溜め息をついた。
「日本にはこんなのないの?」ジルが驚いたように言った。
「ないよ。ぼく達は定住者だった。君達のように生きるために移動していった人々ではないんだ。100年前までの封建時代には旅することさえ不自由だった。だから旅するのはパーティみたいなものだ。この国で金をばらまく日本人の旅行客だって金持ちってわけじゃない。給料相当の金を貯めてふだん味わえない生活をしてみたいだけなんだ」
「日本人は金持ちだと思ってたわ」ジルが言った。
「金持ちはぼくだけだよ。ヒルトンでフィッシュアンドチップスを食べる日本人なんてまずいない」

食事が終わるとクリスがピアノを弾きはじめた。
  「大いなる恵み、その昔のやさしいこと
  私のようなみじめな者を救う
  一度は道を見失った私だが、
  道を取り戻した・…‥」

  「イエスを、私達はなんと素晴らしい友とすることか
  すべての罪と悲しみを背負われる。
  祈りによって、すべてが神に委ねられるとは
  私達はなんと、恵まれていることか……」

クリスは賛美歌を弾いた。神妙な顔つきで鍵盤を叩くのがおかしかった。クリスは昼間から酔っていたし、音程の狂ったホンキー・トンク・ピアノも酔っ払っていた。
彼はヒルトンの主人にスタインラガーを注文した。大柄で金茶色の髭を伸ばし、素朴な感じの若い主人は冗談を言いながら、スタインラガーを黄ばんだ象牙の鍵盤の隣に置いた。
カウンターは古いニス塗り、窓も同じだった。古い客車の窓を思わせた。小さな嵌めガラスから狭く切り取られた町が覗けた。狭い窓からの光で壁のダーツ盤のいくつもの傷が浮かび上がった。
世紀の変わり目、炭鉱町だったブラックボールに1000人を超える鉱夫とその家族が住んでいた。嵌めガラスから見える住宅にも彼らが生活していた。
自由党の「キング・ディック」リチャード・セドンは1893年以来13年間政権の座にあった。セドン自身も西海岸の鉱夫出身であったし、当初は労働者、小牧場主、小ビジネスマンを支持基盤としていた。初めのうちこそ世界にも先駆的な福祉政策を進めていたセドンはしかし、次第に保守化し、小牧場主、小ビジネスマンにその比重を移していったのだった。
彼の政権は末期に向かって鉱夫を含めた労働者達の落胆の的になり始めた。
1906年、セドンはオーストラリア訪問途中の船上で病死した。
1908年、昼休み時間延長の要求を会社側に拒絶されたブラックボールの鉱夫達は、ボブ・センプル、パディ・ウェッブ、パット・ヒッキーの指導でストライキに入った。
ブラックボールの組合鉱夫達は昼休みの15分延長をかちとる代償として「1894年の争議調停仲裁法」と「1902年の炭鉱法」違反で罰金を課せられ、組合指導者はホキティカの監獄に送られた。
時が経ち、ブラックボール炭鉱は採算を割って閉山された。人々の多くは散っていった。
当時のストライキ指導者達は後に労働党結成に合流した。
1980年代中期、労働党政権によるニュージーランド経済連て直しのための「現実的」政策は再び労働者の落胆の的になりはじめていた。ぼくにその政策を評価するだけの根拠があるわけではないが、貧乏人達の苛立ちだけは感じることができた。
彼らはジョークで耐えていた。

「金持ちはもっと金持ちに、貧乏人はもっと貧乏に」
「金持ちは金が増え、貧乏人は子が増える」

 198611

宿の主人が、バイクをヒルトンの裏側に移すように言った。
「邪魔になる?」ぼくが聞いた。
「そうじやなくて、夜中に盗まれるといけないから。今夜は大晦日で一晩中騒ぎが続くんだ」
主人は一緒に出てきて、裏の石炭置き場に案内してくれた。そこにはブルタコのエンデューロ・マシンが停めてあった。錆びていたが、いつでも走れる状態にあった。
「へえ、いいバイクだ」と、ぼく。
「俺のじゃないけど欲しければ売るよ」と、宿の主人。
バイクを表から見えない納屋にしまうと、ぼく達はぞろぞろと道向こうのパブに移動した。
パブはすでに満員だった。話し声が充満している。誰もが立ったまま、23人のグループでおしゃべりをしている。自分の分のビールを買い、ジルはワインを買った。ぼく達は席を探して移動した。町の外から車でやってきた人達が大部分だった。
奥の庭に面した部屋に席を見つけた。庭では髪を緑に染め、顔にも絵の具を塗り、皮ジャンパーに金属をぶらさげたパンクの若い連中がオンボロの乗用車に山盛りになって騒いでいた。パブで買ったフラゴンのビールを大事そうに抱えていた。
パブの客達との間には一種の無視の関係があった。
席の相客は若いドイツ人の三人組の旅行者だった。
「ドイッチェラント、ドイッチェラント・イーバ・アーレス」クリスが右手をたかだかとかざして叫んだ。
「それは40年前の話だ」若いドイツ人達は取り合わなかった。
エンジンのうなりが急に高くなり、ドンと物のぶつかる音で振り返った。
山盛りのパンクの若者を載せた車がパブの鉄柱に突っ込んでいて、無視していた客達から冷やかな笑いが流れた。パンクの車はそのままバックして去っていった。多分仲間の家で騒ぐんだろうと、クリス。
マークがジルのところへやってきた。ジルは不機嫌な表情になり、二人で他の席に移った。
短く話した後でジルはパブを出ていった。
「マークとジルはうまくいってないのかい?」クリスに囁いた。
「気にするほどじやない。二人はよく喧嘩をするんだ」
マークがこっちの席に移ったので、話はそれで終わった。
クリスはジュークボックスに金を入れ、戻ってきた。
曲は「ダウン・アンダー」に変わった。歌手は、ベルギーでベジマイト・サンドイッチがどうの、と歌っていた。俺かい、俺はダウン・アンダーからやってきた。メン・アット・ワークは世界地図のずっと下(ダウン・アンダー)からやってきた、と歌っていた。
ビールを2杯飲んでパブを出た。
パブの前に若い男女がはみだして、歩道の端に尻を並べ、ビールのグラスをアスファルトの上に置いていた。
「いいバイクだろう」一人がぼくに声をかけた。確かにいいバイクだった。よくレストアされたAJSがレース向きの改造を受けて路肩に停められていた。大径のフロントブレーキのアルミが磨かれて光っていた。彼らの格好はバイクほど光っていなかった。この国の若者も貧しい。ライダーはバイク以外には金を惜しむ。ビールは別だが。

ヒルトンに戻って、2階のベラングに腰を下ろした。ビール瓶が転がり、犬はその指定席から追い出されて、床に寝ていた。ジルは不機嫌に破れたソファに身体を押し込んでいた。
そこからは山に沈む夕日が近くに見えた。
「どうして結婚しないの?」と、ジル。彼女の眼鏡に夕日が反射した。
「結婚するのにはいろんな理由がある」と、ぼく。
「離婚するのにも」ジルはバッグから煙草を取り出した。
「『離婚(ディヴォース)』はニュージーランドの法律用語からは消されたよ」と、ぼく。
「『婚姻の解消』と言わなきやいけない。それに両親の離婚のことで自分の人生を曇らせない方がいい」
「で、どうして結婚しないの?」彼女は繰り返した。
「結婚する理由と同じ数だけ結婚しない理由もある。もし、結婚しないのが当たり前の世の中だったら、ひとはきっとこう言うんだ。『まあ、どうして結婚したの?』」
「変わってるわねえ」ジルは煙草の箱をこちらに差し出した。ぼくは一本取った。
「友達もそう言う。実を言うと、ぼくはずっと好きなことをして過ごしてきた。仕事もよく変わった。ニュージーランドじゃ珍しくないけれど日本ではそれだけで変わり者扱いされる。
ぼくは安定した暮らしも、見果てぬ夢を抱いて不満の日々を送るのも苦手だ。ぼくが結婚すればきっとそうなる。ぼくは家庭的な男じゃない」
ベランダでクレイグとクリス、それにピーターが誰かを待っているようだった。彼らはキャシーがクライストチャーチから何時間で到着するか賭けていたのだ。
キャサリンはクライストチャーチの交通局につとめる女だった。バスを運転している。
クリスが、マリファナ煙草をこちらに寄越して言った。
「パブに行こう」
パブではクレイグとマークがビールを飲んでいた。忙しいカウンターの前に割り込み、タップからひったくるようにビールを受け取った。他の客達のように立ったままあおった。それからヒルトンに戻った。
結局、ぼく達はヒルトン・ブラックボールとパブの間を往復して過ごしているみたいだった。
ヒルトンではクレイグとマークとジミーが飲んでいた。彼らがパブと、ホテルにふたりずついるような気がした。
ラウンジで酒のみに加わっているところへキャシーがもう一人の女と入ってきた。彼女達はクライストチャーチから260キロを4時間で走り抜け、クレイグがビールを稼いだ。
クレイグとピーターはラウンジにいた女の子達とダーツを始め、クリスとぼくは再びパブに出かけた。なぜ行ったり来たりするのか自分でも分からなかった。
パブの前にはAJSがそのままになっていたが、少年達はいなかった。パブに空き席を見つけたか、どこかへガールフレンド達と出かけたのだろう。
パブの玄関の電灯に照らされた歩道で大柄な女が男の胸ぐらを掴んで喚いていた。右手にはしっかりとビールのグラスを掴んでいた。男はおとなしくしていた。そのうちに彼女は、彼女よりも背の低い男の胸に顔を埋め泣きだした。男は彼女の右手からグラスをもぎ取ると、パブの壁の出っ張りに置いた。女は、19世紀のブラックボール炭鉱の地の霊の眠りを覚ましそうな大声で泣いた。
その間にも何人かの人々がぼく達の傍らを出入りしていった。向かいの給油所にも灯が入った。
ぼくはクリスに袖を掴まれてパブに引きずり込まれるまでそれを見ていた。風もなく古い傘の電灯が揺れた。

「ハーイ。ティム。ティモシー」クリスが酔っ払った老人に声をかけた。
「やあ、クリス。元気だったか?」老人が歯の抜けた口を開けて呼んだ。彼はまともに立っていられないほど酔っ払っていた。二人は二言、三言話した。
「彼はケンジ。クライストチャーチに留まっている」
「彼はティモシー。俺の親爺の友達なんだ」差し出されたティモシーの手の甲には刺青のような黒い筋がいくつか走っている。
ティモシーが慌ててその手を引っ込めた。ぼくは「どうも失礼」と、聞こえるか、聞こえないかの小さな声で言った。
「あいつらがもうティムに飲ませようとしない。河岸を変えよう」
クリスはカウンターの中の若い男女の方を顎で示した。
彼らがティモシーの健康を気遣って飲ませないのではない。法律で禁止されているのである。アル中の年金生活者から大晦日に酔いつぶれるささやかな楽しみを取り上げることが正しいのか、ぼくに答えることはできなかった。
ここは西海岸。「いい土地だ」とひとは言う。「後にするにはなおさらいい土地だ」と言う。
この土地の富は都会の金庫に送られ、ティモシーのような人々の多くがこの土地を去っていった。とどまった老人はビールに溺れ、今は溺れることも拒まれている。アルコールとは違ったものが身体の奥を駆け巡った。
ぼく達はホテルの前を過ぎ、ティモシーを間に挟んでワークマンズ・クラブへ入っていった。
「ティムはブラックボールの鉱夫の生き残りだよ。彼の働いているときにブラックボール鉱山は終わった。大勢がここを去ったんだ」
なぜか裏へ回ったところが玄関になっていた。クラブはパブ同様に混んでいた。楕円のカウンターを部屋の中心に、周囲に人々が立ったまま飲み、おしゃべりしていた。人々の話し声がわーっと耳に押し寄せる。煙草の煙が立ちこめ、顔の高さに濃い層をつくっていた。人混みは大部分若い人達で、互いに押しのけあっていた。
グラスを持って立ち話する人混みをかき分け、ぼく達はいちばん奥のオルガンのそばに場所をとった。
クリスが、ティムに10ドルやってくれと言う。薄い束から青い紙幣を引き出して、ティモシーに渡したが、ティモシーは礼を言わなかった。
老人は10ドル札を握ってカウンターに寄っていった。
「何故、ティムはコーストを出ていかなかったんだ?」クリスに聞いた。
「彼には子供はないし、よそでやり直すには年取りすぎていた。代わりに牧場で半端仕事を見つけたんだ」
カウンターは混んでいた。ぼくが先にビールのグラスを取り、オルガンのところに戻って振り返ると老人はまだカウンターに張りついていた。ウェイターがわざと彼を無視しているようだった。
クリスがオルガンの蓋を開けて、弾きはじめた。オルガンの隣にいた女が振り返っておおげさに迷惑そうな表情をした。運のいいことにクリスはそれを見ていなかった。
オルガンの上にグラスを置き、カウンターに向かって人混みをかき分けた。
老人から10ル札を取り戻そうとした。奪い取られると思ったのか、ティモシーは抵抗した。仕方なくポケットから別の2ドル札を引き抜くと、
「ビール一つ」ウェイターに叫んだ。
ウェイターは札を掴み、すばやく釣りをこちらのてのひらに押し込んだ。
グラスをティモシーの手に押しつけて、大声で言った。
「あんたのだ。ティム」ウェイターが露骨にいやな顔をした。
オルガンのところに戻ると蓋がしまっていた。ビールのグラスはその上にあったがクリスは消えていた。

「便所に行ってたんだ」彼が人混みから現われ、再びオルガンの蓋を開けた。隣で飲んでいた白いブラウスの衿を立てた女が蓋を閉めた。
クリスが蓋を開けた。
女が再び閉めた。険悪な雰囲気になりはじめた。
気に入らなかった。ビールは苦くなってきたし、煙草の厚い煙はいがらっぽかった。
「出ようぜ」クリスが言った。
ぼくのビールはろくに減っていない。ティモシーはもったいないというように彼に買ってやったビールを飲み干した。
人混みは悪意のようにぼく達の前に立ち塞がった。
老人を間に挟んで抱えながらぼく達はほとんど転がるように外に出た。煙草の煙がぼく達を追って流れ出、初めて眼がつんと痛んだ。
やり場のない怒りで手も足も震えていた。それは人混みに対するものでもなければウェイターに対するものでもなかった。
怒りはもっと遠くにあるものに対してだった。
老人の手にはぼくの10ドル札がくしやくしやに握りしめられたままになっていた。
表通りでクリスは老人の肩を抱いた。
「ティム。もう帰った方がいいよ」
ティモシーはうつむいて、歯の欠けた口のなかで何事か言った。
「じゃあ、ティム。元気でな。また、来年会おうぜ」ティモシーの背中を叩いた。
「親爺さんによろしく。いい年でな」 ティモシーが言った。
「あんたもな。元気にしてるんだぜ」クリスが言った。
うなずくと老人はふらついた足どりでT字路の方へ去った。ぼくの10ドル札は手に握られたままだった。
クリスとぼくはしばらくそこに立って見送った。老人は結局パブへ入っていった。そこでも相手にされないことが分かっていて。あるいはそれさえ意識にないのかもしれない。
胸の奥で荒れ狂うものがあった。
彼がこの土地から掘り出したものは彼に返ってこなかった。この土地にも返ってこなかった。彼に返されたものは町のアル中として拒まれることだった。
ヒルトン・ブラックボールの嵌めガラスの扉を押した。大晦日の夜に酔いつぶれる老人の楽しみを奪って、代わりに与えられるものがぼく達には何もなかった。
偽物でさえぼく達には与えることができなかった。

「ティムのあの手は?」クリスに聞いた。
「あれは切り羽で働いていた印だ。炭の粉で真っ黒になった手を傷つけると刺青のように皮膚の下に入り込む。そうなると一生取れない黒い筋が残るんだ」
「コール・タトー?」
「そう」クリスがラウンジの扉を押し開けて言った。
「ここの人達はなにで暮らしているんだろう?」と、ぼく。
「なにも」と、クリス。
「仕事は?」
「仕事なんかないさ」
「じゃ、ふだんなにしているんだ?」
「ビールを飲んで、遊んで、マリファナを吸って」
「他に?」
「それだけ」彼は肩をすくめた。
この夜、人口350人の町に1000人を超える人々が西海岸のあちこちから集まっていた。大晦日に一晩中開いているパブはここだけだった。
ヒルトンのラウンジではクレイグがまだ、女の子相手にダーツで遊んでいた。彼女達はイギリスから来た旅行者で、ニュージーランドで知り合い、一人旅が怖くて一緒に回っているんだと言った。黒板に20から16までが逆順に書かれ、ダブル、トリプル、ブルズアイがその下にあった。両側にいくつかの×が並んでいた。
クリスがピアノに座った。「モリー・マローン」を弾いた。何人かが歌った。「ロッホ・ローモンド」も歌った。クリスマス・ラリーのときよりも酔っ払っていた。丸テーブルで話し込んでいるものもいた。ジルはマークの隣に腰かけて機嫌を直していた。
「なにか歌えよ」クリスがぼくに言った。
クリスの伴奏で「アメージング・グレイス」を歌った。

  「大いなる恵み、その昔のやさしいこと
  私のようなみじめな者を救う
  一度は道を見失った私だが、
  道を取り戻した……」
その歌は誰に語りかけているのか? 拒まれたアル中の老人にか?

ビールの小瓶が回ってきた。
「シャワーがあるぞ」ピーターが囁いた。きしむ階段を上って、相部屋から着替えを取って戻った。
シャワー室は廊下の先の暗がりにあった。
ひとつの扉がサウナ室になっている。リノリウムの床が剥がれ、腰板にはカビが生えていた。丸型の洗濯機が現役で使われ、ゴムローラーの絞り機までついていた。
汚れ物が棚に押し込んであった。シャワー室の棚も汚れた衣類で一杯だった。
この国の人達の強迫観念であるかのように、どこの屋根の下にも水洗便所とシャワーがある。どこにもここと全く同じシャワーがある。違いはここのがほかのよりも少しみじめだというだけだ。
シャワーはひどく冷たく、喉から悲鳴のような声にならないものがほとばしった。ダイヤルをひねると少しずつ温かくなり、浴びているうちに我慢できないほど熱くなった。
南島を一周してたどり着いたのがこのみじめなシャワーだったとは。
この国の人達に会いに来た。大通りを避けて旅してきた。理想郷を求めてきたつもりはない。そうであれば、これは当然来るべきところに来たのではないか。
多分、ひとりで泊まっていれば情けなくて枕に顔を埋めて泣いていたのに違いない。あいにく、ヒルトン・ブラックボールには備え付けの枕がない。泣かれても困るからだろう。
情けないシャワー室からラウンジバーに戻ってカウンターの内側に陣取った。
できれば酔いたかった。
時計は1145分を指していた。誰もがそわそわしていた。
カウンターの手近なビールを空けた。なま暖かい真夏の大晦日のようなビール。
ピアノに座ってスタインラガーを抱えているクリスと打ち合わせ、待った。クリスもピアノも酔っ払っていた。鍵盤のいくつかが濡れていた。
「ほら、今だ」
クリスが「オールド・ラング・ザイン」を弾きはじめた。
「まだだぞ」誰かが怒鳴った。もっと正確な時計を持っている男だろうが、手遅れだった。
みんな歌いはじめた。気持ちがざらついていた。
「昔の友が忘れられ、再び思い出されなくていいのだろうか?
昔の友と、遥か昔のことが忘れられていいのだろうか?
昔の友と、造か昔のことが忘れられていいのだろうか?
今はしばし、遥か昔のために杯を取ろうではないか……」

酔っ払い達の歌が終わった。
この歌がこんなに皮肉に響いたことはなかった。

「ハッピー・ニュー・イヤー!」
「ハッピー・ニュー・イヤー!」
男は女に、女は男にキスをした。グラスを取り、高く掲げた。
「ハッピー・ニュー・イヤー!」
どこか遠くで「オールド・ラング・ザイン」を歌う大勢の声がした。ワークマンズ・クラブかパブで歌っているのだろう。ティモシーはどこにいるのだろう?
ヒルトン・ブラックボールでは1分早く年が明けてしまった。
誰ももうそわそわしていなかった。陽気にはしゃいでいた。
夜の空気を吸いに出た。ホテル前のベンチに腰を下ろしてパブの喧噪に耳を傾けていた。
10歳くらいの女の子達が4人通りがかった。
「ハッピー・ニュー・イヤー!」彼女達は口々に言った。
「ね、え、日本から来たんででしょう? 日本は今、何時なの?」いちばん年かさらしい少女が聞いた。
1231日午後824分、いや25分になった」時計を見ながら答えた。
「じゃあ、まだ1985年なのね」彼女が言った。
「へ、え、まだ1985年なの」
「まだ1985年なんだって」
「変なの」いちばん小さい子が言った。彼女達は暗がりを遠ざかっていった。
朝早く、眼が覚めた。時計は7時を過ぎたばかりだった。ベランダに出て通りを見下ろした。パブの前でパブリカンが掃除していた。歩道に横たわっていた男とやりとりをしてひっこんでしまった。
ホテルの下を女の子が歩いていった。ミルクを買いに行くのだろうか? それとも友達の家から帰る途中なのだろうか、裸足だった。
ぼくは口に手を当ててあくびした。前頭葉に鉛のような重さがあった。空も同じような重さだった。昨日の怒りは吐き気に変わっていた。
向かいの歩道をやはり裸足で、昨夜の四人組の女の子達の二人が町の方から南へ下っていった。
「おはよう」
彼女達はこちらを見上げ、
「おはよう」と言った。
西海岸の古い炭鉱町は昨日と変わりがなかった。
ぞろぞろと、みんなが起き出してきた。
「どうする?」ぼくが開いた。
「帰る」マークが言った。
「飲みに行く」クリスが言った。あきれた奴だ。
マークは後ろにジルを乗せ、クリスとクレイグはクリスのBMWに二人乗りだった。マーク達はスティルウォーターへの道に分かれていった。クリスのBMWはテイラーズヴィルのパブに横付けになった。元日の朝やっているパブに。
グレイマスの給油所でタンクをいっぱいにすると南へ、73号線の分岐、クマラ・ジャンクションを目指した。

曇り空はクマラ・ジャンクションからクマラに着く前にはパラパラと降り出し、クマラの先、原生林の中でとうとう本降りに変わった。あたりはひどく薄暗く、行き交う車もない。タラマカウ川の向こうを雨の塊が移動していく。
雨はもっと激しく降るべきだ。川はもっと深く流れるべきだ。
ジャクスンズ・タバーンからオッティラまでも土砂降りの中だった。アーサーズ峠への険しい上り坂では左手の崖がいくつもの滝になっていた。滝は道を叩き、さらに越えて右手のオッティラ峡谷にまっ逆さまに落ちていった。
滝を突き抜けるたびに猛烈な力がバイクを突き飛ばそうとした。
その激しさが心地よかった。
コーストは「いい土地だ」とひとは言う。「後にするにはなおさらいい土地だ」と言う。

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最終更新: 19-09-2005

 

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