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ミルフォード・トラック
Milford Track

一本足の山賊

テ・アナウのフィヨルドランド国立公園管理事務所に着いたのは昼前だった。
ロッドと、ロッドの研究者仲間で、ケンブリッジ大学で応用生物学を教えているサリー・コーベットとぼくの3人は朝早くにクィーンズタウンを発ってやってきた。
サリーが休暇でこの国へ来るのとぼくの旅行とが重なったのでロッドが二人にニュージーランドでいちばん有名な山歩きの道ミルフォード・トラックの案内を買って出たのである。
ニュージーランド人にとってのミルフォード・トラックは、日本人にとっての富士山に似ている。
ミルフォード・トラックを歩いたと言うと、「それは素晴らしい」
よかったと言うと、「もちろんだとも。あれこそニュージーランドの自然だ」
行ったことがあるかと尋ねれば、「いや、あいにくチャンスがなくて」
10人中9人が同じ答えである。残る一人は行ったことがあるか、決して行きたくないかのどちらかである。
ロッドも他のトラックを歩きたかったのだが、サリーのたっての願いでミルフォード・トラックに決めた。入域制限をしているので2か月前に予約した時にはすでに満員に近かった。テ・アナウ湖西岸は珍しい鳥タカヘの唯一の生息地である。クイナの亜科で大型の飛べない鳥タカヘは1898年以来絶滅したとばかり思われていたのが、1948年にテ・アナウ湖の西岸でジェフリー・B・オーベルによって再発見された。オーベルは首都ウェリントンに出かけ、この地域をウィルダネス・エリアにするという政府の約束をとりつけていた。
約束通りニュージーランド政府は、テ・アナウ湖西岸のマーチスン、ケプラー両山地一帯をエリアに指定した。そのやり方は徹底している。移入種の動物はすべて捕獲、殺すか、他の土地に移し、以後研究目的以外の立ち入り許可は出なくなった。
管理事務所でチェックインのあと、町に入って、駐車場に車を停めた。

バスが30人ばかりのトランパー(ハイカー)を載せてテアナウダウンの波止場に向かった。一行の中に開高健みたいに太ったアメリカ人がいた。ジャケットもバッグも世界中のバッジで埋まっていた。これから53.5キロ歩こうというときに彼は借りた靴が合わないとぼやいている。ハーハーと肩で息をしていて、みんなの心配の種となりそうだった。
船が進むにしたがって迫ってくる両側の山。西の湖岸は急斜面の下の方までナンキョクブナと槇の類でおおわれ、水面近くではやたらと大きな羊歯の木が茂っている。ところどころに崩落や涸滝が立木をなぎ倒していたり、岩盤をむきだしにしたりしている。1000メートル近い山稜付近はすでに森林限界であった。熱帯と亜寒帯が混在しているような奇妙な風景である。
原始林の水を呑んで、湖は紺青深い。

グレード・ハウス波止場がトラックの入り口である。そこからの軟らかい土の木陰道にトランパーの足どりは軽い。このまま一気に53.5キロを歩き通せる勢いである。
突然開けた小さな草原に大きな小屋が建っていた。いかにもという風情のグレード・ハウスだった。
このグレード・ハウスでは550ドルを払って予約するなら誰でも歓迎される。
ミルフォード・トラックには二つのツアーがある。ひとつは観光ホテル公社(THC)のガイド付きツアーで、豪華な食事、リネン付きベッド、荷物輸送、水洗便所がついている。グレード・ハウスはこのツアーの施設である。
もうひとつはフィヨルドランド国立公園事務所(FNP)の運営する小屋に泊まり、食事、寝袋すべて自分でまかなうインディペンデント・ツアーである。こちらは3泊で12ドルと安い。行き帰りの船賃、バス代ともで50ドルばかりである。
グレード・ハウスを過ぎると、クリントン川の最初の吊り橋を渡る頃には鬱蒼とした森の中に駒鳥やベルバードの声が聞こえるばかりである。
最初のクリントン・フォークの小屋はトラックから外れた森の中にあった。国立公園や林野庁の指定色になっているオリーブ色の小屋の階段を上ったポーチのドアの傍らに、
「ブーツを表に置いておかないこと」と、書かれてあった。
ポーチに腰を下ろして休んでいると、顔の回りに細かなブヨがまとわりついてくる。払っても払っても怯む様子がない。部屋に逃げ戻ってロッドに話すと、
「サンドフライの温かい歓迎だ」と言う。
噂のサンドフライにおめもじかなったのである。これがまたやたらと痒い。
「サンドフライに刺されるまではニュージーランドを見たというな」と諺にもなっている。嘘である。
ロッドはバックパックから軟膏を取り出して寄越した。これも噂の虫よけディンプとの初対面であった。

ロッドとサリーがテーブルで腹をすかせている。ぼくは備え付けのガス・リング(ガスこんろ)に向かって夕食の支度に忙しかった。ビリーと呼ばれる小さなバケツ状のキャンプ用鍋のひとつに乾燥豆、もうひとつにオーストラリア産の1キロ150円というばか安い米を用意したところである。
突然の騒ぎで振り返ると、同行者で新婚旅行の日系ハワイ人が手に60センチばかりの鱒を2尾ぶらさげて人に囲まれている。クリントン川で釣ってきた、と誇らしげだった。
こういう場面になるとしゃしゃり出てくるのが義兄の性格で、いまだ誇らしげなその手から獲物を奪い取るとナイフでばっさばっさとさばきはじめた。これも誰かの手から奪い取った、金塊にも似た貴重なバターをズンと投げ込むとやたらにかきまわす。ズンズンかきまわす。鱒に恨みがあるんじゃないかと思える勢いでかきまわす。
でき上がったのは見るものの涙を誘わずにおかない身も心もボロボロの鱒であった。よろしい、大勢で食べるのにはちょうどいい。オーストラリア米が阿呆のように吹きこぼれていた。

レインジャーが部屋にトランパーを集めて天候とトラックの説明をした。道から外れてヒドゥン・レイクがあるから休憩するのによかろう。明日も晴れ、ミンタロ小屋に早く着くようだったらマッキノン峠にも登っておいた方がいい。
レインジャーに、歩けなくなった人の場合はどうするんだ、と聞いた。なにしろ53.5キロの長丁場である。
「君が?」レインジャーが呆れたように言う。
「そうじやなくて、参考のために」
「どうしても駄目ならヘリコプターで運ぶ。実際に年に数人はそういう人もいるよ。事情によるがヘリコプターの費用は本人持ちだ」
ダニーデンから来たという中年3人組は山歩きによくいる気難し屋で、ぼくの敬遠するタイプだった。「俺達は何度かここを歩いているが、いつも雨、雨、雨だった」
夜、表の焚火を囲んで話していた。酒のないのがさびしかった。赤い炎の影に蠢くものがある。
「キーア」と誰かが叫んだ。
呼ばれて、思わずとびすさったのは大型のオウムほどの鳥であった。
キーアは好奇心といたずら者で知られている。とくにひかりものが好きで、ブーツのはとめ、ファスナー、バイクのシート、なんでもついばんで壊してしまう。
牧場ではキーアが子羊を嘴で突き殺すと信じられていて、かなりのキーアが撃ち落とされている。ほんとは死んだ羊の肉を食べるだけなのだが、「死体の側にいるものをまず疑え」とばかりに牧場のへボ探偵達から濡れ衣を着せられているのが実情である。
キーアは焚火のまわりをちょんちょんと跳ね回っていた。
「コンニチハ」紛れもない外国訛りの日本語が聞こえた。キーアの声ではない。
驚いて顔を上げると、向かいの眼鏡をかけた男がこちらを見ている。
「こんにちは。どこでおぼえたの?」ぼくは聞いた。
「旅行中に日本人に習った」ドイツ訛りの英語であった。
「どこから来たの?」念のために尋ねた。
「アイ・コム・フロム・ジャルマニ」
少年っぽさの残る彼はドイツ人の医者でゲルノト・アイゼレと名乗った。その仕事を捨ててもう13か月、ガールフレンドと世界中を旅している、と言った。国に帰っても医者は余ってるから仕事にありつけるかどうか分からない。ニュージーランドで仕事を見つけたい、と言う。
「ニュージーランドは医者が外国へ逃げ出しているから喜んで仕事をくれるだろう」と、ぼく。後に彼はその通りにした。

翌朝、夜明け前に目覚めた。夜明け前だと思い込んだのは小屋が深い谷間にあるからで、谷間の霧が青く輝き、合間から見え隠れする山頂の雪は陽を受けて白く輝いている。恐ろしいほどバランスを欠いたところのない眺めであった。
そのまま森の小径を行くと大便所がある。便所では穴のあいた板に腰かける。小便も同じところでするから汚いこと夥しい。えい、ままよ、死ぬわけじゃないし、と腰を落としたが、つくづく思うにその朝ぼくは大自然の中で至上の美から至下の汚れまで体験したのだ。
道は相変わらずなだらかながら、時に急峻な涸川を橋で渡り、あるいは河床を横切っていた。クリントン谷のU字カールのはるか上方から傷跡を残す崩落がトラックを削って反対側の斜面にまで及び、西支流に浅い湖沼をつくっていた。白灰色の岩が転がり、なぎ倒された大木が当時のままに枯れている。ロッドはそのたびにサリーに説明している。
サリーは年は50代半ばだろうか、銀髪の小雀のように可愛らしい人だ。よだれくりのようなキウィ訛りの中ではイングランドの大学人らしい、衣を擦るようなS音の発音が際立つ。
彼女は、生化学とも少し違った位置で研究を続けている、と言う。大学から40キロばかり北の森にコテージを持っていて、週末にはそこで過ごす。大学内の宿舎では友人、学生が押し寄せるので自分の時間が持てないのだと苦笑した。

次第に土道から石を踏んで歩くことが多くなってきた。
一足ごとに風景は変わる。バイクで走っていても風景はこんなに速く変わらない。多分、動物が環境を受感できる速度は自分の足や翼や鰭で走れる速さなんじゃないか。それ以上に速くなるともうこれはのっべらぼうの世界なんだ、と考えた。自然は人を哲学者にする。たまにだけど。
間近な枝に鳥がおびえた様子もない。ムックリした小鳥は駒鳥。白と黒の、尾を扇のように開いた鳥は、その姿通りファン・テイルと呼ばれている。
昼前に岩の割れ目から清水を受けてビリーに満たした。
ヒドゥン・レイクはその名の通り、草原を登った場所にひっそりとかくれていた。湖とは真っ赤な嘘。小さな池である。バック・パックに凭れ、ロッドの取り出したミューズリー・バーのやたらな甘さに悪態をついた。自然は人をして腹をすかせる。腹がすくと怒りっぽくなる。次にレイクに文句をつけた。
「所変われば品変わる」動じる気配もなくロッドがスコットランド高地人の風格で言った。

ヒドゥン・レイクにもいやというほどサンドフライはいた。ぼく達は彼らの昼ご飯になった。
キャンピング・ストーブで紅茶を掩れる。
「まあ、用意のいいこと」オーストラリアから来たという四人組の男女が追いついてきた。
「どう、一杯?
「ありがとう、休ませて貰うわ」
紅茶のカップにサンドフライが何匹も飛び込んできて、浮いた。
「ロッド?
「ハハン?
「サンドフライが紅茶で溺れて死ぬ」
「厭世的なサンドフライが自殺したんだな」
「そう、それで何が悲しくて自殺するのか聞いたんだ」
「なぜだって?
「ニュージーランドの経済状態を悲観しているんだとさ」
「サンドフライがニュージーランド経済に貢献できる道を考えてやらないと絶滅してしまうな、このままじゃ」
お前なんか絶滅してしまえ! 日本語でわめいた。ロッドもサリーも理解しなかった。理解しなかったのはサンドフライもそうだった。
時折、そのオーストラリアの四人組と前後した。男達は速く歩き、ときどき休んでは女達を待つのであった。Tシャツにショーツの女のバックパックには寝袋、マット、食器、ジャージー(セーター)といろんなものがぶらさがり、女の子のおしりで食器がガラガラと音をたてていた。自分でうるさくないんだろうか。
ミンタロ小屋に早くに着くと近くのミンタロ湖に下りた。
この湖も詐欺である。それは、川が浅く広く湿原になっているだけのことで、それもほとんど砂泥で埋まり、高山植物や地衣類で覆われはじめていた。乾いた石に腰を下ろした。
静かな「湖畔」から見上げると、残雪の岩壁に雪煙が舞いあがり、それが下の岩棚へと順繰りにおりてくる。遅れて遠雷のように低いどよめきが伝わってきた。

ンタロ小屋のレインジャーは昨日と同じくらいの年の青年で、同じ色の制服に国立公園の肩章をつけていた。
「表にブーツを置きっぱなしにしたのは誰だ?」彼が怒鳴った。
「キーアが誰かのブーツを盗んでいるわ」女の子が叫んだ。ドッと笑い声がわいた。
「昔からね、トランパーがブーツを乾かそうと表に出して置くとその片方だけが盗まれる。なぜか片方だけなんだ。左だったり右だけだったりする。盗人の姿を見たものは誰もいない。足音も立てないでそっと盗んでいく。トランパーはそれを『一本足の山賊』と呼ぶようになった」とロッドが言った。「トランパーに伝わるジョークだ」
レインジャーの説明が始まった。
「このトラックのレインジャーの英語はわかりにくいや」
ふたりに囁いた。
「別の種のキウィでしょ」サリーが言った。ニュージーランド人のことをこの国の鳥にちなんでキウィと呼ぶ。この国の亭主達が家事をよくするのでキウィ・ハズバンドと呼ぶこともある。それは、キウィの雄が雌に代わって卵を温める習性があるからで、その間、雌は長い嘴で地中のみみずをほじくっている。
ウゲッ。

ドアがギイッと開いてアメリカの開高健が入ってきた。みんなの拍手と歓声を受けたが、いかにも苦しそうだった。
レインジャーの説明と野次が交わされる。明日も晴れるそうだ。ホッと安堵の声が流れた。ミルフォード・サウンドでは年間6000ミリ、190日くらい雨が降る。
「あなた達は実に運がいい」レインジャーが言った。統計的にトラックの4日間のうち、2日以上晴れれば運がいいのである。

 緑の小馬と44ガロンのドラム缶

朝、ロッドは床に寝ていた。木枠にマットを載せた棚ベッドが狭くてよく眠れなかったらしい。
誰の朝食も昨日より簡単になっている。新鮮な食料が尽きたというより面倒になった、というのが本当のところである。
マッキノン峠への長い道のり。登りの初めは羊歯の木と広葉樹のブッシュ(森林)が視界を遮っていた。長いジグザグの末、ついに森林限界を抜けたとき、萱草の斜面は光が溢れ、涼しかった。
クリントン渓谷が眼下に眺められた。狭いU字谷の底の緑はここからでは空の高みに伸びようとする苔くらいにしか見えない。その大部分はまだフィッシャー山の陰にあった。
マウンテン・バターカップが芥子のような真っ白く大きな花びらに日の光を受けていた。マウンテン・デイジーが別の群落をつくっていた。ロッドとサリーはときどき立ち止まって草花を相手に話するので、はるか後方になってしまった。ところが道は切り立った崖をジグザグに刻んでいるから、見下ろせばすぐそこにいる。彼らの話し声さえ風に乗って流れてきた。岩に腰を下ろす。空は怖いほどに青が深い。遮るもののない陽光が鋭いコントラストを刻んでいる。額の汗が冷え、いつか消えてしまった。快い疲れが体を包んでいる。ゆっくりと腰を上げた。
登り道の最後は思いがけないほどゆるやかな草原であった。向こう側、アーサー渓谷を包む峰々は紺色に沈んでいた。峨々とした山塊はどこまでもフィヨルド・サウンドへの高い壁を連ねていた。その谷底にクィンティン小屋と滑走路が見下ろせる。草地の峠はかなり広く、高みにマッキノンの記念碑を戴いていた。
枯れたような萱草のあちこちに水溜りが泥炭に染まっていた。水生植物がなお黒く密かに生きている。透かせば、空の青と残雪の白を鮮やかに映していた。

そこからは垂直に近い崖をたどる心細い下り路である。数百メートル下のローリング・バーンの涸川を渡る人影は蟻の動きよりものろくしかし着実に進んでいた。
ひとは何故無償の行為をするのか? 何度もこの疑問を繰り返してきた。
ぼくの国の人達はもともと無償行為を尊重しなかった。だから無償の行為には常に功利的な装いを与えてきた。ゲームひとつするのにも精神や健康を口実にしなければならなかった。
花や茶や詩を楽しむためにも『道』を考え出さなければならなかった。
最近になってぼくの国の人々は無償行為を認める代償にそれを商品化しはじめた。今の日本のスポーツには必ずコマーシャリズムの匂いがする。
日本人の一貫した功利主義は不滅である。

クィンティン小屋にぞろぞろとたどり着いた。緊張がとけると疲れが来る。トランパーが道端にごろごろ転がっている。
THCのクィンティン小屋では飲物のP&Lの缶もあれば煙草ロスマンズも売っていた。しかも小屋の前のFNPの休憩室には水洗便所がある。水洗便所! トラックで初めての水洗便所である。
白い花の咲く林檎の木の下をくぐり、深いブッシュの底を歩くと時折緑が明るく輝いた。
森を抜けた草原の向こうに、580メートル、ニュージーランドでいちばん高いサザーランド滝がしぶきを弾いていた。3段に落ちる滝は鞍部の小さな圏谷から流れ落ちている。
このあたりまで来るともう自然に感動するのも疲れ、「ヒェー、すごいなあ」くらいの言葉しか出てこない。
あとは「野菜が欲しい」「ビールが飲みたい。冷たいビール」「シャワーを浴びたい」ほとんどうわごとのように呟く。
「ダンプリング小屋の前の川に水泳場があります」小屋の壁に貼り紙を見た。
「泳ぎに行こう」ロッドが言った。ロッドもいい加減、汗にはうんざりしているらしい。アーサー川の流れは澄んでいた。淀みの水底に枯れ木が朽ちてからみ合っていた。ロッドはザバンと飛び込んだ。
「ギャー」身も凍るような叫び声がロッドの口から飛び出した。ただ水が冷たいだけなのに義兄はおおげさでもある。
風呂に入るような格好でぼくは足からそっと入った。だからといって少しでも水が温かくなったわけではない。心の準備ができただけである。

日暮れ前、といっても夜の九時過ぎまで日は暮れないのだが、レインジャーが首にイヤーマフ(耳覆い)、片手にエンジン草刈機という格好で帰ってきた。制服に日焼けした顔、巻毛にイヤー・マフの跡の残る、役人というより山好きの青年だった。
「トラックの整備かい?」
「そうだ。俺はジェームズ。君は?」
「ケンジ。こんにちは。何日くらい、この小屋に詰めているんだ?」
2週間。それから飛行機でテアナウに戻って、1週間休みを取って、また2週間働くんだ」
庭の隅の木から1枚の葉を彼はちぎった。「噛んでみろや」
青臭いだけだった。「もっと強く噛むんだ」なんだか謀られているような気分である。
カーッと口の中が熱くなってきた。「これは何?」
「ペッパー・トゥリー(胡椒の木)。暗くなったら、土蛍を見に行こう」彼はそこにいた誰にともなくそう言った。
「土蛍がいるの?」オーストラリア人の女の子が言った。
「ワイトモだけってわけじゃないよ」
小屋の裏手には新しい小屋が建築中であった。ジェームズが案内してくれた。
「この季節が終わったら、貯まった給料で日本へ行こうと思うんだ。どこかいいとこあるかい?」
「いいところは沢山ある。ただ……」
「ただ?」と、ジェームズ。
「物価が高い。びっくりするほど高い。それに」
「それに?」
「うんざりするほど高い」
屋根をこつこつと叩く音がする。
「キーアだ」表に出ると、レインジャーはドアに石油缶を置いた。
「中に入ってもいいが、出る時は必ず缶でドアを押さえておいてくれ。開けっぱなしにしておくとキーアがいたずらするんでね。規則で鍵はつけないんだ」
日が暮れるととたんに寒くなった。ぼくたちは上着を着込んでポーチに座った。
「仕事で牧場へ行くとな、蜂が巣に戻る時間まで待つんだ。ピーターを知ってるな?」とロッドが話しはじめた。ピーターはロッドのいちばんの同僚だった。
「彼と牧場の木の下に寝転がって馬鹿話をする。最初は小さな話なのが、そのうちに膨らんでくる」ロッドは続けた。
「緑の小馬と44ガロンのドラム缶(200リッターの普通のドラム缶)の物語だ」
「ブッシュ・カントリーに一人の青年が住んでいた。そいつはガールフレンドが欲しかった。実をいうともう少し立ち入った欲望だった。近所の牧場の娘と親しくなるとすぐに結婚させられてしまう。それは嫌だった。彼は都会の女と親しくなりたかったんだな」
「彼は都会の娘が下りてくるバスのそばで白い小馬を連れて待つことを思いついた。誰かに声をかければ、
『あら、小馬、可愛いわねえ。』
『ああ、乗ってもいいぜ』それで仲良くなれるんじゃないかとね。ところが、バスから下りた娘は『あら、白い小馬なんてあたしの隣の芝生にもいるわ』と言うだけで去ってしまった。
そいつはとぼとぼと小馬を牽いて家へ帰った。一日無駄に過ごしたわけだ」
「それくらいで挫ける欲望じゃないところが立派なんだな。次の週末、そいつは小馬をペンキで緑に塗った。小馬を連れてまたバス停で待った。案の定、若い娘が好奇心を持った。
『あら、どうしてこの小馬、緑なの?』彼はうまく娘を緑の小馬に乗せることに成功した。
溢れんばかりの下心で馬の手綱を取って案内したのまではよかったんだが、なにせ、行けども行けども一面の林だ。都会の娘はすぐに飽きてしまい、そいつの話にも耳を傾けなくなってしまった。彼女は、帰ると言い出した。バス停で『楽しかったわ、どうもありがとう』と言われただけだ。そいつはとぼとぼと小馬を牽いて家に帰った。またもや一日を無駄に過ごしてしまった」

「それくらいで挫けるような奴じゃない。森の奥の小屋に44ガロンのドラム缶を運び込んだ。絨毯まで注文した。一切がっさい買い込んで一週間こもってたね、そいつは。
次の週末、彼はまたもや緑の小馬を連れてバス停に立った。バスからピクニック気分の若い娘が下りてきた。
『あら、どうしてこの小馬、緑なの?』 下心をなんとか隠して、彼は森の奥の豪華な小屋に誘った。
『部屋はとびきり上等な絨毯。ランプシェードのやわらかな光、流れる音楽、よく冷えたスパークリング・ワイン、本場カナダ産の鱒、地中海のアンチョビ、それに森の木の葉のささやき、鳥の声、青い月影、それが全部あなたのものだ。バスルームはエキゾチックな日本風。44ガロンのドラム缶の風呂』彼は練習した通りのせりふで囁いた。都会の娘はとにかく小屋まで行くことに同意した。『さあ、お嬢さん、どうぞ』鐙の傍らで男はてのひらを前に組んだ。彼女は片足を男の組んだてのひらにかけ、馬に跨ろうとした。男の鼻面に彼女のふくよかな腰が触れんばかりであった。男はたまらず叫んだ。『くそー、たまんねえ(Fuck you!)』」
「田舎のほら話はこうやってできるんだ」薄闇のなかでロッドが言った。

小屋の窓に灯が入った。シューというランタンの音が聞こえるようだった。気がつくと、ひどく寒くなっていた。小屋に戻った。
「トーチのある人は持ってきてくれ」レインジャーが言った。トーチはたいまつではなく、懐中電灯のことである。
懐中電灯の明かりを頼りにトラックを歩いた。誰かが、ぼくのヘッドランプを見て、
「炭坑夫みたいだ」と笑った。
「昔、そうだった」と嘘をついた。
「本当か?」一斉にこちらを振り返った。
「だけど、やめた」
「どうして?」最初の誰かが聞いた。
「閉所恐怖症なんだ」
レインジャーが明かりを消すように言った。道端の土の洞を彼が照らした。細く、短い蜘妹の糸のようなものが、キラキラと光っていた。明かりが消えた。幾十もの滑らかな青い光が浮かび上がった。のちに、ワイトモの鍾乳洞に入ったが、あまりにも観光地化していてこれほどには感動しなかった。

最後の朝食はミューズリーと紅茶しかなかった。
ダンプリング小屋からは再びなだらかな谷底の道で、下るほどに湿気を含んで感じられた。
ロッドは、トータラ、ミロ、リム、シルバー・ビーチ、カマヒ、羊歯の木、スピア・グラスと一つ一つ教えてくれるのだが、結局ぼくの憶えたのが、か細い葉をつけたリムと、見れば分かる羊歯の木、スピア・グラスだけだったのは情けない。
道が最初のように平坦になった。アダ湖に沿う道は湿地を長い桟橋で通過することが多くなった。羊歯の木が繁茂する熱帯雨林に似た風景が南緯45度線にあるとは想像もできない。何度かカビ臭い朽ち木がトラックを塞いでおり、身体に触れてポロッと崩れた。羊歯の木は生きたまま炭化したように黒ずみ、落ち葉がアルカリで洗ったように葉脈を残して砂色に枯れている。遠くで鳥がけたたましく鳴いた。
この道の果てに新鮮な野菜がある。ぼくは新鮮な野菜に向かってひたすら歩いた。
グレード・ハウス波止場から35マイル。最後の数百メートルは公園の散歩道のようにのどかだった。真新しいシェルター(避難小屋)が道を挟んで二つ、向かい合っていた。左はインディペンデント・ウォーカー、右はガイデッド・ウォーカーの小屋だった。
ダニーデンの男達は、
「このトラックは何度も歩いたが、4日とも晴れたのは初めてだ。もひとつ、インディペンデント・ウォークで日本人を見たのも初めてだ。足はなんともないか」彼らは手を差し出した。
遅れていたオーストラリアの娘も彼女の仲間達に迎えられていた。ドイツ人のドクトル・アイゼレはベンチで横になっていた。
待つほどもなく船が来た。
船がミルフォードに向かうと、入り江の崖下に、桟橋はやがて見えなくなった。
「あのアメリカ人、とうとう間に合わなかったわね」オーストラリア人の女の子が呟いた。
誰も返事をしなかった。きっと最後の便には間に合うだろう。

テアナウの駐車場に停めたときのまま車は埃を被っていた。モーテルでさっそくシャワーを浴びた。熱い湯で汚れと疲れを洗い落とした。
レストランは宵とあって混んでいた。脂の流れる熱いラムチョップと、揚げたてのチップスが出され、サラダはサラダ・バッテリーから食べ放題の新鮮な山盛りの野菜。
感動的なほど新鮮な野菜だった。

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最終更新: 26-09-2005

 

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