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フェアウェル岬
Cape Farewell

キウィダラーvsキウィフルーツ

季節は初夏、クライストチャーチあたりでは日ごとに春から冬の間を移り変わる。
早朝のホルズウェル・ジャンクション・ロードを西へ走った。こういうときにきまって何か大事なものを忘れてきたような落ち着かない気分になる。その気分は引力に似て、家から遠ざかるほどに薄らいでいく。
動物虐待防止協会(SPCA)の看板の下でウィグラム飛行場からの道に出会う。その先には広大なごみ捨て場の、鉱山の露天掘りに似た窪みが鉄条網に囲まれている。
ごみ捨て場の草叢に何軒かの家屋がうち捨てられていた。木造の家屋は枕木の枠組の上に座っていて、引っ越しの途中の一休みとしか見えない。その家々は何か月もそこにあり、月日のたつにつれてペンキが剥がれていった。次第に窓ガラスを失い、ドアに落書が書かれだした。そのドアも破られた。それでもなお、腰程の高さの枕木の上に座り続けていた。その家々は自分が死んだことを知らないまま虚ろな眼を開いて朽ち果てていた。
都会にも郊外にも属さない地域にはいつもわびしさが漂っている。
北行バイパスに入り、時速100キロで渡るワイマカリリ川あたりから猛烈な西北風が吹いた。それはカンタベリー平原では今日一日は晴れることを示している。

百数十キロ北、カンタベリーの外れにロッドの弟が牧場を経営している。昨夜彼に電話をして、訪ねる約束をしてあった。そこで何日か過ごすつもりだった。
北カンタべリーの国道は丘陵の上り下りを繰り返す地形に入った。時折、鹿牧場の看板の先に柵囲いがあり、何十頭かの鹿の群れがこちらを窺っていた。
「やあ、これは赤鹿だろう? 日本の鹿(シカ・ディア)より少し大きい」道端にいた農夫に話しかけた。彼は帽子の庇の下で眩しそうに眼を細めた。
「そうだ。羊と牛が安くなってしまったからな。鹿の商品価値がニュージーランドの牧場を救ってくれるだろうよ。なにしろ鹿は一頭が3000ドルだ。今はまだ繁殖させる時期だから、もう少し数が増えれば値段も安くなるだろうがな」ゴム長靴の踵で足元の砂利を掻いている。
「鹿をどうするんだ?」
「肉はヴェニスン・ステーキ。皮は毛皮。角は日本に輸出する」彼はひどく卑猥な笑いを浮かべた。
「日本に? 何のために?」
「アフロディジアックだよ」日焼けした顔を赤くしている。それほど純情には見えないが。
「アフロ―――?」
「アフロディジアック。女欲しい、女欲しい、て奴さ」彼はにやっと笑った。
それでアフロディジアックが強精剤か催淫剤の意味だとわかった。
「日本人は薬を飲んででもやりたいみたいだな」農夫がまた卑猥な笑いを浮かべた。
なにしろそういうことについてはいたって暗いもので。しかし、日本の男がよほどすきものだと思われているに違いない。
「そういうの日本語でなんと言うんだね?」
ぼくは「スケベーニホンジン」と教えてやった。
彼はうれしそうにうなずき、何度も「スケビニホンジン、スケビニホンジン」と暗唱しながら砂利道を農場に引き返していった。ふと立ち止まり、しばらく思案していた。それから振り返ってニタッと笑うと、もう二度と振り返らず家へ入った。

農夫の口真似で「スケビニホンジン」を繰り返しながら走った。丘を下るとチェヴィオット。北カンタベリーの中心の町である。
町の中心は一軒の食堂と喫茶室。隣の駐車場に長距離バスが停まり、乗客は双方の店で休んでいた。若い一人旅らしい女が表のテーブルでアイスクリームを頬ばっていた。華やかな柄のブラウスがそこだけ周囲と切り離されて感じられた。
駐車場の隣の給油所にはポンプの傍らの柱に赤い旗が垂れ下がっていた。ここを通る国鉄バスが委託貨物を拾っていく。旗は「荷物あり」の合図である。
道路の向こう、煉瓦造りの戦争記念博物館の前の芝生にバイクの男女がヘルメットを投げ出して、木陰で休んでいる。手をあげると彼らも返してきた。
喫茶室の入り口の板椅子にでかい猫が寝そべっていた。手を伸ばすとうるさいといわんばかりに行ってしまった。猫が立ち去った椅子に腰を下ろした。
博物館の隣は学校で、道路に面した側には何本かの見事な枝振りのオークが柏に似た葉をつけている。休み時間らしく、子供達が走り回っている。銀色の馬匹輸送トレーラーを牽いた乗用車が駐車場に入ってきて停まった。小さな窓の中で影になった馬が落ち着かなげに体を動かしていた。
この北のカイコウラから山へ少し入った所に牧場を持つという男は、姪のために馬をクライストチャーチに運ぶところだった。彼は牧場に一〇頭ばかりの馬を飼っていてその一頭を彼女に与えることになったのだ。
「馬は高いのかい?」男に尋ねた。
「なあに、上等の上でなければ安いものさ。あんたのバイクはペトロール(ガソリン)がなくなればただのごみだが、馬はそんなことはない。餌は道端の草だ。深い川だって渡れる。バイクの越えられない山も歩ける。あんたがへましても馬の方でちゃんと歩いてくれる。それにいい友達にもなってくれる」男は喫茶室に入っていった。
今日は朝から鹿と馬に会ったが、これにはなんかの意味があるんだろうか?

小さな丘を越えて下ると、1号線は国鉄の鉄橋をくぐる。「これよりマールボロ・カントリー」煙草の広告のような看板が眼に入る。南島北部はマールボロ県と呼ばれていた。その手前、コンウェイ川の岸辺に沿って右に折れ、海沿いの道をたどって、コンウェイ・フラットと呼ばれる土地に入った。
道の脇の砂浜に打ち上げられた枯木が積み重なり、丘から流れる小川は乾季らしく、砂浜を越えられなくて淀んでいる。板囲いの迷路のような中にウール・シェッドが建っている。荒っぽい板張りの大きな納屋では羊の毛刈り、たまには屠殺が行なわれる。「ナロマ」と牧場名を書いた小さな表札が丘への道に向いている。ナロマはマオリ語で「流れ」、これがロッドの弟、穴兎に指を噛まれたブルースの牧場だった。
ブルースが迎えてくれた。精悼な長身のてっぺんにダンガリーの帽子を載せ、日焼けした顔に穏やかな表情を浮かべていた。
彼は牧場の仕事の途中であった。

牧羊犬の鎖をほどき、XRに跨って、パドックの間の道を駆けていく。なぜか帽子が危なげなく頭に載ったままである。ぼくもXLでついていく。パドックは斜面を複雑に区切ってあって、そのたびにゲートを抜けなければならない。ブルースはひとつだけゲートを開け放しにして丘を上っていった。
やっとたどり着いた丘の稜線からは国道の這う谷間が真下に見える。海面から400メートルの高さである。ブルースはひとつのパドックに入って丘の羊を追いはじめた。牧羊犬が彼の犬笛に従って走り回りながら、あちらの群れ、こちらの群れと寄せていく。
XLはタイヤに牧草と羊の糞が詰まって空回りするようになってしまった。
羊の小さな群れが谷間に集まり、開けてあるゲートの前に滞留していた。はるか向こうの斜面に移ったブルースと犬は小さくかろうじて分かる大きさになってしまった。彼らは厳しい斜面を上り、下っていた。ときどきかすかな犬笛が風に乗って聞こえる。
羊の群れはまっすぐに追うと割れて逃げてしまう。網を打つように群れの背後を大きく回ると羊はひとつの方向にまとまって移動する。
水滴同士が呼びあうように群れが集まる。群れは流れとなる。流れがよりあわさって海となる。今では谷底を汚れた羊の背が埋め尽くしていた。ブルースと三頭の犬は斜面のはぐれた羊の群れをひとつ、ふたつと片づけている。
開いたゲートの前でためらっていた羊の群れが突然揺れた。何頭かの羊がゲートを横切り、彼らは広い青々と繁る牧草地にひろがっていった。砂時計の砂のように片方が膨らんでゆき、片方が縮んでゆく。
追い始めて30分もせず、すべての羊が隣のパドックへ移った。

昨日、ブルースは近所の牧場と一緒に60頭の羊を屠殺した。
4000エーカー(16平方キロ)の土地に4000頭の羊がいる。一人ではこれが限度だな。人手を雇って羊を増やすのは賢いやり方じゃないんだ」
大部分が丘陵の斜面である彼の牧場では条件は必ずしもよくないが、面積あたりではもっと多くの飼育は可能である。この国のほとんどの牧場のようにここでも冬に雪がなく、通年で放牧している。
しかし、羊の価格は彼が「惨事」と呼ぶところまで落ち込んでいた。雌羊一頭が、14ドル(85年末当時1500円)だった。もちろん羊は牧場の商品であり、資本でもあるわけだから全部を換金できない。彼の牧場の30頭の牛も一頭あたり400500ドルすればいい方だった。
彼は、この時期に羊を増やすことは、その利益を上回る人件費を必要とするだろう、と考えていた。

丘陵の施肥、播種のトップ・ドレッシングにはフレッチャーをチャーターしなければならない。冬には雄羊をパドックに放す。雄羊の腹には赤や青の染料が塗ってある。交尾の済んだ雌羊の尻には染料の汚れがつく。それに合わせて羊を囲いから移さなければならない。それが済めばラミングと呼ぶ出産の季節には母羊を助けてやらなければならない。そして毛刈りの季節。毛刈り職人の報酬は高く、時には牧場の取り分より多い。
それが終わると子羊の尾を切り落とさなければならない。尾を残すと病気になりやすい。鋏で切り落とすか、ゴムバンドで壊死させる。雄は去勢し、一年でホゲットとして出荷する。
ブッシュ病は土壌のコバルト不足で起こる。この病気の地域は限られていた。フット・ロット病は感染症で、蹄に潰瘍ができる。それらに注意しなければならない。ポッサムは家畜の結核を媒介する。伝染病でも出ればあっという間に全滅する。今までにも大規模な牧場がいくつか、冬の雪や兎の害で倒産してきた。
そのたびに人手を雇えばそれだけで儲けは吹っ飛んでしまう。
ブルースは牧場の隅にアーモンドとマカダミアの木を栽培していた。どちらも10本にも満たなかった。庭のアーチにはキウィフルーツの蔓が重く垂れ下がっている。
「これがうまく根づいてくれれば数を増やす。ナッツだと人手を雇っても十分引き合うんだ。日本にはナッツを買ってほしい」
ぼくにはなんとも言えなかった。安くなければ買わないし、労働力の安い国からのナッツがすでに溢れている。
牧場はなんとか生き抜こうとしていた。羊の世界的な安値はもうこの小国の政府の力を超えているように思えた。

クライストチャーチの土地測量局の土地台帳で調べてみたが、このあたり一帯がマックファーラン名になっている。日本の村と同じで親子親戚が隣り合った牧場を経営している。
その夜、3キロほど北の国鉄のクレヴアァリー駅近くにある親戚の家でパーティがあった。居合わせた15人ほどの大人達と20人の子供達のほとんどがマックファーランだった。
「君はあの裁判にかけられた首相の親戚かな?」太ったマックファーランが言った。太ったマックファーランはずっと北のピクトンで自動車ディーラーをしている。
その首相はニュージーランドでいちばん有名な日本人らしく、うんざりするほど聞かされたジョークである。日本ではタナカは3番目に多いクラン(氏族)で、グラスゴウのまた山奥の高地から出てきたマックファーランなど目じやない、と言ってやった。
「イジメはどうして起こったんだ?」痩せて、背の高いマックファーランが言った。彼はこの近くで学校教師をしている。
テレビで日本のイジメの特集をしたらしい。
「画一主義で、自分たちと違う者を排除しようとする行動だろうと思う。これまで画一主義がうまく働いて奇跡的な経済といわれたが、いつまでも働くとは限らない。イギリスもアメリカも昔の勢いを失ったように日本もやがて没落する」というようなことを言ったらしい。
どうも、ニュージーランドの4リットル箱入りのワインは悪酔いするらしい。ほとんど自分でも何を言っているのか分からない。
「それはペシミスティックに過ぎないか?」太ったマックファーランが言った。
「茂りすぎた大木の倒れる日が光に焦がれる草木にとっては希望であるように、大きな国が没落するのは希望でもある」
「俺はストレスだと思うんだよな。日本じゃ子供にまでストレスが押し寄せているんじゃないか」自動車ディーラーのマックファーランが言うので、それで話を終わらせた。ワインの効き目はそれどころじゃないんだから。

「日本の繁栄を理解するためには俺達もマオリ語の授業をやめて日本語を必修科目にすべきだよな」太ったマックファーランが言った。まあ、なんという危険な発言。
「日本語を勉強するのは悪くない。だけど日本のやり方をなにもかも真似るのだけはよした方がいい。それぞれのやり方というものがある」
「真似はしないさ。だけど、このままじゃニュージーランドは貧乏になるばかりだ。ニュージーランドが日本から買うほどには、日本はニュージーランドから買わない。フェアじゃない」太ったマックファーランが言った。
「でも、バターもラムも日本じゃ極めて高い。日本政府が国内の酪農を保護するために介入している。大体、日本では1キウィフルーツが1キウィダラーより高い」ニュージーランドではキウィフルーツは1キロ3ドル50ほどで買える。ちなみにニュージーランドから日本への輸出平均価格が1キロあたり2ドル90
「ニュージーランド政府は俺達を日本から保護するために介入しているかい?」太ったマックファーランがブルースに尋ねた。
「輸入品に高い関税をかけている。保護していることにはならないがな」ブルースが言った。
「そうだ、フェアじゃないな」また太ったマックファーランが言った。
日が落ち、寒くなってくると、それを合図のようにちらほらとマックファーラン達が帰りはじめた。
彼らは口々に別れと、これからの1年間の互いの健康を祈りあった。
ブルースは帰り道をぶっ飛ばした。並木がライトの中で後へ飛びすさる。
1匹の穴兎が道に現われ、こちらを振り返った。両の眼が薄黄色に光った。ブルースは思いきりアクセルを踏み、ぼく達はガクンとシートに押しつけられた。
穴兎は車よりわずかに早く草叢に逃げ込んでしまった。ブルースはアクセルから足を上げ、フッと溜め息をついた。
少年の頃の穴兎の仕打ちを未だに恨みに思っているらしい。

シル・ビ・ライト、マイト!

南島の大分水嶺は南島を南西から北東にアルプス断層線に沿って貫いている。脊梁山脈のシーワード・カイコウラ、インランド・カイコウラは大きく太平洋岸に迫ってくる。シーワード・カイコウラ山脈の2500メートルの稜線まで10キロ足らず、深さ1000メートルの海底まで30キロ足らずの、ニュージーランドで最大の急傾斜と海流のぶつかりあいはこのあたりを湿った、冷たい風の渦巻く海岸線にし、豊かな漁場にもしていた。
カイコウラのテイカウェイでフィッシュアンドチップスを買い、海岸の駐車場にバイクを入れた。鯨の骨で組まれた入り口を入ると戦争記念公園になっている。大理石に第一次世界大戦のカイコウラ出身の戦死者の名が刻まれている。各地の記念碑も第一次世界大戦までの、ニュージーランドがそのアイデンティティをヨーロッパに求めていた時代のものである。
砂浜に腰を下ろし、フィッシュアンドチップスの半分をぼくが食べ、半分を足元に群がる鴎に投げた。
海岸線を右にたどると、遠くにカイコウラ半島の石灰岩の白い崖が延び、同じくらい白い波止場の家並みが水際に立っている。眼の前の砂浜にも露出した石灰岩が波に洗われていた。
マオリの家族が浜で貝拾いをしていた。
「何が取れるの?」と、ぼく。
「ピピ」太った母親が言った。
「魚も貝も町の店先ではあまり見かけないね」と、ぼく。
「白人は海のもののおいしさを知らないからね」と、太った母さん。
「そう、全くその通りだ。でもおかげで安い魚が食べられるじやないか」
「駄目だよ、みんな日本やオーストラリアに売ってしまうから」と、太った母さん。

カイコウラの遙か北、プレナムから6号線を走り、ペララス・ブリッジからは「モーターサイクル・オンリー」の標識に従ってゴールドラッシュ時代の荒々しい山道、マウンガタプ・トラックに入った。ルピナスが咲き乱れる剥き出しの岩道の曲がりに「殺人者の岩」の立て札がある。その言葉は風景と全くそぐわない感じで生命力に溢れた夏の日差しの下にあった。
1866612日、馬に砂金を積んだ四人の男達がぼくと同じルートをたどり、ペララス・ブリッジを発ったままとうとうネルソンに到着しなかった。捜索隊は役馬の死体と荷袋をこの近くで発見した。一方ネルソン市内では4人組の不審な男達が拘留きれた。彼等はJ・サリバン、P・レビー、R・バージェス、T・ケリーの「サリバン・ギャング」。オーストラリア経由のロンドン出身者でどちらでも札付きのワル達であった。
結局、報償金と自由放免を条件にこの首領格のサリバンが自供し、被害者の死体がこの岩のそばで見つかった。裁判の反対尋問でケリーがサリバンを別の事件のJ・バトル殺しで告発。サリバンを除く3人はその年の10月に吊るされ、サリバンもバトル事件で絞首刑の判決を受けたがマウンガタプ事件での約束に従って終身刑に減刑され、釈放後は行方を絶った。
南島の彼等の足跡には多くの行方不明者と死者が残され、西海岸でのジョージ・ドブソン殺害に至っては彼等自身が吹聴していたにもかかわらず、立件できたのはニュージーランドで最も凶悪な殺人として歴史に残るこの「マウンガタプの殺人」だけである。ドブソンは著名な測量探検家父子のひとりで、弟アーサーはアーサーズ峠に名を残し、ジョージ自身ドブソンの町に名を残している。
日本でも翻訳されている作家モーリス・ジーの「プラム」にはこのジョセフ・サリバンの最期が書かれている。もちろん、フィクションであるが。
古い石造りの建物と花壇の町、「スリーピー・ホロウ」ネルソンも観光客のせわしなさからは逃れられない。リッチモンドの町で折れ、海岸に沿って走る60号線には日本の海水浴場に似た混乱と混雑があった。
国道は時には果樹園の間を走った。垣根で囲まれたネクタリンの畑でワーキング・ホリディや若い文なしの外国人旅行者が違法労働で汗を流していた。いくらかを稼ぐと彼らはまた旅に出、もう少し先の季節にはセントラル・オタゴの桃やリンゴ摘みに移動する。蔓を巻いたホップ、大きな葉を広げた煙草の畑が果樹園に続いていた。

空から見た西洋鎌のようなフェアウェル砂嘴を見たかった。
海岸からのフェアウェル砂嘴は遠浅の水面としみひとつない空とを裁ち切る鋭い刃である。野鳥のサンクチュアリーになっている砂嘴の懐の広大な浅瀬はるかに水鳥が無数に漂っている。
潮風を受けて木陰に休んでいると4WDバスが観光客を載せてやってきた。運転手が降りてきて車用のゲートを開く。しばらくは乗客達の騒ぎがあたりを悩ました。
バスが波打ち際を砂嘴に向かって乗り出し、松林の浜辺は再び静かになった。
フェアウェル砂嘴から少し戻ったタカカのユースホステルは夏の間だけタカカ高校の敷地を借りて開かれ、近所の女性が管理人を引き受けていた。
「従姉妹が訪ねてきて、家族の愚痴をこぼすのよ」ケイトと名乗った彼女は小柄で太ったこうるさいおばさんだった。
「彼女の息子の友達が、彼女の家に遊びにきてね。ビールを飲んで酔っ払って帰ったのよ。ところが帰り道で他の車と正面衝突しかけてね。道路脇に突っ込んで車とはぶつからなかったけど、何メートルも空を飛んだんですってよ。おそろしいわねえ。生きてたけど、骨を折って入院してるわ。ほんとに、馬鹿みたい」そんなことをながながと聞かせてくれた。
困ったことには同宿者はスウェーデンからの変な男一人でほかに相手をするものがいなかった。
どんなに変かというと、これがとても変な奴で、言うのも大変な変さ加減である。
にきびだらけの顔で、ハスクヴァーナのミリタリーモデルを持っているという。ニュージーランドのトラックをヒッチハイクで回っているという。ミルフォード・トラックなんか本格的な山歩きじやないという。バイクなんか気楽な旅だという。日本でも山歩きに往々いる人を悩ますタイプで、自分の狭い世界でお山の大将になっていたいのだ。海に潜る奴はお山の大将にはなれない。せいぜい土左衛門である。そこまでは我慢する。これはまったくその言いぐさが気に食わない程度のものである。
我慢ならなかったのは、それだけのことを折り畳みベッドに座ってナイフで足の裏の厚くなった皮をちびちびと削りながら言ったことだ。
ぼくはそいつに、「ぼくも帰りにはハスクヴァーナのミシン針でもみやげに買うかな」と言い捨てて、管理人のケイトおばさんと話しに行った。にきび面で足の皮を削るような変な奴よりはこうるさいおばさんの方がよほどましではないか。
ちなみにニュージーランドではハスクヴァーナはミシンのメーカーとして知られていて、次にチェインソウ、バイクなどのエンジン機器である。

翌朝、ケイトおばさんはデュティに鍋の底磨きをくれた。おばさんと一緒に鍋の銅底をコンパウンドで磨く。
鍋の底に円を描きながら、ケイトおばさんは従姉妹の話を続ける。息子(従姉妹のである)は遊び呆ける。亭主(従姉妹のである)はパブかRSA(復員軍人協会)かローン・ボウリングに入り浸る。家事(おばさんのである)は大変だし、物価は上がる。
おばさん自身は近くに農園を持っている。
「さっき犬を連れた亭主にあったでしょ?
二人の子供を育て、息子はクライストチャーチにいるし、娘はネルソンに住んでいる。
「この年で必死に働く人なんていないさ。農園で採れる野菜と果物でなんとか暮らせるからね。クリスマス休暇には子供達も帰ってくる。滅多に顔を合わせられないから、つい甘やかしてしまうんだろうね。孫の教育によくないって娘に文句を言われるよ」
「亭主は戦争のあとで日本にいたこともあるんだよ。兵隊でどこかの町に駐屯してたね。小さくて可愛らしい人達だって言ってたけどあんたを見ると小さくも可愛らしくもないね」と、ケイト。どこの国でもこの年の女は情け容赦がない。
「あんたのご主人はきっと日本の娘たちのことを言ってたんですよ」
「そうかね。誰かいい娘でもいたんだろうかね?
「妬けますか?
「とんでもない。あたしだって昔は可愛い娘だったんだから」昔は可愛い娘だったケイトおばさんは続けた。
「日本の若い女の子って可愛いかねえ?
「関係によります。見る分には可愛い。友達でいる分には魅力的です。でも……」
「でも?
「それ以上になれば暴君です。後悔している友達も多い」
「誰だって後悔するんさね。もっといいのがいたんじゃないかってね。つれあいに不満があるときは、自分もその程度だと思わなきやいけない」
全くこの年の女は怖いもの知らずである。

「ほらご覧、きれいになったでしょ?」鍋の底に窓からの光をあててほれぼれしたように言う。そんなに毎日磨いているとすり切れて穴が開いてしまうよ、と言ったぼくをおばさんは寛恕してくれた。
「本島を一周するの? ふーん、あんたもルーバーだね」
南島の旅行者はループ(輪)を描いて旅するので、南島の人々は彼らを、ぼくも含めて、ルーバーと呼ぶ。
「ルーピーじやないよ。ルーピーは気の触れたひとのことだからね。まあ、似たようなものだけど」
「本島ってどういうこと?」と、鍋を磨きながら尋ねる。
「ああ、南島の人間は南島を本島っていうのよ。北島は北島。オーストラリアは西島だよね。あっはは」自分で笑ってる。
「日本ってどんなところなんだい?」と、おばさん。布切れにコンパウンドをちょっとつける。
「そうですね、冬が北へ立ち去り、生命がそのかたくなな膜を溶かして表に現われ出る頃、枝ごとに溢れる桜の蕾が少しずつ開いてゆきます。春の穏やかな日差しを吸って咲く薄色の桜の花は物事がすべておぼろに霞む日本の空に溶け込みます」できるだけ雰囲気を込めて話した。
「決して大輪のバラや石楠花のようにひとつひとつが際立つことはありません」斑になってないか光をあてる。
「まあ、ファンタスティック」おばさんがうっとりした表情をする。
日本人から見ると、白人のめりはりの効いた顔つきは25を過ぎると皺が深くなる。おまけに太ってくる。うっとりしたその表情も若い娘の魅力にはとてもほど遠い。ぼくがもう少しくちの悪い人間だったら、「薄気味悪い」と言うところである。
「その季節になると、人は公園の桜の下に集います。食べ物や酒を持ち寄って一日ゆっくり過ごすのです」
「まあ、ラブリー」相変わらずうっとりした表情である。なるべく眼をそらして話す。鍋の底が丸く筋になって磨き残しがくろずんでいる。慌てて磨き直す。
「山里に一本の美しい桜があったとしても人々はそれを愛でることはしないでしょう。互いに溶けあってなければいけないのです。同時に日本人にとっては多くの人が集まることに意味があるのです。群れの中に溶け込むのです。桜の花のように」磨き上がると水をあて、乾いた布切れでぬぐう。まだくろずみが残っている。
「ファンタスティックね」ケイトおばさん、日なたの蝋燭のように軟らかくなってしまった。
「いえいえ、これは『ハナミ』の現実の一面です。もう一方の面は騒々しくて、臭くて、ごみごみしていて、猥雑で、下品です。おばさんの気分を壊すことはとても話せない」と、ぼく。
「変わった日本人だね」と、我に返ったおばさん。
「日本では変わった人と呼ばれてました」
「それよか、今度来るときはトラックを歩きにおいで」
「それでおばさんの従姉妹の話を聞かされるんでしょう?
ケイトおばさんはその言葉も寛恕してくれた。

ぼくは幹線の6号線を避け、タッドマー・サドル越えのダート道を走った。おかげで鼻を蜜蜂に刺された。これ以後もニュージーランドでは蜂に2回刺され、一度小鳥にぶつかり、時速80キロでハリヤーと衝突し、3頭の子を連れた巨大な野豚にでくわし、ダートのコーナーで真っ黒なアンガス牛と衝突しかけた。バイク旅行には全く命がけの国なのである。
西海岸に達したのは翌る日の午後も遅い時間で、グレイマスの郵便局に駆け込んでクライストチャーチのホワイティング・ホンダに電話した。
ジャスティンは、週末にサムナーに鹿猟に行くから、土曜日の朝に家に来てくれと言った。
一晩グレイマスに泊まって明日、クライストチャーチに戻ることにした。
グレイマスのユースホステルに、ウェストポートの失業者がいた。バリー・アダムスと名乗った。夕食のあと、彼とパブに出かけ、1杯目のジャグを彼が払った。
「たまにウェストポート港で仕事をするし、日本の会社とも付き合う。ところが連中、パブには絶対来ないね。何故なんだろう」商店街から桟橋への古い町並みにあるホテルのパブでバリーが言った。
「ぼくは彼らについて、ポッサムの性生活と同じくらい何も知らない」と、ぼく。
「失業手当はどれくらい入るんだ?」と彼に聞いた。
「週に100ドル足らずさ。失業者センターに住んでるから家賃は安くてなんとかやってける。ただ仕事は少ないからね」バリーが言う。
「どうして、仕事の多い都会に出ないんだ」と、ぼく。
「今の暮らしが気に入っているのに、何故そうしなきやいけないんだ?」彼はぼくの言葉が呆れた考えだと言わんばかりだった。
この国には数パーセントの失業者がいる。片方で春には苺が収穫労働者がいないまま腐っていた。
けれどバリーの考えに腹は立たなかった。
「ぼくもそう言えればいいと思う」
「何故言えないんだ?
「世の中の商品の半分ははじめからゴミであることを運命づけられている。そんなものを造るくらいならのんびり遊んでいた方がずっとましだと思うが、失業手当が十分じゃないから、生き延びるためにはゴミでも造って稼がなければならない」

「日本人はどうして団体旅行が好きなんだい?
ぼくが2杯目を買って戻ると、バリーが言った。
「ぼくは彼らの気持ちになったことがないから分からない」
それにしてもニュージーランドのビールはいつもどうしてこんなにぬるいんだろう。
「君はどうなんだ?」と、バリー。
「ああ、ぼく? 集団行動が苫手なんだ。それに、ぼくはニュージーランド人に会いたくて釆た。二人以上で旅してみな、自分のしたいことの半分もできなくて、仲よくやっていくのに労力と時間を無駄にしなきやならなくなる。あげくにお互いに対してむかっばらが立つようになる。旅が台無しになる」
「ニュージーランドは面白いか?
「ああ、とても」
「何が面白い?」と、彼。
「考え方。理屈っぽくて、屈折がなくて、大雑把。ぐうたらで、気どりがなくて、素朴」
「ニュージーランド人の三つの口癖を教えてやろう。まず『ギダイ、マイト』(G'day, mate!)、こんちは。『シル・ビ・ライト、マイト』(She'll be right, mate!)、なんとかなるんじゃないの。最後が『ノー・プロブレム』(No problem!)大丈夫。大雑把に聞こえるかもしれないけれど、俺達は移住民だ。物事に対して積極的でなければならない。積極的であるためには楽観的でなければならない」
もう1杯ジャグを買うかどうかで言い合った。買うことにして、彼が持つと言った。
「日本人の三つの口癖を教えてやろう。まず『大変ですね』これは不運に見舞われた人にその不運がどんなにつらく苦しいことかを本人に教えるため。『気をつけて』これは旅に出る人に、旅先にはつらく苦しいことや蛇やブスなどの危険がうようよしていることを教えるため。『頑張って』これはなにかをしようとする人にそのことがきっとつらくて苦しくて困難だろうけど楽になろうとしてはいけないよと教えるため。この三つを自由に使いこなせれば君も日本社会でやってゆける」
ブスというつもりはなかった。ただ、なめくじ(slug)のつもりがどうしたってブス(slag)に聞こえる。ちなみにニュージーランドに蛇はいない。なめくじとブスはいる。

「日本人と話したのは君が初めてだ。日本の社員はパブには来ないからな」
パブを出るとき、彼はウェストポートの失業者センターの住所を教えてくれた。
「来ることがあったら寄ってくれ。安く泊まれる、ああ、外国旅行者でもな」
「できれば行く、もし行かなかったとしても、それは時間がなかっただけで、あんたと話してつまらなかったというんじゃないから気を悪くしないでくれ」
ニュージーランドの町は夜が早い。

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最終更新: 26-09-2005

 

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