12年と12日 その5 神は七日目に十字架に
前号の原稿を書く際に、念のためにとシドニー・オリンピックの公式サイトで日程を調べるとオリンピックの会期が9月13日からということになっていた。記憶と違うなと思いつつ、公式サイトでそうなっているのだからきっとこちらの記憶違いなんだろうときわめていい加減に考えて13日開会式ということにした。話の続きを書いていてやはり気になったから、妻に聞けば開会式は15日だったという。それならぼくの記憶違いではなかったのか、というわけで前号ではまだオリンピックは始まっていなかった。まったく申し訳ないがその程度にいい加減なことを書くやつだと思ってもらえればぼくも安心して間違えられる。
目が覚めると子供たちはもう起き出し、両親が買っておいた菓子の袋の奪いあいをしている。朝の涼しさの中にもすでに夏の日盛りの気配があった。シドニーの夏は乾季である。数年に1回は猛烈に乾いた熱い日が続く。灼熱の溶鉱炉から噴き出すような空気が充満し、不吉な静けさが都市の空を押し包む。裸火でのバーベキューが禁止になり、戸を押して外に出ると「何年か前の山火事の時と同じ空気だ」と感じる。オーストラリアに400種あるといわれるユーカリの木は油脂分が多くて燃えやすい上に、森林の下生えも紙切れのように乾ききっており、いったん火がつくと止まらない。太陽は何日もオレンジ色に霞み、森林から10キロ以上も離れたぼくの住んでいるあたりにも形のまま焦げたユーカリの葉や白い灰が降ってくる。日没後に高台に上がれば、沖を行く船から見る海岸の町や村の明かりのように赤い炎がゆらめいているのである。そんなシドニーの夏に慣れていても大阪の夏には懐かしさを感じる。懐かしさを感じるからといって、この蒸し暑さが好きになれるわけではないが。
昔、夏休みになると毎朝地蔵尊の広場でラジオ体操があった。住宅の高層化で広場はなくなったが地蔵尊だけは今も残っている。毎日ラジオ体操が終わるとカードに判を押してくれて、規定日数以上参加すると賞品として鉛筆や粟おこしがもらえた。ラジオ体操から帰る頃になると玄関のよしずやヘチマの蔓にこんな夏の日盛りの気配が漂い始めていたものである。当時、向かいの家のばあさんは庭で鶏を飼い、毎年夏になるとヘチマの蔓を切ってサイダー瓶に差し込み、ヘチマ水を集めていた。ヘチマ水を何に使うのかは聞いたことがなかったが蒸し暑い夏の湿気がそのままヘチマ水になるような気がしたものである。その向かいのばあさんは、ぼくに「日本でいちばん偉いのは天皇陛下」と信じ込ませようとしたが、これはまったく無駄だった。
子供たちに、「おじいちゃん、おばあちゃん、おはよう、ありがとう、言うたか?」 と聞いたが返事もせず、くんずほぐれつ菓子の奪い合いを続けている。
「おじいちゃん、おばあちゃんを喜ばせるんやで」とせっかくこの4つの日本語を教え込んだのに皆目役に立っていない。
子供の通っている学校や保育所では、子供が何かを頼む時に「プリーズ」と言わないと、先生が「魔法の言葉は?」と聞く。ある日、子供を迎えに行ったら、モニカの担任の教師が教えてくれた。
「私がね、魔法の言葉は? と聞いたら、モニカちゃんったらね、『アブラカダブラ!』だって。オホホ」
定型をはずす絶妙なわざ、さすがわが子、オホホ、と誉めてやりたい。
アンマリーも起き出してきた。せまいウサギ小屋に食い意地の張った3人の子供と大人5人を詰め込んだのだからまるで豚小屋である。
「ドミニクの袋の方が大きい」とモニカ。
「中身、何か知ってるのか?」とぼく。
「知らん」 モニカは平然と言う。
「ポケモン、いつ見に行くの?」
「朝ご飯まだ?」
「日本は恥文化、欧米は罪文化」ともっともらしいことをいう人たちがいるが、こういうガキどもに、ぼくは「恥ずかしい思い」をさせられ、アンマリーは「embarrass」させられる。言葉は違っても感じることはほぼ同じらしい。ところで、「エンサイクロペディア・オブ・アボリジナル・オーストラリア」にはオーストラリア・アボリジニ社会の「shame
(恥)」の社会的効用が詳しく書かれている。「アボリジニ社会での恥の表現は非常に複雑で、怖れ、敬意、照れくささ、ばつの悪さ、如才なさなどを意味する場合が」あり、若い者が掟に背くと、周囲の大人が「恥ずかしい思いをさせる」ことによって、掟を教え込むのだそうだ。どうもアンマリーの感じ方もぼくの感じ方もアボリジニ社会と共通していると思えるのである。それならまことに心温まる話だし、少なくとも「罪の文化」などという空恐ろしいものに比べれば「罰」を怖れなくていいぶんだけのんびりしていられるというものだ。
母と話すから通訳してくれと妻が言う。朝ご飯に出された料理を指さして、
「オイシイネー」と言う。
「おいしい言うてる」とぼく。
「うん、通訳してもらわんでも分かる。アンマリーさんの英語分かりやすいわ」と母。
「英語違う。日本語」とぼく。
「コレ、ごぼう、ふぁいぶ・すてぃっくヲ煮タノ」と母。
このまま食卓を囲んで一家漫談で人生が過ぎていきそうな不安がある。
「おい、三人、そのへんにあるもん一通り食べたら出発やで」
「まだ食べ終わってない」
「のど乾いた」
「どこへ行くの?」
「今日はゲバラのところに行く」 ゲバラというのはぼくが大学をさぼり始めた頃からの友人で、鳥取に住み、サキソフォンを吹く。
前日の夕方、林慈郎君が車を持ってきてくれた時にはホンダステップワゴンと言っていた。言われてもオリンピックにもうといが車にもうといぼくには自分の車以外ほとんど見分けがつかない。弟の車もこれとよく似たホンダの箱形車である。正直な印象を言えば高級な出前の車という感じがしないでもない。
アンマリーは、「これええわ、持って帰りたいわ」を連発している。それはそうだ、我が家の87年式三菱ニンバス和名シャリオに比べればどんな車でも立派に見える。
慈郎君は、日本ではこういう箱形の車が流行っていると言っていた。
「オーストラリアではこういうデザインははやらへんわなあ」とアンマリーが言う。前にも書いたと思うが、シドニー周辺もスプロール化が進んでいる。日本のような過密な都市化が広がっているわけではない。宅地面積が広くて過疎な住宅地がメリハリなしに広がっているのだ。過疎だから公共交通機関は成り立たない。だから自家用車を乗り回すことになり、当然ながら交通渋滞が増え、ブツブツ文句を言う人が増える。それで、過密だから人口を減らせとか、移民をストップしろとか、都市流入に税金をかけろとかいろいろな意見があってなかなか面白い世間ではある。同情的に見れば、自分たちのおいしい生活を他人を蹴落としてでも守りたいという中産階層のいじらしい杜子春心情と思えなくもない。だからといって少しも同情的にはなれないが。
「お前はどうなんだ」と言われれば、そうなあ、都会の渋滞も不便と言えば不便だが自分も渋滞に輪をかけている一人だから文句は言えないし、騒音や大気汚染や少々の治安の悪さなんか我慢してでも都会に住みたいわけだし、自分が都会に住みたいのだから他人に「都会に住むな」と言う資格なんかないし、だいたい人類史の最後の6,000年間、人は都市に移住し続けてきたのであって、人口が集中するから都会なんだしなあ、と思うわけである。そんなわけで面積は乗用車並みで燃費を抑え、かつ居住空間は最大限にという公団住宅的な箱形車の発想がオーストラリアで流行るにはもう少し時間がかかるかもしれない。
ようやくのことに家族5人を載せて車は国道に入った。すでに東行きも西行きもすっかり渋滞している。排気ガスとすっかり高くなった日射しの中を車は陽気な葬列のようにゆっくりと進んでいった。道の両側に並ぶ店舗や工場や看板はどれもなぜそこにあるのかその理由をはるか昔に忘れてしまっているようで、その乱雑な風景には「ああ、ふるさとに帰ってきた」という気分になる。
「昔はこのあたりは田畑と小川と沼地ばっかりやった。麦畑ではヒバリが鳴いてたし、山の麓の森や竹藪には何百羽もシラサギが住んでいた。小川には蛍も魚も貝も住んでたんやがなあ」消えていった小川のタニシやウグイ、毒々しいほどに赤い腹をひるがえして泳いでいたイモリ、麦畑のヒバリ、田んぼの水底に隠れていたカブトエビ、竹藪の何百羽ものシラサギへの惜別の気持ちはいつだってある。豊かになってから快適な生活の中で反省することもできるし、なぜ自分が豊かでいられるのかを忘れて他人を批判することもできる。しかし、穴のあいたズックやひじの抜けたセーター、真冬に家族全員が火鉢一つで暖を取り、あかぎれがひび割れて血だらけになった手の甲に「桃の花」をすり込むような生活に戻れと言われれば御免こうむる。
「あたしらも昔は貧しかったし、ほとんどの人が貧しかったわ。他にすることがないからいつも山や野原で時間を過ごしていたし」とアンマリーが言う。夏になると友達と山に入っていって滝壺で素っ裸になって泳いだなんて話をする。
「昔は子鹿みたいな体形しとったのになあ」とため息をつく。
「今はカバのおかあさんみたいなもんや」
「もうちょっとええこと言えんか?」と普段の自分の言動を棚に上げて勝手なことを言う。
車がのろのろと進むうちにぼくはオーストラリア最大の環境保護団体オーストラリア自然保護基金の会長が日系新聞のインタビューに答えた記事の言葉を思い出していた。
「発展途上国の人々が私たちのような生活水準を望むのは理解できます。だけど発展途上国の若者はミッキーマウスの腕時計を欲しがるのですよ。日本の消費主義は犯罪的です」
ぼくはこういう口やかましく陰鬱な連中が好きになれない。発展途上国の若者が、どんなに貧しくてもミッキーマウスの腕時計一つで少しは豊かな気分になりたいと願うことのどこが悪いのか、発展途上国の若者の10倍も20倍もの物量を消費し、それを人間らしい文化的生活とうそぶくあんたやぼくなどにとやかく言う資格があるのか、と言いたくなるのである。そして、こういう口やかましく陰鬱な人たちがオーストラリアにはいっぱいいる。
「お父さん元気やろか」
「ああ、リンダの妹さんが面倒見てくれてるやろ」 ピーターシャム時代からの友達リンダの妹家族はシドニーから1,000キロ以上離れたブロークンヒルという内陸の鉱山町に住んでいて、オリンピックを見るためにシドニーに出てくるという。「オリンピックを見るために? わざわざブロークンヒルから?
あんなものはテレビで見る方がよく見える」と思ったが人それぞれである。じゃあ、留守中使っていいよ、宿代もいらない。ただしやっかいなじいさんの面倒つきだけど、ということになった。やっかいと言っても基本的には自分の世話くらいはできるが晩ご飯だけは作ってやらないと料理ができない。
そのやっかいなじいさんと同居を始めた頃には何度か大ゲンカした。他人から見れば猿山の老ボス猿と新ボス候補の覇権争いみたいなものである。義父は、義母が亡くなった後いろんないきさつからぼくの家族と同居することになった。ところが彼は「娘の家族」と住んでいるつもりでいるからやたらと家父長風を吹かし、あれこれと指図するようになった。ある日やっかいなじいさんが、「家のローンが残っているんだろう。しっかり働いて稼げ」と言った。持ち家なんてぼくの趣味ではないが、妻に泣きわめかれたくないから好きにさせているのだし、こちらはしっかり働いて稼ぎ、幼い子供を二人抱え、週に半分は勤めに出ている妻と家事を分担しているのである。ところがじいさんはさらに言い募った。「息子二人は年に何万ドル稼いでいる」とか言うのである。これにはさすがにむかっ腹が立った。
「欧米は個人主義」と言う人がいるが、相手の心に踏み込んでコントロールしようとする態度は珍しくない。その場の思いつきで適当なことも言うし、自分の言葉に責任を持つとか、相手の立場を忖度するなんてことをするわけでもない。理屈の立つ議論をするというわけでもない。たいがいはその場で相手を言い負かせばいいという程度のものである。それに対して気を悪くさせない配慮とか遠回しな言い方など通じない。正面からはっきり言うしかない。少なくともぼくはかなりの苦労をしてその結論にたどりついた。バシッとはねつけても、相手はあくる日にはケロッとしているからこちらも気に病むことはない。
そんなわけで何度か大ゲンカして義父も今ではほとんど口出ししなくなった。隠居猿として悠々自適の暮らしを受け入れ、ぼくは無事に猿山のボス猿になりおおせたわけだ。ただし猿山の実権を握っているのはメス猿で、ぼくが義父とケンカしなくなってからというもの、そのメス猿がぼくの代わりに親子ゲンカするようになったのである。
アンマリーもぼくも国際運転許可証を持ってきているが、アンマリーはぼくに運転させようとしない。
「横に乗ってたら、あんたの運転怖いわ」と言う。
「しかしなあ、アンマリーの運転もやっぱり怖いんやで」とぼくが抗議をする。
「何回、車ぶっつけた?」とアンマリー。
「何回信号無視した?」とぼく。
「あれは子供が騒いだからや」
「隣の車にちょっとかすったのは太陽がまぶしかったからや」とぼく。
「私も長生きしたいからなあ。事故起こさんでも、横に乗ってるだけで寿命縮むんやから、自分で運転している方がええ」アンマリーは何事も人に任せておけない性格である。子供の宿題なんかにも、「そうやない、こうするんや」と口出しする。ぼくは根がいい加減だから、「ええやんけ、間違えても本人にやらせたら」というが、どうしてもいい加減な方が力関係では不利である。
茨木インターをやり過ごし、山に向かってまっしぐらに走る。山道に入ったとたんに今までの車の列がどこに消えたのかと不思議になるくらい車の数が突然減る。そのうちにうねうねとした山道でモニカが、「気持ちが悪い」と言い出した。
「ほんまに行けるんかいな。道が狭まなっていってるで」とアンマリーがいう。
「日本は市街地を外れたらどこでもこんなもんや。タヌキもイノシシもおるし、山賊や忍者も住んでる」
「あの看板何やの?」とアンマリーが道路脇の丁寧な作りの看板を指す。
「あれは、昔このあたりがキリスト教徒の村で隠れて信仰していた史跡があるいうことやな」
「ふーん、見てみたい」 まだどれほども走っていないのにこんなところから道草しているといつ鳥取に着けるのか分からない。
政教分離の原則というものがある。日本では政治家の靖国神社参拝などで問題になるが、欧米の民主主義が日本以上にこの原則を厳しく守っているということはまったくない。アメリカの大統領が演説の最後に「May God bless you
(神のお恵みを)」と付け加えるし、国際ニュースを見ていれば事あるごとに「神国アメリカ」意識が顔を出す。森首相の時代錯誤な「神国日本」発言を批判するのは正しいが、「神国アメリカ」を批判しないのは間違いである。
オーストラリアでも国会では毎朝議長の音頭取りで「全知全能の神よ…」から始まり、「アーメン」というお祈りを国会議員一同がやる。テレビの国会中継を初めて見た時は、「ええ、民主主義国でそういうことするの?」とぶったまげたものである。「緑の党」のボブ・ブラウン上院議員がこのお祈りの廃止を提案したがほとんどの議員は相手にしなかった。子供たちの通う公立学校でも選択科目とは言え、「聖書」授業というのがある。普通、公立学校でそういう授業があるのは「キリスト教」だけである。
アランも何度かこの「聖書」授業を受けた。ある日、学校に子供を迎えに行って、「今日はどんなことを習った」と聞いた。アランが眼を輝かせて言った。
「あのなあ、神様がなあ、6日間かけてこの世界を創ったそうや。それでなあ、7日目に十字架にかけられて死んだんやて」 もちろん、「創造主」と「イエス・キリスト」を混同しているのだが、この話は知り合いの誰に話しても大受けする。そして、アランは、退屈だと言って、「聖書」の授業に出なくなった。
時折片手で数えられるほどの人家を過ぎ、道は狭い谷間を登るようにして走る。かと思うと突然不似合いなほど近代的な建物が丘の上に現れる。びっしり茂った夏草で流れも見えない小川の向こうにまだわずかに青さの残る田が階段のように谷をのぼり詰めている。斜面に農家が建ち、裏手の急斜面に杉の木立が影を落としている。
「なかなかええ雰囲気やなあ。町とえらい違いや。ほら、アラン、あっちはもう刈り取りしてるわ」とアンマリーが叫ぶ。
ぼくは人生でごちゃごちゃ考えることになれてしまったから、こういう時になかなか相づちを打てなくなってしまった。松本時代の年下の友人に藤原君という人がいた。松本平や安曇野の水を集めて下る犀川が深い山並みを屈曲して削る狭い谷間の村、生坂(いくさか)の出身だった。生坂にはほとんど平地というものがない。ある日まだ高校生だった藤原君がぼくに言ったことがある。
「田んぼ仕事をしていると、都会風のアベックなんかが車を停めて、いい風景ねえなんて言いながら、写真を撮って、また行ってしまうんですよね。ああ言うのを見ると腹が立ってくる。そんなにいいと思うなら田んぼに入って腰も背中もかがめて草抜きしてみろ、と言いたくなってくる。一昔前なら、長男が家を継いで、次男三男が都会に出て行くのが封建遺制だって言われたけれど、今は長男の方が、俺が次男だったら都会に出て過激派にでもなっていたのになあ、と弟たちをうらやましがるんですよ」と語っていた。藤原君は東京で大学を卒業してから塾教師をやっていたが、授業中に突然倒れそのまま不帰の客となった。
河内の農家出身で庭仕事の好きな父に、「また農業をやりたいと思うか?」と聞いたことがある。父は、
「百姓なんかやらんで済むんやったらやらん方がええ」と言っていた。
その父と、若くして亡くなった友人のためにもぼくは簡単に「ええ雰囲気やな」などとは言いたくないのである。
どこまで続くのか分からないような山道は、時折、真新しい役所風の建物が現れることを除けば、ぼくが日本を出た時とあまり変わっていない。
「喉かわいた」と、吐いたばかりのモニカがいう。
「あと何時間くらい?」とドミニクが聞く。
「1時間くらい」と答える。
いつも騒がしいアランが妙に静かにしている。
「大丈夫か?」
「ううん、気持ち悪い」
「こんな道しかないんかいな」とアンマリー。
「こんな道しかない。心配ない。間違えたら引き返したら済むことや」
清阪街道から亀岡街道に入り、山道が突然ぽっかり開けた峠から摂丹街道を囲む山並みが見える。
「この先で国道に出る。割合にまっすぐ走るから、これ以上酔う心配はないやろ」
超現実的な大阪市内の変わりようと違って、摂丹街道はほとんど昔のままだった。街道が亀岡盆地に出る法貴峠は崖になっており、道はジグザグに一気に高度を下げている。この道をバイクで走ったある日、この下り坂で前を走る車の窓から犬が身を乗り出していた。突然何を思ったか、犬が窓から飛び出した。飛び出してからとんでもない間違いに気づいた様子だった。飼い主が助手席の窓から犬の前足を必死につかみ、犬は後足で車に合わせてトコトコと走り、スピードが十分に落ちたところで飼い主が犬を引きずり込み、何事もなかったようにスピードを上げ、走り去った。路上生活を送っているといろいろと奇妙なできごとにぶつかる。
アンマリーの運転する車が法貴峠の坂道に差し掛かり、亀岡盆地を眼下に望めるところまで来た時、ぼくは「あっ」と叫んだ。ぼくが日本を去ってから確かに変わったものがあった。手のひらにも似た盆地のど真ん中を高速道路がバンドエイドのように斜めに横切っていたのである。
「やられた!」と思った。
それでは次回まで「ごっど・ぶれす・ゆー」
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