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クリスマス・ラリー
Christmas Rally in the Nelson Lakes

ステートハイウェイ65

キャンプ場の広場には細かな雨が降っていた。
暖炉の火と人々の熱気がキャンプ場の社交室にこもっていた。
外の闇から飛び込んでくる男や女達のそぼ濡れる髪がしずくを集め、顔を伝って流れた。
こぼれたビールとワイン、それに湿った皮ジャケットと汗の臭いが空気に満ちていた。
大勢の歌声が狭い小屋に渦巻き、それから湖畔の木立ちに吸い込まれていった。一人がよろめいて他の誰かの肩を掴み、掴まれた方がひっくり返った。ひっくり返ったままもがいていた。酔っ払っていた。ドッと笑い声が弾けた。誰もが酔っ払っていた。

  「タブリンの美しい町、娘達は可愛い
  俺は初めて優しいモリー・マローンを見た。
  彼女は手押し車を押し歩いた、広い通り、狭い路地
  よばわった、コックルもマッスルもいきがいいよ……
  いきがいいよ、いきがいいよ
  コックルもマッスルもいきがいいよ……」

クリスと呼ばれている大男が歌っている。帽子からもじゃもじゃの髪がはみだし、ひどいスコティッシュ訛りであった。
クライストチャーチの交通局でバスの運転手をしている女が歌い、みんなが歌っている。

  「彼女には父と母がいた。
  彼らも魚を売り歩いていた、モリー・マローンのように
  彼らは手押し車を押し歩いた、広い通り、狭い路地
  よばわった、コックル、マッスル、いきがいいよ……」

18ばかりの娘がいた。50を過ぎた男もいた。その間を箱入りのワインが回され、スタインラガー・ビールの缶が空けられる。宴は果てしなく続くように思え、窓ガラスには裸電球に照らされた人々の姿が映っていた。
ホワイティング・ホンダで貰ったパンフレットにクリスマス・ラリーの案内があった。主催はBRONZ、「ニュージーランドのバイカーの権利」という名の団体だった。
毎年いくつかのラリーが開催される。有名なのは北島の「コールド・キウィ」と、南島の「ブラス・モンキー」で、どちらも真冬の高地で開かれ、数千人が氷点下の荒れ地にキャンプするのである。長らく「ブラス・モンキー(真鍮の猿)」の意味がわからなかった。辞書にもあたったが無駄であった。
ある日偶然、ジャック・ヒギンズの小説の中でその言葉を見つけた。
「真鍮の猿のきんたまも凍るような寒さであった」
ぼくはその言葉を使う機会をうかがっていた。機会は思いがけずやってきた。クライストチャーチ北方のアッシュリーで行なわれたトライアルの主催者の一人、ボブ・ハリスの農場を訪ねる約束があったのだ。
話題がヴィンテージ・バイク・ラリーに移ったとき、すかさずこのふたつのラリーを持ち出した。かつて市内で家具店を経営し、現在はクライストチャーチを見渡せる丘に農場を持つボブは、
「イース(そうとも)、クライジー(クレイジー)なキウィだ」彼は、イエスをイースと発音した。
「真鍮の猿のきんたまも凍る寒さだってね」ぼくが言った。うれしいほど期待通りの答えが返ってきた。
「まして、あんたのが……」彼は秘密を分けあういたずら仲間の笑いを浮かべた。

クリスマス・ラリーは初夏の11月末に南島の北部、ネルソン湖水国立公園で開催された。
クライストチャーチを出たのは金曜日の朝。持ち金のことが気になっていたが銀行に寄る気にならなかった。一度、バイクに跨ってしまうとどこまでも突っ走ってしまうのがライダーの「さが」である。止まれなくなるのだ。
北行バイパスから1号線に乗り換える。南風は背後から吹いた。ワイパラで7号線に入ってもそれは続く。風は南極の暴風圏から吹いてくる。11月といえば日本の5月である。それでも風は湿っていて、身を切るように冷たい。そのために何度も国道沿いに設けられたレスト・エリアで身体を温めなければならなかった。着られるものはすべて身につけた。
ウェカ峠を越えてフルヌイ川を下る斜面は寒い夏の中で海藻色の草が南風にあおられていた。すれ違う乗用車もトラックも鈍色の空から守るように身を縮めていた。フルヌイの広い河原からバルモラル国有林の平らなラデイアタ・パインの植林地を過ぎる。
かつて火事で壊滅的な打撃を受けたバルモラルは今も一般から閉鎖されている。若い松が切り揃えたように同じ高さで空を背負っていた。
誰にも覚えがあるだろうが、バイクに跨って気温や風や眠気や何か苦痛があるとき、それとも単調さに飽きたとき、ぼくは歌をうたう。それも大声で。どうせ誰にも聞こえやしない。
「松林で」を歌った。しめやかで美しい、アメリカの古い歌である。
  「松林で、松林で、そこは日もささないところ、そこで私は震えた、ひどい寒さに……」
  「私」の恋人は鉄道員だった。「私」の見たいちばん長い列車は百輌編成。列車が「私」の恋人を轢いた。首は何マイルも先で見つかり、胴体はとうとう見つからなかった。
他の歌にしよう。
カルヴァーデンをあっという間に過ぎる。多くの町のように通り過ぎてからそれと気づく小さな町である。ここより先には峠向こうのスプリングズ・ジャンクションまで100キロ、給油所はない。

この国の春はどこもハリエニシダであった。ハリエニシダは小さな谷間に黄色い花を咲かせ、ミヤマシャクナゲに似た薄紅色が時折、ハリエニシダに圧倒されるように咲いている。それに続く丘陵の斜面は萱草とルサーン(アルファルファ)に覆われた青紫の襞であった。
国道はハムナー温泉への分岐を過ぎ、風は相変わらず冷たかったが、今ではちぎれ雲が頭上を通り過ぎる程度になった。
放牧地と荒れ地の谷を通過する車は少ない。行き交う車は10キロあまりに1台、つまり、車の間隔はほぼ20キロあまりということになる。ドライバー達は左手を軽く挙げて行く。この国では人と人との間があまりに遠いので、人は軽い仕草でつながろうとしているのではないか、と思うことがある。この土地では人はまず孤独である。だからこそ、そんなつながりを求める。

道筋の空き地でスケララップ・ゴム会社製の雨具に身を固めた男がかがんで古いバイクをいじっていた。
「どこから?」ヘルメットを取って聞いた。
「ネルソンから」彼が答えた。
北のネルソンから、ハムナー温泉で開かれるヴィンテージ・バイク・レースに参加するという彼のバイクにはキックスターターがなかった。もとからレース車なので押し掛け専門だという。ユアサの6ボルト・バッテリーがスチールバンドでとめてあるが、ライトがない。
「ライトなしで不便じゃないか?
「昼間しか走らないからこれでいいんだ」ネルソンの男は屈託なく笑った。
互いに行く先の天候を教え合った。ルイス峠から先は非常に暑いと彼は言った。3歩でエンジンをかけるとそのままコーナーを曲がって行ってしまった。

ボイル川はルイス峠の東側を流れる。その広い谷間で、板張りのゲートを越えるトランパー達に会った。
「セント・ジェームズ・トラックを歩いてきたんだよ。鹿を見たよ、遠くからだったけど。この国に野生動物が残っているのはうれしいね。これからクライストチャーチ行きのバスを待つんだ」疲れた様子は見せないがバックパックははっきりとくたびれていた。
「どこから来たんだ?」と、ぼく。
「イングランドからだよ。トラックをいくつか歩くつもりだ」彼が言った。
「その鹿もあんたと同じ所から来たんだ」と、ぼく。
「へえ、そりや知らなかった」呆れたように言った。
彼らはこの先のルイス峠でバスを降り、3日ほどの日程をかけて歩いてきた。

このあたりをアルプス断層線の枝が何本も走り、幾重にも折り重なった地形をつくりだしている。そのアルプス断層線に沿った大分水嶺が、乾燥したカンタベリー平原と「雨の西海岸」を隔てている。その東は比較的痩せた萱草の草原、西はナンキョクブナの原生林とくっきり分かれている。
ボイルの平地を過ぎるとそこからは湿潤な森の道。たいした屈曲もなく穏やかに高度を稼ぎ、やがてはルイス峠に達する。ガードレールのない峠は右手に砂利の広場を控え、その向こうは谷間を埋める鬱蒼としたブナ林である。
バスの旅行者なら気づかずに過ぎるような峠は奇妙に明るい静けさの中にあった。その静けさに包まれて国道7号線は大分水嶺を下る。
やがて道は川沿いに下りる。マルイア温泉のホテルが客を迎えている。その前庭から河原が見通せる。
道の暗さに比べてひどくまばゆい河原は、渓流の床に夥しい流木を横たえている。染めたような緑の流れが細く、時には飛沫をあげて流れている。
よく似ていながら日本とニュージーランドの自然にははっきり違ったところがある。
日本の自然がすべてを抱え込もうとすれば、この土地の自然はできるだけ削ぎ落とそうとするかのようである。日本のそれが母性的なものとすれば、ニュージーランドのそれは父性的なものである。ひょっとするとこれは日本人とニュージーランド人の自然観の違いがつくりあげたものかも知れない。それとも自然がひとをつくりあげたか。

スプリングズ・ジャンクションに入っていった。町は日差しと砂埃の中で熱く乾いていた。スプリングズ・ジャンクション自体は給油ポンプ一台きりのガレージ、道を挟んで一軒、みやげ物屋兼カフェテリヤ兼レストランがあり、その他に共有地と数軒の住宅、それがすべてである。
砂埃の原因は1000頭ばかりの羊で、砂埃の中、彼らは町を通過し、ルイス峠の方向を目指していた。国道は、町の中央の砂利の広場を貫くアスファルトの帯でしかなかった。
国道7号線はみやげ物屋の先で左に折れ、山道となる。右に折れる本道と見えるのが国道65号線だった。
ガレージでは東へ向かう乗用車が給油している。レギュラーの91オクタンは品切れであった。
「すみません。年末には入るかも知れません」若い娘が少しもすまなさそうにない表情で言った。
「それまでは待てない。ハイオクタンでもいい」クライストチャーチのデイリー・ストアの親爺が正しければ、年が明けて、クリスマス休暇が終わるまでレギュラーは来ないはずである。
85セントの燃料が5リッターであった。北行バイパスから150キロ走ったことになる。砂埃の積もったタンクを手袋でなぞるとくつきりと赤い筋が残った。なにか、非現実的な感じだった。町そのものが蜃気楼であった。
マルイア川を下る国道65号を行き交う車は少ない。緑深いスペンサー山脈とヴィクトリア山脈の谷間に堆積した土壌の上に細々と小さな牧場が連なっている。丈高い牧草の間に点在する家屋は荒れ果てていた。波鉄板が褐色に錆びつき、梁から剥がれて反り返っている。家屋の材木もすっかりペンキが剥がれ、雨晒しのままひび割れていた。
家は人が去ったときから朽ちはじめる。草原で柱も壁も倒れ、その上に錆びた鉄板が重なる中に煉瓦造りの暖炉が壮烈な姿で立っていた。
国土の90パーセントの面積に人口の17パーセントが住み、GNP20パーセントを超える額と外貨の80パーセント近くを酪農産品が稼ぐこの国の田園の姿がそこにあった。
この国でも都会の金融と投機だけが栄えていた。

リムニーの鐘

「マルイア滝」の標識に従って道を降りると、木陰のレスト・エリアからは岩をなだれ落ちるマルイア川が眼の下にある。
ヤマハの750が砂利を鳴らして入ってきた。
「どちらから来たんだね?」バイキーズ風の皮ジャンパーにいくつものバッジを付けた男が言った。ヘルメットを取ると、意外に穏やかな顔つきだった。
「クライストチャーチから。ロトイチ湖のクリスマス・ラリーに行くところだ」
「あら、あたし達もそうよ」ピリオン・ライダーが、ヘルメットを脱ぎ、金髪を手で整えながら言った。
「僕達は、今日はネルソンの友達の家に寄るけれど。アレックスから来たんだ」アレックス。アレグザンドラ。セントラル・オタゴの果樹園の町。懐かしい響きだった。
「今朝?」アレックスからは随分ある。
「いや、昨日クライストチャーチのモーテルに泊まったよ」とんでもない、という表情だった。

1929年のマーチスン地震がこのあたりに大きな断層を起こしたんだ。ブラーでは17人が死んだし、多くの建物が壊れた。そのときにマルイア川の河床が持ち上がったんだ」
水は岩の割れ目を縫って流れていた。
「ニュージーランド人は自分達の国のことをよく知っている」ぼくは言った。
「狭い国だからな。新しくて人口も少ない。覚えることなんてたいしてないんだよ。オークランダー(オークランド人)は違う。彼らはニュージーランドのトップに住んでいると思っているから、南島のバック・ウオーター(僻地)のことなんか何も知らない。彼らの関心は外国のことと金とその金で買えるものだけさ」彼は反応をためすようにぼくの顔を覗き込んだ。
「じゃ、明日」彼らが手を振った。
ぼくが先に走り出した。フロッグ・フラット・ジャンクションという奇妙な名前の土地を過ぎた。所々、右手の斜面の森がなぎ倒されたように裸地をさらしていた。運び出されないで朽ちた木は黒く焼けただれた樹皮を残していて、疎らに立つ木々は骨の指が空を差していた。その裸地にも、ワインベリー、コツクツク、羊歯、ホウへレなどの林緑植生が育っていた。西海岸のゴールドラッシュに続く乱伐の時代にもこのあたりが自然林を多く残したのは地の利の悪さが原因だった。

レスト・エリアに「シェナンドー風景指定地」の木の看板が立っていた。針葉樹の板に文字を彫り、規定通りのインディアン・レッドに着色した看板は風景に溶け込みはじめていた。
このシェナンドーというアメリカ風の名前は一人の山師に由来する。
キャプテン・ジョージ・フェアウエザー・ムーンライト・スコットは、スコットランドに生まれ、早くに船に乗り組んだ。カリフォルニア・ゴールドラッシュの49年組に身を投じ、オーストラリアのヴィクトリア・ゴールドラッシュにもいた。夜中に旅する癖があり、そのためムーンライトの名を得た。オタゴのゴールドラッシュでも砂金発見者の一人だった。
この土地でもいくつかの砂金を発見し、定着すると雑貨屋とホテルを経営した。赤シャツ、膝までのニッカボッカ、ゴム長靴のいでたちと慣習にとらわれないやり方でこの地域に采配をふるうようになった。
彼はこの国のある時代の輝く個性の一人だったし、多くの輝かしい個性に等しく訪れた悲劇をもまた甘受しなければならなかった。晩年、彼は妻を失い、事業にも失敗した。再び夜歩きの放浪生活に戻った彼はずっと北方、彼自身が開いた町グレンホープの山中で最期を迎えた。彼がアメリカのアパラチア山脈の川の名にちなんで名付けたのがシエナンドーなのだそうである。

ブラー川に沿った道でアレグザンドラの二人が追い越し、手を振って行ったのはマーチスンのすぐ手前だった。
ゴールドラッシュに生まれ、今は周辺の牧場相手の商売で生き延びるマーチスンはその牧場と同じょうにひっそりとしている。必ず見つかると信じられている石油も実現していない。いちばん大きな交差点のひとつの角を給油所、真向かいにデイリー・ストア、もうひとつをパブが占めている。
デイリー・ストアでパンを買い、パブでドミニオン・ビールを買って、通りがかりの少年にネルソン湖水国立公園への道を尋ねた。ぼくがその方角だと思った道はマルイア・サドル(鞍部)を越えてフロッグ・フラット・ジャンクションに戻るダートであることが分かった。しかし、それ以外のことになるとさっぱり要領を得ない。そのうちに買い物の中年の女と、パブの前に用事もなく立っていた男が寄ってきて、3人はすべて違う方角を主張した。
揉めた末、ぼくが入ってきた道をそのまままっすぐに走ればいいのだという結論に達した。多分ぼくは彼らの暇潰しと、変化のない日常に久しぶりの話題を与えたのだろう。それもまた悪くない。

「テウィリキ・トラック。フォード3か所。二輪駆動車には不向き」
国道のさびしい三叉路で標識が日差しにあぶられていた。西の山にかかる雨雲以外に日を遮るものはない。そこからのブラー川に沿った国道6線はほとんど人家も牧場もない渓谷の緑をたどった。すれ違う車と追い越してゆくバイクの他には動きはなかった。
80キロで走るぼくのバイクを彼らは軽く追い越して行った。時速100キロで走ることはとっくにやめていた。速く走ることはなにも面白くなかった。
それでもワッティの冷凍野菜を運ぶトラックに追い付いてしまった。
路上の日差しが翳った。雨雲がすでに頭上に達していた。ワッティのトラックはのんびりとディーゼル・エンジンの硫黄臭い煙を吐きながら行く。追い越すには狭い道であった。

ゴグルに何かが弾け、風景が歪んだ。それが数を増すと、路上には流れが生まれていた。
ワッティのトラックが水を巻き上げ、乱気流がバイクを上下左右に揺する。路面から吹き上げる雨がタンクを流れる。対向車とすれ違った途端に水の壁がうちつけた。荒々しい力でひきむしる。雨具は針のように鋭い雨粒から身を守ってくれる他にほとんど用をなさない。雨はヘルメットの下に入り込み顎を伝って衣服にしみこんだ。
雨雲はすさまじい速さで突っ走り、カワティリ・ジャンクションにたどり着いたときにはバイクを追い越してしまっていた。
カワティリ・ジャンクション。国道6号線と63号線の分岐に屋根を載せたプラットフォームは今にも汽車がやってきそうだった。その向こうの川には鉄道橋が残っている。いくら待っても汽車は来ないし、どこへも行き着かないカワティリ・ジャンクション駅である。
これはニュージーランドの鉄道開拓とその挫折の記念碑であった。次々と国鉄の廃線化の進む現在、この区間に鉄道が開通することは永久にない。
史跡指定地の立て札はここに何をとどめようとしているのだろう。過去の栄光か、現在の没落か?

ロトロア湖への砂利道を過ぎると森が背後に退き、ワイラウの源頭近く、流れが高台の牧場と丘陵を隔ててうねっていた。
河岸段丘の牧草の貧しい放牧地にヘレフォード牛があちこちと群れをつくっていた。その背景に吹き流しが尻を落とし、その下に小屋が見える。トップ・ドレッシングの滑走路である。
人口の少ないニュージーランドでは広い牧場の肥料、播種、農薬散布にフレッチャー軽飛行機を使う。セスナ型の飛行機から吐き出された粉塵は煙幕のようにあたりを包む。全国にある8000の農業用滑走路から彼らは飛び立つ。

下り坂の終わり、低木の薮にネルソン湖水国立公園の看板が立ち、めぼしい入り口もないまま走るとサント・アーノードの町に入ってしまった。デイリー・ストアと給油所だけの小さな町に観光客相手のモーテルが目をひく。
引き返して山小屋風の造りの公園管理事務所の木枠に小さなガラスを嵌めたドアを押した。
人のいない受付のカウンターの他は国立公園の展示で埋められていた。
ピックアップトラックが道路から駐車場に入ってきて、カーキ色の制服に肩からトランシーバーを下げた青年が降りてきた。土地測量局の国立公園自然保護区局レインジャーの肩章を着けている。
そのレインジャーに教わった道を入っていくと、すでにテントの受付の前に人影が動いていて、黒にBRONZの文字を染めぬいた旗が受付に下がっている。12ドルを払って手ごろなテント・サイトを探した。
受付のスピーカーから流れるバーズの演奏が木立ちを縫って届いた。

  「すべてのものに……ターン、ターン、ターン
  季節がある……ターン、ターン、ターン
  天の下、すべてのものには、時がある」

20年近く前にそのバーズの演奏を聞いたときは、それは時代の予言のように響いたものだ。ここではその歌が諦念を歌っているように聞こえる。
受付に戻り、ブロンズのメンバーに自己紹介をした。
バッジをいっぱい付けたベレー帽をかぶり、黒のウールのコートを着た男が髭面を動かして、ジェレミーと名乗った。ジュレミーはビート族のような格好でビート族のような髭を蓄え、ビート族のようにラフな言葉使いをした。顔には無数の皺が刻まれていた。
「最遠距離賞というのがあるだろう」
「イェップ、何処から来た?
「クライストチャーチからだが、もとはといえば日本から」
「ノープ。君は2位だ。オランダから来たのが一人いる」
「移民だろ?
「ノープ。旅行者だ。ニュージーランド人の友達と参加している」
「台所は使えるのかい?
「イェップ。社交室のが使える。紅茶とコーヒーは湯沸かしの下のを自由に使っていい。シャワーはトイレットの中にある。早く入らないと湯が冷たくなるぜ。ビールが欲しければ2ドルだ。サンドフライは無料だ」
「いや結構だ。ミルフォード・トラックで十分歓迎を受けたよ」
「ここのはもっと凄いぜ」
「雨の具合はどうだ?
「今は降っていない」彼はてのひらを広げて、空を見上げた。
「天気予報は何て言ってた?
「必ず降る。それがネルソン湖水だ」
「綱引きもするのか?
「もちろん、土砂降りでもな」
「気にしないさ」と、ぼく。
「イェップ。シル・ビ・ライト・マイト(なんとかなるさ)!」と、ジェレミー。

  「誰が私にくれるのだ、とリムニーの鐘が言った」
バーズの他の歌が流れた。
  「破壊者を法廷に、とニューポートの鐘が言った
  もしも、もしも、もしも、とカーディフの鐘が言った」
  ルンドゥサの鐘が鳴り、ワイの鐘は「何故? 教えてくれ。何故なんだ?」と言った。
破壊者はウェールズの炭坑ストライキ労働者ではなく、合理化を進める政治家と企業家達である。

いつの間にかライダーの数は増えていた。
「やあ、ケンジ」
振り返ると、クライストチャーチのバイク屋で働いているクレイグ。
「いつ、向こうを出たんだ、クレイグ」と、ぼく。
「昼前だよ」と、クレイグ。
「ブレナム回りか?
「そうだ」クライストチャーチからここまで350キロばかりだ。クライストチャーチ北部でベルファストのモーターウェイ入り口の信号を過ぎれば、ブレナムまでの250キロにひとつの信号もない。ブレナムからこちらは狭いが遮るもののない63号線だ。彼らのバイクなら5時間とかからない。
埃止めのオイルをしみ込ませた石炭殻の道をライダーがてんでに入ってくる。そのたびに先着のライダーから歓声が上がる。抱き合い、肩を叩き合い、冗談を投げ合っている。その多くは一年ぶりの再会である。
黒い皮の上下で、BMWに跨った男が入ってきた。ひときわ歓声が高くなった。
「クリス! クリストファー・ウィリアムズだよ。ブロンズの名物男だ」隣のクレイグが言った。

ラム酒とBMWでできあがっているものは

BMWは古い鴬色のメタリック。両側のキャブにオイルがにじんでいる。何故、キャブからオイルが漏れるのか分からなかった。
「みもの」はシートの後ろにくくりつけた大きな中華鍋だった。
クレイグがクリスを紹介した。
「ハロー、ケンジ」
「ハロー、クリス」
クリスは軍払い下げの水筒の蓋を取り、こちらへ差し出した。
「ほら、グッと」と、クリス。
「何だ?
「水だ」
「水なら間に合ってる」プンとアルコールの匂いがした。
「命の水だ」彼の赤ら顔に気がついた。もしゃもしゃの髪は少年っぽかったが、もう少し年を食っているに違いなかった。少年と見えたのはいたずらっぽい彼の表情だった。

水筒を傾けた。むせてしまった。
「これは何だ?
「ラム、ラム酒だ。バイクで冷えた身体にいい」
そうは思わなかった。
「古いBMWだな。よく走るかい?
9年来乗っている。癖はあるが、馴れてしまった。他のに乗るのが怖い」
「中華鍋は何のためだ?」
「誰かを後ろに乗せるときのヘルメット」彼の皮ジャンパーが臭った。
ベレー帽に色とりどりのバッジを付けたジェレミーがクリスに話しかけた。
「じゃ、また、後で」クリスがぼくに言った。彼らから離れ、木立ちの道を抜けて湖岸に出た。

波打ち際近くまで灌木が繁っていた。
小石のなだらかな岸には穏やかな波がたゆたっていた。見渡す限りブナに覆われた山が湖をとりまき、水面と45度の鋭い角をつくっていた。ブナはブラック・ビーチ。真菌類に覆われた幹は焼け焦げたように黒い。そのため森はさらに昏かった。先ほど、西で俄雨を降らせた雲が東岸、サント・アーノード連山にとどまって昏い影を斜面のブラック・ビーチとねっとりした水面に落としていた。
ひどく陰鬱な土地であった。

テントの傍らのベンチで缶詰のソーセージを温め、黒パンにピーナツ・バターを塗って皿に積んだ。
木立ちを抜けてきた若い男と女が向かいに座った。
「サント・アーノードへ行けばフィッシュンチップスがあるのに」黄色いセーターのよく似合う娘が言った。笑顔のきれいな顔つきだった。
「金がなくてね。ガソリン代を残しておかなきやならないし」
「あらあ、皆、お金なんか持ってなくてよ」少しアルコールが入っているのだろうか、しつこかった。
「人それぞれなんだよ」連れの男が彼女をなだめるように言った。それにも彼女は気づかないようだった。
「紅茶でもどうだい?」彼女を黙らせようと、勧めてみた。調子に乗ってるときはなにをしても駄目なものだ。
「有難う、でも紅茶だったら社交室にいくらでもあるのよ。好きなだけ飲んでいいのに」
ビリーで煮詰めた紅茶からサンドフライをつまみ出していると、
「社交室ならサンドフライもいないわよ。ディンプ貸したげようか」初めての有難い言葉だった。笑った。彼女もセーターより明るく笑った。

  「黄色は恋人の髪の色
  朝、ぼく達が目覚めるときの
  朝、ぼく達が目覚めるときの
  それが、それがぼくのいちばん好きなとき……」
テープの具合が悪いらしい、ひどく調子っぱずれのドノバンが歌っていた。

緯度の高さと夏時間のおかげで十時近くまで明るい。テント前の広場にライダーが集まって、ビールと箱入りのワインを交わしていた。ジェレミーの三輪に改造したバイクに10人近くが乗り込み、パレードしている。合板で箱を組み、黒の塗料でボディーを塗っている。
ニッサンのピックアップトラックがやってきた。公園管理事務所で会ったレインジャーが車から降りてきた。
ジェレミーが彼と話している。顎に指をかけ、うつむいて難しい顔をしている。
何気なくおしゃべりをし、はしゃぎまわっている周囲の者も話の成り行きにそれとなく注意しているのが分かる。
話を聞いていたピーターと名乗る若い男に尋ねた。
「あのレインジャーはいい男なんだ。親切だし、話の分かる奴だ。けれど土地測量局の役所がよくない。予約したときはテント・サイトが一人1ドルだったんだけど、今日になって3ドルに値上がりしてたんだって」
「それは凄い。一挙に3倍の値上げか? もう2ドル払わなきやいけないのか」
「その必要はないだろう。ブロンズの稼ぎがなくなるだけさ」
ベンチに腰かけてぬるいドミニオンの缶をほしていた。考えてみればこの国でよく冷えたビールに出会ったことがない。パブのタップ(蛇口)からのビールでさえほどよく温まっていた。
カーキ色の米軍払い下げのコートを着た、背の高い、ダスティン・ホフマンに似た男が隣に座った。酔っぱらっていた。
「俺はマーティン。よろしく」
「ぼくはケンジ。よろしく」
手に持った缶もすでに何本目かに違いなかった。
「これはスタインラガー。キウィのビールだぜ」
「ドイツのビールだと思っていた」
「ああ、ドイツ語の話じゃないんだ。このビールの缶は鉄なんだぜ」
彼は缶を「ティン(ブリキ)」と言った。ブリキ缶のビールであることは、昼にDB(ドミニオン・ビール)を買ったときに気がついていた。
「俺達の国にはな、ティワイ・ポイントにアルミニュームの精錬所があるんだ……」
「ティワイ・ポイントのアルミニュームの精錬所は知ってるだろう。オーストラリアと日本の資本とキウィの電気とキウィの労働力で造ったアルミニュームの80パーセントは外国に出てしまうんだぜ。安い電気と安い給料で造ったアルミニュームを日本に持って帰ってバイクのエンジンを造って、ニュージーランドへ運んで高く売るんだぜ」
マーティンは同じ話を何度も繰り返した。
「この国じゃ缶はみんな鉄さ。あれだけアルミニュームを造っているのによ」
ぼくにできることは多くない。
ぼくはここに国を背負ってきたのではないし、自分で嫌っているものの弁護はできない。
彼らが外国でやっていることは必ず日本国内でやっている。国内でやっていることは必ず都会や町や村でやっている。世界は入れ子細工のように幾重にも重なっている。
マーティンがぼくと日本を束ねて話したところでぼくには彼の話を聞くことの他にはなにもできない。
気が重かった。マークにからまれたからではない。彼の言う通りだからである。それにもっと気が重いのは、それがニュージーランド政府の望んだことだからである。

  「燃えるバイオリンに合わせて、あなたの美しさを踊らせてください
  パニックにも私が安全に匿われるまで踊らせてください
  オリーヴの枝のように私を拾い上げ、巣を目指す鳩となってください
  愛の終わりまで踊らせてください」
レナード・コウエンが祈るように歌っていた。

「おい、踊ろうぜ」マーティンは、広場でテンポの遅い曲に合わせて踊る皮ジャンパーの若者達の間に入っていった。若者達は一人ずつ離れて身体を揺すっていた。樹上に吊った裸電球の下で彼らの姿は「カレーの市民」の塑像を思い出させた。
いつ頃からかぼくはひどくこだわりはじめていた。この若者達はなぜこんなにおとなしいんだろう。ひとを誉めたことのないバーナード・ショウが1934年に訪れて「民主主義の理想郷」と誉めたニュージーランド、ヨーロッパ人が150年間、この国で目指したものの結果がこれなのだろうか?
  「最後の波のそばで、自分達のかよわい所業もどんなにか明るく
  緑の入り江で踊ることもあったのに、と溜め息をつく善人達よ
  光の消え去るときに向かって荒れ狂え、荒れ狂え」
ぼくはアル中で死んだウェールズの「ミルク・ウッズ」の詩人がうたった詩を思い出した。

ポッンと頬に冷たい滴が落ちた。山が薄暗い雲の中に溶けていた。雨粒が数を増しても彼らは踊りやめなかった。
社交室に雨を避けた。壁の暖炉には薪が暖かい火を点していた。風が煙突を逆流して部屋にいた人たちをいぶした。そのたびに人々はむせながら笑い声を上げた。4リットル箱のモンタナ・ワインが注がれ、ラムやウィスキーがテーブルをまわった。
クリスと、クライストチャーチの交通局(CTB)でバスの運転手をしているアイリッシュの女が歌いはじめた。

  「遙かな美しい岸辺、遙かな美しい丘
  ローモンドの山に太陽の輝くところ
  私と恋人が何度も逢引したところ
  ローモンド湖の岸辺で」

ぼくもクリスのうしろで歌った。隣の若くもない男が、どうしてぼくがこの歌を知っているのか尋ねた。イングランドに敗れ、落ちのびてスコットランドに帰るジャコバイト達の姿を歌った17世紀末のこの歌をぼくは好きだった。

  「汝は街道を行く、私は間道を、
  スコットランドには私が先に着くだろう
  けれど、私と恋人が共に歩くことはあるまい
  ロッホローモンドの美しい岸辺を」

クリスの豊かなバリトンはしかし、ひどいスコティッシュ訛りであった。
アイルランドの魚売りの歌、「モリー・マローン」に変わった。

  「彼女は熱病で死んだ、誰も彼女を助けられなかった
  それが優しいモリー・マローンの最期だった
  でも、今でも彼女の亡霊が手押し車を押し歩く
  歌うのは、いきがいいよ、いきがいいよ……」

クリスはリフレインを何度も何度も歌った。
再び、ワインがまわってきた。

ぼくは隅のジップの湯沸かしから熱湯のほとばしりを紙コップに受けて紅茶を淹れた。
いつのまにか雨は熄んでいた。人々に混じって表に出ると、マーティンのコートは重く滴を垂らしていた。ずっと踊っていたのだ。クレイグが彼に新しいスタインラガーを手渡した。乱暴に扱われた生ぬるいビールは、不思議にも泡を吹かなかった。
テントに下げた電球が濡れた広場を照らし、長く伸びた影が相変わらずゆっくりと踊っていた。社交室では1年ぶりの再会で話は尽きないようだった。モンタナ・ワインの飲み過ぎからひどく頭が痛むのでテントに戻ったが、寝袋に入ってもなかなか寝つけない。
広場から流れてくる曲と、夜半になって再び降り出した雨のフライ・シートにあたる音と、隣のテントから聞こえてくる若い連中の騒ぎを耳にしながら、彼らの狂暴性の欠如とでもいったものを考えた。考えながらいつか眠りに落ちていった。

目を覚ましたときには表はすっかり明けていた。雨は熄む気配もなく降り続いていたし、社交室には、23人がいるだけだった。昨夜の頭痛は偏頭痛に変わっていた。暖炉の熾に薪を重ねたが湿った木切れはなかなか燃え上がらない。煙に巻かれて苦労していると、テーブルに寝ていた男が起き上がり、暖炉の煉瓦枠を、下を少しだけ残して新聞紙で覆ってしまった。その下の隙間から激しく空気が吸い込まれ、皮をつけたままの松の枝に火が点いた。新聞紙が赤く染まり、それから勢いよく燃え上がった。男は慌てて紙を暖炉に投げ込んだ。
「そんなやり方は知らなかった。ボーイスカウトみたいだ」
「俺達はまだまだ都会化されてないからな、こんなことだけはよく知っているんだ」彼は自嘲でもなくそう言った。

頭痛を抱えて何杯もの紅茶を飲んだ。ジップからこぼれた湯で砂糖もティーバッグもインスタントコーヒーも濡れ、溶けてねばっこい水溜りをつくっていた。
缶詰の、鰯と豆のトマトソース煮をフライパンにあけた。ひどい味がした。生臭ささをトマトソースが強調していた。ニュージーランド人の味覚を呪った。キッチンのカウンター越しにこちらを見ていた男が臭いに顔をしかめる。彼は缶を手に取り、信じられないものを見るようにラベルを読んでいた。
「ひどい味だ」彼に言った。
「どうしてニュージーランド人はこんなものを我慢できるんだ?」
彼が突然大笑いした。彼はラベルの一番下を指さした。
小さな字で、「日本製」と書かれていた。背中から突き飛ばされたような気分だ。
「うまいか?」と、男が言った。
「今まで食った中でいちばんひどい味だ」と答えた。
「日本はニュージーランドから大量に魚を買ってゆく、そのお返しにいちばんまずい魚の缶詰を送り返してくるんだぜ」
「その缶詰を海に流して、綱で掬って日本の水産会社に売ればいいじゃないか。獲り立ての新鮮な缶詰だといって」精いっぱいのぼくの意見だった。

ホワイト・アウト

次第に社交室がざわつきだした。あきれたことにもうビールの缶を開けている。社交室の軒下のベンチに座って、降る雨と濡れながら立つライダー達を見ていた。木の葉の先から滴が落ちていた。
昨日のアレグザンドラからの二人がいた。
「友達には会えたかい?」野良犬のように濡れた髪をはりつかせている男に聞いた。
「ああ、1年ぶりで、朝の4時まで話していたよ。フラゴン3本空けてしまった」フラゴンはパブかリカー・ストアでタップから買える2リットル入りの瓶で、ビールの買い方としてはいちばん安い。若い金のない連中はフラゴンを買って家で飲む。

ベンチにも人が群がりはじめた。隣に長身の青年が座り、膝に彼のガールフレンドが座った。
「ね、え、日本のどこに住んでいるの?」黒縁の眼鏡をかけた彼女が言った。
「大阪だよ」と、ぼく。
「日本てどんなところ?」彼女は半分ほどになった煙草を投げ捨てた。
「人々が互いのポケットに手を突っ込んで、なんとか金をふんだくろうと考えているところ」
「人が多いんでしょう? 国中が町だって聞いたけど」ぼくの返事に戸惑ったようだ。
「そんなことはないよ。7080パーセントは山だ。山以外はほとんど人が住んでるけどね」彼女はフーンと鼻を鳴らした。
軍隊放出品のカーキ・コートをじっとり湿らせたマーチンが近づいてきた。隣の青年をマークと紹介した。マーチンの兄だった。ガールフレンドはジルといった。マーチンはスタインラガーを寄越した。みんな、何かを待っていた。何か身を灼くような昂揚か、大笑いするような出来事か。

煙草が回されていた。煙草とは違う臭いが流れる。マオリの少年がぼくにまわした。
「なにか知ってるか?」
「もちろん。日本じゃ禁じられてる」と、ぼく。
「ここだってそうさ」彼は大笑いした。
彼はマリファナ煙草を逆さまに、火のついた方を口の中にしてくわえる。マークがそれを吸うように言う。男同士でキスしている気分だ。
東欧系のきれいな顔つきをした女の子がボーイフレンドに凭れている。どうもだだをこねているようだった。彼女は涙をこぼした。ボーイフレンドが彼女に何か囁く。二人はキスした。
ばかばかしい。

クリスがBMWで水溜りを渡る。ヘルメットの代わりにガレージ屋の帽子を被っている。深みでバイクを降りると、皮の黒いパンツのまま水溜りに腰を落とす。遠巻きにした連中が喝采を投げる。クリスは水筒のラムを呷った。
「ドイッチェラント、ドイッチェラント・イーバ・アーレス(世界に冠たるドイツ)」クリスが右手を高く伸ばして叫んだ。昨日の黄色いセーターの娘が水溜りを渡ってバイクに跨った。
「脱げよ!」誰かが叫んだ。
彼女はバイクの上でポーズを取り、ついでにセーターから何から……取らなかった。
小雨の中で綱引きが始まった。一人ずつの勝ち抜きで、選手は濡れた草に滑って尻餅をつき、勢い余って水溜りに飛び込んだ。そのたびにはやしたてる人垣。またもやマリファナ煙草が回されてきた。甘ったるい香りが喉のどこかにいつまでも残った。それはこの雨の中でカビのようになにもかもべっとりと覆いつくすんじゃないかと思われた。

クリスと数人がオウエン川まで走りに行った。
オウエン川はカワティリ・ジャンクションの少し先。バイクのガソリンは乏しかったし、今日は土曜日、週末にガス欠は避けたかった。残りの金も少ない。貯金を引き出しとけばよかった、と後悔したが遅い。
その日の午後はほとんどキャンプ場で過ごした。
湖岸に立っても、ナンキョクブナの森は雨の中に隠れ、人を呑み込みかねないほど昏い水面は遠くで靄に溶けていた。テントに引き返した。水滴が玉になり、時折、紺色のフライ・シートを伝ってツーと流れていた。
黒いコートのジェレミーと話した。
「ブロンズはどういう団体なんだ?」ぼくが尋ねた。
「バイカーの権利を守るためにつくった組織だ」と言う。この国でもモーターサイクルは決して快く思われていなくて、ともすると締め出そうとする圧力が存在するのだという。それでも日本に比べると規制はゆるやかである。50ccのモベッド(ミニ・バイク)の制限速度が時速30キロだと話すと、
「何のためにエンジンがついているんだ? 自転車だってそれより速いぜ」と言う。至極ごもっともである。自転車には法定速度がないと聞いている。

社交室では何人かがどんよりとした表情で会話を続け、軒下ではジルがぼんやりと煙草の煙を吐いていた。マークは一人でオウエン川に行ったそうだ。紅茶を2杯作って隣に座った。
「あたしの両親はつい最近離婚したの。26年も一緒に生活した後でよ」
煙草の煙が彼女の顔に流れ、彼女は顔をすがめた。その拍子に、彼女の指に挟んだ煙草の灰があやうく紙コップに落ちるところだった。
「どちらもあたしと住みたがっているんだけど、あたしはいやだからひとりで住むことにしたわ。ふたりとも好きなんだけど。でもね、え、どうして離婚するの? って聞いても、分からないって言うばかりよ。あたしは26歳だわ。どんな理由があったって受けとめられる年齢よ。本当に理由もなしで離婚すると思う?」文法的には疑問形でも、彼女の表情はぼくに対する質問になっていなかった。彼女の求めているのは彼女の疑問に対する同意だった。
「ぼくには分からない。結婚したこともないから。でも君ももう26歳だ。彼らには彼らの人生があるし、君は自分の人生を生きるしかない。彼らが別々に生活したとしても君がふたりを嫌う理由にはならないんじゃないか。彼らは相変わらず君の母親と父親だ。そうじゃないか?
「多分、そうなのよね。頭では分かってるつもりよ。でも気持ちが納得しないの」
ぼくには、なぜいきなり彼女が、知り合ったばかりの人間にこんな相談をするのかが、なんとなく分かった。
もう、ぼくも簡単にうぬぼれるほどの年齢ではない。ぼくは彼女にとって、遠い国から来て、すぐに去ってゆく人間だ。彼女の生活に入っていくことはない。だからこそ彼女は話せたのだ。

偏頭痛がおさまらないのでシャワーを浴びにトイレに向かった。そこでは社交室から溢れたグループが缶ビールを開けていた。冷たい空気は湿けていたし、雨は何年も降り続いてきてそのまま何年も降り続くように降っていた。トイレはもっと湿けていた。ニュージーランドのたいていの公衆便所がそうだが、この便所も臭いがしなかった。シャワー室は間接照明の中で薄暗く、コンクリートの床は冬のように冷たく、湯は熱かった。表のバイク乗り達に似ていた。清潔で、秩序正しく、それでいて堅苦しさはなく、少しばかり湿ていて、そして、多分、大地を削るように剥いでゆけば、熱いものにぶつかるに違いないのだ。問題はその方法であった。
トイレのライダー達と冗談を交わした。
「どうしてトイレで飲むんだ?」
「入れたものを出すのに手間がない」
「じゃ、便器にビールを流せばいい」
「ごみを流すのは法律違反だ。だから、胃袋で濾している。便所に捨てるのは税金分さ」

雨の中を社交室に戻るとき、オウエン川に向かった一行が帰ってきた。皮ジャンパーと皮のパンツで、雨具を着けている者はいなかった。エンジンだけが乾いてうっすらと埃を載せているBMWからクリスが降りてきた。クリスの皮の上下は昨日よりも臭い。顔は出かけるときよりも赤味を増していた。

「ディンプを持っていないか?」クリスに聞いた。
「なにするんだ?」と、彼。
「サンドフライ」
「あんなの気休めだ。いいのを教えてやろう。ディットルとアラヴァイルを混ぜる」ディットルは便所に使う刺激臭の消毒剤だった。
「アラヴァイル?」と、ぼく。
「そう、料理で使うアラヴァイル」
「オリーヴ・オイル? ポパイのガールフレンドの?」と、ぼく。
「そう、訛りがひどくて済まない」
「それでどうなる?」
「サンドフライが寄ってこない。ただひとつ欠点があってな」
「どんな」と、ぼく。
「すげえ臭くて、友達も寄ってこなくなる」

  「ヘイ、タンバリンマンよ、一曲歌ってくれないか
  俺は眠くないし、行き場もないんだ」

「懐かしい歌だ」
「懐かしい? いくつだ」クリスが驚いたように言った。
「ミスター・タンバリンマンが懐かしいような年さ」曖昧に答えた。
「とてもそうは見えないぜ。俺はイギリスにいるときに聞いたがね」彼が言った。
69年に?」
「イェプ。留学中だった。忙しい時代だった。ビートルズ、ローリング・ストーンズ、クリーム、ドアーズ」
「ベルベット・アンダーグラウンド、ジャニス・ジョプリン」ぼくが継いだ。
「ジミ・ヘンドリクス、ポール・バターフィールド・バンド」ずっと合わなかった友達に遠い町で行き合ったような表情を見せた。それは一つの時代を共有した人間への共感か、それらの演奏者を知っている東洋人への意外感か、恐らくは両方なのだろう。
「他のこともあった」
「そう、いろんなことがあった」
そう、いろんなことがあった。しかし、過去が思い出すためにだけあるのなら、そんなものは犬に食われてもよい。

夕方になり、雨空も暗くなる頃、社交室では再び酒盛りが始まった。誰もが昨日から酔っ払ったきりのように思える。社交室のテーブルもベンチも、コンクリートの床でさえもたっぶりアルコールを吸っていた。空気にはビールとワインの匂いが満ちていた。酒に弱い者なら、その臭いだけで酔えそうだった。
クリスとアイリッシュのCTBのバス運転手の女が昨晩と同じように歌い出した。
60年代に流行ったフォークソングをかたっぼしから歌い、歌う曲がなくなると繰り返して歌った。大部分はぼくには恥ずかしくて歌う気になれなかった。「アイ・シャル・ビ・リリースト」なら歌えた。「モリー・マローン」に戻ってきた。

  「美しいダブリンの町、娘達は可愛い
  俺は初めて優しいモリー・マローンを見た
  彼女は手押し車を押し歩いた、広い通り、狭い路地
  よばわった、コックルもマッスルもいきがいいよ……」

クリスはスコティッシュ訛りのバリトンで繰り返した。
「ドイッチェラント、ドイッチェラント・イーバ・アーレス!」
彼がいきなり、右手を高く掲げて叫んだ。
「クリスはナチスびいきかい?」隣にいたクレイグに囁いた。
「何?」ざわめきの中では聞き取れなかった。ぼくは同じ質問を叫んだ。
「酔うとあれをやるのさ」クレイグが叫び返した。
「そう、分かった」ぼくは叫んだ。クリスが振り返った。
昨晩と同じように偏頭痛が始まった。四リッターで一二ドルの安物の箱入りワインはテレピン油の味がした。あるいはそれは気のせいかも知れない。ぼくはテレピン油がどんな味なのか知らないからだ。
ジップの下からなるべく乾いたティーバッグを取り、なるべく乾いた砂糖をスプーンで放りこんだ。ジップは栓を締めても湯を滴らせ、腕に熱く飛び跳ねた。その熱さが心地よかった。
人ごみを縫って、表のざわめきの聞こえるベンチに腰を下ろした。広場の吊り電球の下で、濡れながら何人かの男達が踊っていた。あるいは揺れていた。と言った方がいいのかもしれない。
レナード・コーエンの声が女性ボーカルに支えられるようにして流れていた。

翌朝、雨の中でテントを畳まなければならなかった。知り合ったライダー達に別れの挨拶をし、クライストチャーチの者達には再会を約束した。ジェレミーはクリスマスのトイ・ランに誘った。ハグリー・パークまで、モーターサイクルのフェンダーに縫いぐるみを載せて走り、子供達に縫いぐるみを配る。ブロンズは救世軍と筋ジストロフィー患者の会の支援団体だった。
ブロンズの一見したところ一癖も二癖も余分にありそうなライダー達がビニール袋を持って雨の中、キャンプ場に捨てられた空き缶とゴミを拾い集めていた。

サント・アーノードの給油所は日曜日で閉まっていた。マーチスンまではなんとか持つだろう。降りしきる雨の国道63号線には行き交う車がない。ロトイチのラリーに参加したらしいモーターサイクルが何台も凄まじい勢いで追い越して行く。ある者は追い越しざまにホーンを鳴らし、ある者は手を振っていった。台地の牧場にはヘレフォード牛が雨に打たれて群れ、吹き流しは重く水を吸って垂れていた。
雨はカワティリ・ジャンクションでは熄み、マーチスンで給油する頃には日差しが森の影を粗いアスファルトに落としていた。

シェナンドーの原始林の昏い道で再び雨がやってきた。スプリングズ・ジャンクションの町では大粒の雨が弾け、流れが国道を横切っていた。コーヒーハウスの張り出し屋根の下にバイクを停め、丸テーブルに腰を下ろした。
下着にまで水がしみ通っていた。黒パンに挟んだアスパラガスの甘みが心地よかった。紅茶には熱湯のポットが付いてきた。普段なら飲み切れない量であるが、雨に打たれた身体には有難かった。

窓の木桟越しに音をあげて降る雨を眺める。張り出し屋根に続いた藤棚から鎖を垂らしたように雨が落ちる。向かいの共有地の建物も、先日砂埃に包まれていた給油所も雨に煙っていた。屋根の下にもう二台のバイクが二人を載せて入ってきて、ぼくのバイクの隣に止まった。表で雨具を脱いで入ってきたのはクリスマス・ラリーに参加していた年配の夫婦だった。
「楽しんだかい?」男が同じテーブルに座って言った。
「もちろん。どこから?」ぼくが聞いた。
「クライストチャーチから」
「そりや雨が大変だ」
「そうとも、いい雨だ」彼はフェアリー・グッド・ラインと言った。
そうとも、いい雨だ。

再び土砂降りの中に走り出た。
マルイア温泉ホテルを過ぎたナンキョクブナの林で土砂降りは霧に変わり、ルイス峠はホワイト・アウトの中にあった。
空気自体が光を放つような奇妙な明るさの中で10メートル先も見えない。霧の中からぼうと対向車のヘッドライトが浮かび出してきて、ぼくと同じようにのろのろと這うように通り過ぎていく。ミラーの中でテールライトがすうっと消える。舞台の袖から出てきて何の演技もせずに袖に去っていく奇妙な役者のようだった。
路面も砂利もじっとり湿っている。ぼくもバイクも先ほどの雨ですでに濡れている。急に全てが不確かなものに変わった。地面でさえも。
もし暗闇を泣きたいような怖さとすれば、これは笑い出したいような怖さであった。
怖さは時速10キロで体にまとわりついていた。
陽光の下に確実な世界を感じたとき、ぼくはバイクを道端に停めて震える指で煙草に火をつけた。

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最終更新: 27-09-2005

 

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